コツコツコツコツコツ

ガシャガシャガシャ


静かな廊下に志悠の靴と曹仁の鎧の音だけが響く。

曹操の執務室を出てから二人は長い廊下を無言で歩いていたが・・

コツコツ

ガシャン


ほぼ同時に音と歩みが止まった。


「・・・お久しぶりです子孝様!お会いしとうございました!」

志悠の表情がはじかれたように明るくなり、曹仁の手を取ってぶんぶん上下にふった。

君主の手前おおっぴらにはしゃぐ事はしなかったのか、普段厳格な志悠零の
まるで子供のような行動に、曹仁は照れたような困ったような顔をして
同じくあまり他人に見せる事のない静かな笑顔を浮かべた。

「はは、その様子だとわしのおらぬ間に色々とあったようだな」
「はい!ありました!たくさんありました!良い事も悪い事もたくさん!」
「・・・そうか。殿は相変わらずなようだが困らなかったか?」
「惇おじさまや甄姫様が助けてくれました。頼りになる友人もいますので」
「うむ、それと・・・軍師殿と衝突しているという話を何度か聞いたが」
「はい!殺し合いにならない程度地味に衝突しております!」

・・・・・。

元気に言いきるなら・・・まぁそう険悪なものでもないのだろう。

曹仁は無理矢理そう思うことにした。

「それにしてもそなた・・・少し印象が変わったな」
「そうでしょうか?」
「最初会った時の冷たい印象が薄れてきている。喜怒哀楽もわかりやすくなっている所を見ると・・・
 どうやらよい人間関係にめぐまれているようだな」


よい・・・人間関係??


一瞬心のズイから何かたくらんでそうな顔をしている司馬懿と
本能のままに走り寄ってきては叩き返される張コウを思い出して
眉をひそめてしまう志悠だったが、それをのぞけば悪い関係でもないのも確かだろう。

自分を拾って実力を評価し、高い地位を与えてくれた曹操。
遠い血縁でも暖かく接してくれている夏候惇に夏候淵。
さりげなく助け船を出してくれる張遼や、不器用に自分を心配する徐晃。
同じ女性の立場を理解してくれる甄姫や、立場を気にせず親しく接してくれる許チョ。
唯一志悠の別面を知りながらも他言せず敬意をはらってくれている典韋。
司馬懿もなんのかんのと言いながらもよきライバルであり
張コウも行動に問題はあれども自分を好いてくれているのには変わりない。

志悠が魏にやって来て約一年。
たった一年だが志悠の身辺は劇的に変化してきた。
けれどそのたった一年の出来事は志悠にとってはかけがえのないものだ。

「はい、私は・・・よい人達にめぐまれております」
「・・・そうか。そう言ってくれると推挙したわしも一安心だ」
「いいえ、子孝様には皆様以上に感謝しているつもりです。
 片田舎で落ち着いていた私に声をかけてくださり
 当時仕官する事をためらっていた私を粘り強く説得して
 私がここへ来るきっかけを作ってくださったのですから」

そう言って笑う志悠を見て曹仁は少し安堵した。

志悠は最初、たたき上げの身分だったため周囲の目が冷たかった。
そのせいか志悠は当初周囲に対する態度が固く冷淡で
うまく周囲となじめるかどうか、曹仁は正直不安に思っていたのだ。

こうして素直に笑って良い事も悪い事も打ち明けてくれて
めぐまれていると言ってくれるなら、少なくとも周囲から孤立はしていないのだろう。

自分が思うよりもこの娘はしっかりしている。

父親でもないのに娘が成長したのを嬉しいような気分になった曹仁だった。

「ところでそな・・・いや、零。以前より女らしくなったようだが
 もしや世間の例にもれず、好きな男でもできたのか?」
「え?いやだそんな!気のせいです!目の錯覚です!
 そんなことありません!」

などと言いつつ思いきり腕に平手をもらう。
鎧の上にもかかわらずかなり威力があったので、曹仁は一瞬顔をしかめるが
まんざらでもなさそうな志悠の様子にすぐ笑顔がもどった。

「ははは!色恋に弱いと言うのは殿の報告の通りだな」
「ッ!・・・もう殿ったら!一体何を報告しているんですか!」
「そう怒るな。そういった些細な事を教えてもらう方が、わしとしても嬉しいのだからな」
「・・・それは・・・そうかもしれませんけど・・・」
「そうか、いつも渋い顔をしていたそなたも、いつのまにやら春を迎えていたとは・・・」
「ですから違いますったら!」
「はは、照れるという事は真実味がある証・・・」
「子孝様!!」

再度攻撃をくり出そうと志悠が手を上げたところで
ふと背後に人の気配を感じ振り返る。

そこには一体いつからいたのか、以前とは違った衣装を着た徐晃が
何かびっくりしたような呆気に取られたような変な顔をして突っ立っていた。

「・・・あ、徐晃あなた・・・」

何か言おうとした志悠に徐晃はなぜか急にせつなそうな顔をして

「し・・・失礼いたした!お幸せに!」

と、わけのわからない捨て台詞を置いて逃げるように走り去ってしまう。

「・・・??徐晃・・・何の用だったのでしょう」

こういった経験のない志悠は首をかしげるが
曹仁は徐晃が何を思ったのかすぐわかり、苦笑して志悠の肩を叩いた。

「・・・誤解されたようだな」
「は??」
「わしと親しく話しているのを見て大方恋仲とでも思ったのだろう。
 かの者はかねてから少し堅物で融通がきかぬという話だからな」

としみじみ言う曹仁に、志悠が頭をかかえて聞こえるほどのため息を吐き出した。

「・・・あの人はもう・・・!基本的な部分は張コウとそっくりなんだから!」
「はは、追って事情を説明した方がよいのではないか?」

世間一般の展開的には何か逆なような気もするが
徐晃の事だ。あの様子では修行がたりぬなどと言い出して突然山ごもりでも始めかねない。

「・・・すみません子孝様、お話は後ほど」
「気にするな。早く行ってやるといい」

もっと話したいことは山ほどあったが、昔と変わらない穏やかな曹仁の様子に
志悠は少しだけ名残惜しそうな顔をして、ともかく妙なはやとちりをしてしまった友人を追い
軽く会釈してから走り出した。



徐晃は体格がよく目立つ色の衣装なのですぐに見つかる。
見つけたのは庭池のそばで、なぜか木の根元でうずくまり
大きな身体でめそめそ地面に何か書いていた。


・・・・あなたは花も恥らう乙女ですか。


30代にもなって誤解して落ち込んで、一人でこんな所でうなだれて。
そもそもあなたは惇おじさまや淵おじさま、あげく子孝様より年上なのに(マジ)・・・。

あれやこれやと心の中で文句を並べるが、いざ接近してみると思いがけず
その大きな背中が小さく見えてしまい、開きかけた口が言葉を飲みこんでしまう。


では穏便になだめて事情を説明するか。

強くしかって否定するか。


だがこの時志悠はどちらも選ばなかった。


どが!!


「ぐお!?」


ごん


いきなり尻に入った強烈な蹴りに対応しきれなかった徐晃。
まともに前のめりに倒れておでこを強打した。

「・・・な!・・・な・・?!」
「目がさめましたか徐晃殿」

わけもわからず目を白黒させて振り返ると、まず目に入ったのはバサリと元に戻る長い衣。
その合間一瞬見えたのは、おそらく蹴りを入れただろう白い足。

さらに視線を上にもっていくと、見なれた顔が憮然としたままこちらを見下ろしていた。

「し・・・志悠殿・・!?」
「三つ数える間に立ちなさい。あなたはそれでも武人ですか」

などと言いながら衣をたくし上げ、蹴りのかまえを見せる志悠。
それはそれでちょっと見てみたい気もす・・・

いや!そうではなくてだな!!」
「一つ」
「ぅわ!しっ・・志悠殿お待ち下され!拙者何かお気に触るような・・・」
「二つ」
「あぁああ!!申し訳ありませぬ拙者が悪うございました!!
 どうかお気を静め下さいませお代官様ーー!!」

時代もお国もおかしいあやまり方で徐晃は飛び起き、頭をかばう。
・・が、衝撃はいつまでたってもやって来ず、妙な沈黙に耐えかねて恐る恐る目を開けると
足の変わりにごく軽い手刀がポンとふってきた。。

「・・・・・」
「驚きました?」
「・・・・は・・・・はい、とても・・・」
「昔私の祖母がこうして叱ってくれましたの。効果てきめんでしたね」

・・・からかわれた・・・のか?

徐晃は一瞬そう思いはしたが、からかうにしてはあの蹴りはあまりに強力すぎる。
実際張コウが蹴り飛ばされる場面に遭遇したことはあるが
自分が蹴られたのはこれが初めて。

つまりやっぱり怒っているのだ。

「・・・も・・・申し訳ござらん!」
「まったくです。おかげさまで子孝様に余計な気を使わせてしまいました」

怒っていたのでとにかくあやまってみた徐晃だったが
よくよく考えてみれば何を怒っているのか検討がつかないのに気付く。

「・・・その顔、なぜ私が怒っているのかわからない様子ですね」
「・・・申し訳・・・!」
「謝ればいいというものではありません」
「・・・・・・」
「ともかく率直に申し上げますが、私は子・・・いえ曹仁様とは 
 あなたがお考えになるような間柄では・・・」

とたんに徐晃の顔が目に見えて曇る。

「・・・・・・何人でござるか」
「は?」
「曹仁殿のお歳から考えてもうお子様も一人や二人
 どこか遠い所にお預けになっ・・・ゴふ!?

今度もらったのは地味で痛烈なボディブロー。

人の話を最後まで聞きなさい!!
 曹仁様は私が魏に仕官する際にお世話になった後見人で
 私にとっては惇おじさまや淵おじさま同様の身元引き受け人なのです!
 つい先ごろ遠征任務からかえられたばかりで
 
子供が一人も二人もあるような
 激しく飛躍した関係ではありません!!


ムッキー!と言わんばかりに転がってる徐晃をびしびし指差し一気にまくし立てる志悠。
普段冷静な魏の氷柱も、こういった話にはからっきしなのだ。

「・・・・み・・もと・・引き・・・受け人で・・・ござるか?」
「そうです!・・・あなた一体なんだと思って走り去ったのですか!?」
「い・・いや・・・別に拙者、急に持病で全力疾走したくなる事が多々ありまして・・」

徐晃も徐晃で嘘をつくのはからっきしだ。

「・・・まったくもう、どうして私の周囲には馬鹿ばかり・・・」
「いや・・・その・・・申し訳ござ・・・いや・・・」


けれど・・・



『よい人間関係にめぐまれているようだな』



大人に見えて子供だったり

嫌味なようでも敵ではなく

屈強そうでもすごく純粋で

そして何より色々な人々は、拒絶の冷気を放つ氷の柱を暖かく囲んでくれた。



「でも・・・幸せなのだと思います」
「・・は?」
「けれども私は・・・あなた達と出会えた事、幸せに思います」


その時の志悠はあまりにも穏やかで
徐晃は痛さも忘れ言葉の意味を聞くこともできず、ただ立ち尽くす。

それはほんの少しだったのか長い間のことなのかはわからなかったが
やがて志悠はふと微笑んで、徐晃の頭巾についていた細い布をつまんで
くいと軽くひっぱった。

「少しまとめたのですね、頭巾」
「・・・え?あ・・はい」
「男前が増しましたね。後姿が掃除のおばさんのようですけれど」

突然ふって沸いたお褒めの言葉に、後からついてきた言葉などどこかに吹っ飛び
徐晃の顔がリトマス紙のように赤くなった。

「そ・・・そうでござるか?拙者にはあまり変わったように感じませぬが・・・」
「悪くありませんよ。ちょっと惚れ直しましたもの」

なにげない台詞と悪戯っぽい笑みが
徐晃の心臓にさくっと特大の矢(はあと型)を突き立てた。

「し!・・・失礼いたしました!!」

たまらなくなったのか徐晃は踵を返して走りだ・・・


ごん。


・・・そうとしてさっきおでこをぶつけた木に激突。

いろんな事が重なって相当恥かしかったのか、徐晃は顔を押さえて
会釈もせずばたばたと走って逃げていった。

立派な体格をしているのに、やることは乙女チックでドジっ子な徐晃。
戦場では規律正しい武人だというのに、志悠の前では男前台無しだ。

「・・・噂に聞いていた人物と多少誤差のある御仁だな」

しばらくして、心配になってついてきたのか曹仁が木の影から姿を表す。
志悠は元から知っていたらしく驚きはしなかった。

「・・・徐晃に限ったことではないと思います。
 おそらく子孝様の元へ行った情報は、私が経験しているおのおの方の顔を
 正しく伝達していないでしょうから」
「ほほぅ?それはそれは。
 この一年零がどのような人間関係を体験してきたのか、知るのが楽しみだ」
「司馬懿殿のようなことを言わないで下さい!見て楽しいものではありません!」
「ははは、そう怒るな。まぁ積もる話は立ち話では味気がない。
 土産によい茶を持って来たのでそれでも入れて話すとしよう。・・・茶菓子はあるか?」

お茶とお茶菓子。この言葉に志悠が弱いのを曹仁はよく知っていた。

「・・・とっておきがあります。そういう事は早く言っていただかないと」
「はは、色々あって言いそびれてしまったのでな。
 ともかく久しぶりに落ち着いて零の茶を飲めるのはありがたい事ではないか」
「・・あ、けれど期待されても久しぶりの事なので、あまり味の保証はできませんが・・・」
「かまわぬさ。大切なのは気持ちなのだからな」




これ以後曹仁は武将としての仕事の合間、志悠の相談相手として活躍する事になる。

だが最初に楽しみだと言っていた志悠の人間関係が、想像以上に苦悩を招く事を
後に魏唯一の常識人と言われる事になる曹仁子孝、まだこの時知るよしもなかった。











たんなる衣装ネタからちと話がそれた曹仁初登場の話。
なにか時代遅れな話でしたが、画面上では変な具合に声の高い曹仁さんも
こうして書いてみると結構かっこいいのです。
口調はもうちょっと勉強しなけりゃいけませんが・・・。

それにしても志悠と曹仁の関係は、陸遜と呂蒙の関係に近いかもしれません。
・・・って自分で書いてて疑問系かーい(一人ツッコミ)!!
ドム似だけどかっこよし