祝宴での一件がようやく終わり、夜もかなりふけたころ
志悠は火花の飛ばしすぎで痛む目を押さえながら自室にもどるため
静かな廊下を一人歩いていた。

時々巡回の兵らとすれちがい、何かありがたそうに見送られつつ
早く帰って着替えようと思いながら足早に歩いていると
よく整えられた庭先に、月明かりに照らされる見知った姿を見つけた。

その人物は酒杯を片手に誰もいない庭で庭石に腰掛け
何をするでもなくただ静かに空を見上げていた。


「・・・騒ぎの後の月見酒ですか?」


急に声をかけて驚くかと思ったが、その人物張遼は
さして驚いた様子もなくゆっくりと首をめぐらせて振り返る。

「・・・あぁ、いや、・・・少しな」

少しあいまいな返事に志悠は肩をすくめると、廊下から庭へ下り
張遼のすぐ横に立ちあきれたように口を開いた。

「それで?合肥で一体なにがあったのです?」
「・・・は?」
「は?ではありません。惇おじさまからあなたは酔っても自分を失わないと聞いていたのに
 先程のあなたときたら、判断しにくい冗談を言ったり、私の前で徐晃をからかってみたり
 行動がおかしいのですもの」
「・・・・」
「それにこんな所でこんな夜更けに一人沈んでいて
 そこの主のいない杯。それでも何もなかったとおっしゃるつもり?」

そう言って志悠の指した庭石の上には、酒の入った杯が一つ置かれていた。

「・・・はは、気付かれていたか」
「あいにく腐ってもあなたの友人ですから」
「・・・腐ってるのか?」
「冗談ですよ」
「・・・・・」
「・・・笑う所です。笑いなさい

真顔の命令口調で頬をぐにーと引っ張られる。

だが多少なりとも力が入っていて痛いはずなのに
張遼は笑いも痛がりもせずなぜかそれ以上反応がない。


お互いそのままの状態で妙な沈黙が流れた。


「・・・らにか・・・あっらというものれもないが・・・」


振り払いもしないと言う事はやはり何かがあったらしい。
志悠はともかく手を放して様子を見る事にした。

「・・・呉に太史慈という将がいた。赤い鎧の印象的な双鞭の使い手で
 呉に身を投じる際、敗残兵を集めて戻って来たという信義に厚い男だ」
「・・・・・」
「だがその男、今回の戦で策にはまり、包囲され矢を無数に受け敗走した。
 生死は確認できなかったが・・・おそらく・・・生きてはおるまい」
「・・・あなたが指揮した計略ですね」
「・・・そうだ」

張遼は疲れたようにため息を吐き出し、少し杯をあおる。

「私は戦の最中にはそれが勝機につながる最善の近道だと思っていた。
 だがこうして勝利をものにし、凱旋してあらためてあの男の姿を思い出してみると
 なぜか後悔の念があふれてきて止まらぬ。
 ・・・落とし入れるのではなく、武人として勝負してみたかった・・・とな」


あの男は武人だった。対するこちらも武人だ。

一対一で勝負するべきではなかったのか。

あの双鞭と一度でも打ち合うべきではなかったのか。

包囲されて、射られて、逃げて、いずこかで生き絶えるは
武人として良い末路ではなかったはず。

戦場では考えもしなかった思いが後から後から滲み出してくる。


「今までこのような事を考える事はなかったが、そなたのそれを見て・・・急にな」
「・・・なんの事です?」
「とぼけるな。祝宴だというのに青も藍も赤も選ばなかった。
 白を選んだという事は・・・喪に服する気だったのであろう」
「あら、察しのよいこと」

凱旋とは、戦に出たものが生きて返って来る事だ。
普段から見知った者が戦から生きて返ることは
残された者にとっては喜ばしいかもしれない。

だがその影で死んだ人間も確かに存在する。

味方も敵も、ひどい時にはまったく関係ない者も命を落とす。
だが戦の最中は皆必死だ。他人の命の事など考えてはいられない。
つまり戦は人間の人間としての意識を麻痺させてしまうものなのだ。

それが志悠が戦を嫌う理由の一つだ。


血縁や友が生きて返って来るのは確かに祝うべき事かもしれない。
ただその変わりに消えていった命の事を思い、そしてその事を忘れないがために
志悠は甄姫のすすめた青や赤の衣装をかたくなに断わり続け
志悠は白い衣装を選んだのだ。

「以前そなたは言ったな。戦は人間の精神を麻痺させる恐ろしいものだと。
 その時は我ら武人には文面上の綺麗事でしかないと思っていたが・・・
 考えてみれば・・・そなたが綺麗事など言うはずがなかったのにな」

そう言ってもう一度杯をあおる張遼を、志悠は黙って見ていたが
しばらくして静かに口を開く。


「・・・方法はどうであれ、戦は他人の命を奪はなければ始まらないのでしょう?」


出てきた言葉はひどく冷めていて感情がない。

張遼が見上げると、志悠はその目を月に向けたままで
表情までは読み取る事はできなかった。

「・・・それは・・・場合にもよるが・・・極端に言えばそうなるな」
「では後から悔むのはお門違いというものです。
 あなたたちの仕事は悪く言って大掛りな殺し合い
 良く言っても殴り合いの陣取り合戦でしょう。
 後になってからそのような気をおこされるのなら、最初から戦場になど立たない事ですね」
「・・・・・」
「武人だから戦って倒したかった?
 武による決着が武人の誇りとでも?
 平気で何百人も殺傷しておいて何を今さら・・・あなたは馬鹿ですか」


志悠零の本領発揮だ。


戦事に関しては果てしなく冷たい態度と突き放すような言葉。

民と国を愛する内政官とは違う反面の顔がそこにある。


噂には聞いていたが・・・これほどとはな・・・。


落ち込んだ友人に対してもこんな態度で接してくるとなると
戦嫌いもどうやら筋金入りだ。

張遼は内心舌を巻いた。


「そもそも張遼、そんな事で気を落とさなくてもその方との勝負
 いずれ必ず付ける事ができるのではありませんか?」
「・・・え?」

志悠はその時ようやく張遼に静かな笑顔を向けた。


「知らないのですか?戦に関わる者は、いずれ必ず地獄へ落ちるのですよ。
 ですから一対一の真剣勝負、地獄の底で心置きなくつけることができるでしょう?」

「・・・・・」


「それに地獄なら誰の迷惑にもならないので安心です。
 あ、でもお二方共もう死んでいますから、勝負など永遠につかないかもしれませんけど」


そう言っておかしそうに笑う志悠の顔は
先程とは打って変わって彼のいつも見る友人志悠の顔をしていた。

張遼は少し呆気に取られたような顔をし・・・


「っ!
ははははは!あははははは!!


声を出して笑った。

腹の底から笑った。

わけもわからずにただ大声で笑った。


「・・・笑うところではないのですけど」
「っ・・・いや・・すまん。それにしても・・・はははは!」
「・・・変な人。まぁ元気になったのなら、それはそれでよいのですけれど」


おいおい、それでは今までのは励ましのつもりか?


そう考えると余計に笑いがこみ上げてきて
持っていた杯の中身が少しこぼれた。


「笑うのは結構ですけど・・・もう夜も遅いので静かになさい」
「わ・・・わかったわかった・・・だからもう足を踏むのは勘弁してくれ。明日歩けなくなる」
「・・・あらそうですか」

ちょっと面白くなさそうに言った志悠は白い衣装をひるがえし
太史慈にと置かれていた杯を手に取り、夜空に向かって差し上げた。

「・・・では呉の太史慈というお方、もしも逝ってしまわれたのなら
 この愚友と地獄にて 勝敗を決する事をお願いいたします。
 私はあの世にまで口出しいたしませんから
 心行くまでご安心して武を競い合って下さいませ」


白い衣装に月光が反射して不思議な光景を作り出す。
その幻想的な後姿は死者を送る仙女か、それとも死神か・・・。


・・・私には・・・死に際にそばにいてくれる白い死神であってほしい所だがな。


などと志悠に聞かれれば確実に殴られそうな事を張遼は密かに思った。


「・・・そして願わくば、人同士が悪戯に命を奪い合わぬ日が来る事を」


月の加減か、ほのかに青く見えた目を閉じて祈りをささげる。


それは酔狂でも芝居でもない。
志悠が本心から願う事の一つだった。


「・・・本当に・・・おぬしはひどいのかよい友人なのかわからぬな」
「?・・・なにか言いました?」
「いいや、なんでもない」

そう言って張遼は残っていた酒を全部流し込み立ち上がった。

「さて、声を出して笑ってすっきりした。・・・礼を言おう、すまぬな」
「ですから笑う話をしたつもりはないのですが」
「いやなに。今の私にとってはよい薬になったからな」
「・・・そう。それは結構」

そっけない返事だが志悠はそれでもその場を離れようとはしない。
さすがに腐っても友人と言うだけあって、置いて帰らない程度の思いやりはあるようだ。

「では遅くまでつき合わせた礼に部屋まで送ろうか」
「・・・結構です。私は夜の男を信用しない主義ですから」
「はは、それは手厳しいな。・・・ひょっとして前例でもあるのか?」
・・・余計な事を詮索されると、その口元のハの字をノの字に変えますよ?
「うむ、すまん。私が悪かった」




などと言いながらも仲良く歩く二人の後姿を
ただ雲の間からのぞく白い月だけが黙って見送っていた。










宴会後、張遼編です。
すっかり書きそびれてた2の話。
実はこれ書きたいがためにここのシリーズ作ったんですが
いやー色々別々に書いてるとみんな頭の中で色々会話して困ったもんだ。
太史慈の生死はご想像にお任せします。・・・だって太史慈好きだしね。



帰宅