志悠の朝は早くない。
かといって遅くもない。
どれだけ夜が遅くなろうと早く床についても起きる時間は変わりない。
つまり早い話が規則正しいのだ。
なので同じく規則正しい徐晃とは、必然的に朝一番に毎朝顔をあわせる間柄になる。
「おはよう徐晃。毎日毎朝飽きないのですね」
「・・・あ!おはようございます志悠殿!今日も・・・よ・・・良い天気で」
さりげなく皮肉を言われたのにも気づかず、毎日毎朝雪だろうが雨だろうが
なぜかどもりながら毎回同じことしか言わない朝稽古中の徐晃。
本当の所ここで「今日もお綺麗で」とほめてみたいらしいのだが
わざわざ志悠の通りがかる時間をはかって稽古にはげんでいるのに
正解を言えたためしは一度もなかった。
しかし徐晃にとっては朝から志悠にあう事自体に意味があるらしく、めげる事はない。
その地道な努力を知ってか知らずか、志悠はいつもその道を通る。
この一見地味な行動から、二人の仲がどれほどのものなのか
知るものはいまだ誰もいなかった。
朝食は決まった時間に血縁達、つまり夏候惇や夏候淵らと質素に取る。
半分は給仕が作るが、もう半分は女のたしなみだと言って志悠自身が作り
志悠が故郷から持参してきたという小さな円卓に心ばかりの朝食がならぶ。
「・・・薄い!惇兄しょうゆとってくれ、しょーゆ!」
「え?塩加減はきつめにしたつもりでしたのに」
「ダシ入れちまったらうすくなるんじゃねえのか?あ、ここコゲてるぞ」
「卵焼きというのは身近なようで難しいものですね。・・・はいお茶」
「・・・・(惇、無言で食べてる)・・・」
「惇兄、なんか言う事ねえのか?」
「・・・別にない」
「お吸い物の味はどうですか?」
「・・・悪くない」
「零の作るメシはなんでも美味いってさ!」
「黙って食え!ハシを振り回すな!」
「うわ汚ね!惇兄飲み込んでから怒鳴ってくれよ!」
「もう!お二人ともお行儀の悪い!
それと惇おじさまは卵は残してかまいませんから
そろそろにぎり箸をなおしてください!」
「・・・・・・」
色々と注文をつけるが参考になる夏候淵と、毎回黙って食うことしかせず
あまり参考にならない夏候惇との朝食を終えると即座に職務開始。
大量の書簡に目を通し、印を押し、指示を書き、会議、議論、報告。
国の内部事情を取り仕切り、文官数十人がかりの仕事を一人で素早くこなし
時には自ら町に出て民の声を聞き、ありとあらゆる情報をまとめ国を育てていく。
しかしその合間にこんなこともあった。
「し!ゆ!う!さ!まーーー!!」
などとかなりの距離があるにもかかわらず、めざとく志悠を見つけて
妙なポーズを決めつつ踊り飛ぶようにやって来る、志悠にとっては苦手な
万年自己陶酔人間張コウ。
「ご機嫌うるわしゅう志悠様!今日も職務にあけくれため息一つ吐かないあなたは
いつもながら冷静で毅然として大変お美しゅうございます!」
「・・・・・・それはどうも」
今あなたと会った時点で疲れてため息がでました。
と言いたい所だが、言ったが最後、なんのかんのとありとあらゆる憂鬱の理由を聞かれ
弁解に骨を折って時間を無駄にするのは目に見えている。
「とはいえあなたの身はたった一つしかない事を心得ておいてください。
職務に従事するあなたは夜空に輝く月のように美しく思いますが
月は太陽と入れ替わる事でその美しさを際立たせるもの。
時には地平線に身を隠し、英気をやしなう事もお忘れなく」
言い回しはややっこしいが、要するにたまには休めと言っているらしい。
「・・・わかりました。ご忠告しかとお受けしましたよ」
いつも妙なほめ言葉ばかり並べる張コウだったが
ごくたまに見せるこんな心遣いが志悠を本気で嫌いにさせない要因でもあった。
が
「はははは!しかしご心配なく!あなたの身の安全はこの張コウが自信を持って
たとえ雨がふろうが槍ふろうが虎戦車がふろうが(ムリ)この張コウ!
お倒れになるさいには素早くかけつけ迅速に私の部屋にお運びいたします!」
「・・・・・どうしてあなたの部屋なのですか」
「・・・ふ、志悠様。そのような事をお聞きになるとは意外と大胆・・・・」
ばちこーーーん!!
平手一閃。
かなり威力があったのか、長身のはずの張コウはきれいに宙を飛び
3メートルほど長い廊下を吹っ飛ばされた。
しかし張コウも武将のはしくれ(実際武将だが)。
地面に激突する前にくるりと空中で受身をとって優雅に着地。
しかもめげずに素早く間合いを詰め、赤くなった顔をさすりながら
たった今張り飛ばした志悠の手を気取ったしぐさで手に取った。
「・・・ふふ、相変わらず鋭くも強烈な閃光のごとき一撃。
この白くしなやかな手のどこにそのような力があるのかは
とても神秘的な謎であり、私だけが知りうる隠された魅力ですね」
「・・・・・・・離しなさい。怒りますよ」
「知優れ、心優しく、さらに強く鋭い鋼の牙をお持ちであらせられる零度の柱。
私にはない美しさを持ちながら決して表に出そうとしないのもまた隠された魅力・・・」
志悠が張コウで一番困るのが、この長い長い意味のないほめ殺し。
別にこれといって害はないのだが、無視しても忙しいからまた後でと言って逃げても
執拗に追いかけてきて自分の気が済むまでそれこそ延々続くのだ。
しかも害がない場合は殴り飛ばすわけにもいかないので始末が悪い。
「あぁ、張コウ殿、こんな所におられたか」
だが救いの神は意外と身近に存在する。
「おやこれは張遼殿。どうかなさいましたか?」
「どうもこうも・・・先程からそなたの(特殊な)部下達が探していたのだ。
普段ならすぐに見つかるはずの上司を苦労して探すのでは
そなたの見栄え、今日は衰えておるのではないか?」
それを聞いた張コウの顔がさっと真剣なものに変わる。
「いえいえ、滅相もない。今日は朝からとても調子も気分もよいので
敵将遭遇時の決め姿勢を二十三ほど考えて、内三十六ほどものにしたのですよ」
「・・・十三ほど増えておるではないか」
「ははは、私の美学の思想は沸き出でる泉のように常に流動するものなのですよ」
それはただ単に気が多いだけです。
と、思っても話がややこしくなるので口に出さない志悠だった。
「とにかく伝えたぞ。部下を待たせるような無粋な事、なさらぬようにな」
「はい、ご忠告感謝いたします。
では志悠様、またいずれ近いうちにお会いいたしましょーう!」
言って張コウ、額を押さえている志悠に
いつも通り優雅で余計な動作がやたら多い一礼をすると
妙な動作で廊下をすべるように走り去っていった。
「・・・助かりました」
「いやなに。困った時はおたがい様。そなたがよく言う通りにしたまでだ」
「ですがおかげさまで司馬懿殿に渡す報告書の提出が遅れてしまいました」
「はは、さすがに私もあの方との仲裁はできぬな。
ま、周囲の文官達を胃炎にさせて殺害せぬ程度にしっかりされよ」
「・・・他人事となると楽しそうですね張遼」
「他人事だからな」
志悠、時々この男がなぜ友人であるのか
疑問に思う今日このごろである。
そして張遼の言う魏の文官達の中で最も恐れられているのが
軍事面を取り仕切る司馬懿と、内政面を取り仕切る志悠が出席する会議。
この会議、別名「銀氷と紫毒の聖魔大戦」と呼ばれ
同席した文官の半数以上が神経性胃炎にかかると言われる
恐ろしい戦・・・・・・でなく会議なのだ。
「しかしそなた、いりもせぬのに相当な胆をお持ちだな」
言い方はほめているが、目と口調が完全に見下し状態の司馬懿。
「そちらこそ何千人もの兵を踏み台にしておきながら随分と寛大ですこと」
対する志悠は涼しげな笑顔を浮かべながら、声だけに軽蔑感を満載させる。
「今月の徴兵数一都3000弱。この苦境の中先月より1000も減らしたこちらの案
志内政官殿はみすみす棒に振られると申すのか?」
「こちらとて苦汁の決断をしているのです。以前から申し上げている通り
国には兵力よりもまず土地を肥やす民が必要なのです。
それを成人したとたん徴兵に持っていかれては・・・」
「だが近隣の諸国にとってはそのような事情知った事ではない。
今日この時にも領土を広げようと機会をうかがっておるのだぞ?」
「ですがあなたの軍事はやり方が強引なのです。
兵一人が民一人、民一人が国力の一つ一つなのですよ?」
双方睨み合いの後、二人の間で冗談抜きの火花が散った。
「それをうまく循環させるのがそなたの仕事ではないのかな志悠殿?」
「兵の使い方を心得ていない司馬懿殿にも責任の一端があるのではありませんか?」
室内の空気が急に重くなり文官の何人かがコソコソと部屋のすみへ避難する。
「・・・兵法を知らぬ分際で、私に意見されるおつもりか」
「・・・着ている服が何で出来ているか知らぬお方が
私の職務に口出しなさるおつもり?」
風もないのに室内の窓という窓がガタガタ音を立ててゆれ
いくつか用意されてあった茶器になぜかビシバシヒビが入る。
お互い高い地位にあり信頼をえている職業柄
さすがにいきなりビームを撃ったり机を蹴ってひっくり返す暴力沙汰に発展したりしないが
その分口論と威圧感と正体不明の気迫で勝負を始めてしまうので
ごく普通の文官達にとってはその静かで猛烈な攻防が逆に怖く感じるのだ。
「・・・殿」
曹操の後で控え、強烈な冷気と毒気にあてられ
かんべんしてくれよと顔をしかめていた典韋が耳打ちした。
「・・・しかたあるまい。見計らって仁と淵を呼んでまいれ」
「へい」
結局、その後わけもわからずやって来た夏候淵と
また始まったのかとため息をつきながらやって来た曹仁によって
その重苦しい会合は幕を閉じる。
「天才は同じ天をあおぐ事なし・・・か」
才を愛す曹操も、この時ばかりは人選あやまったのでは・・・
などと思ったりしつつ、残った文官達と会議の後処理を地道にこなすのだった。
「・・・しかし毎度毎度、飽きぬのだなおぬしは」
「子孝様、それは私が徐晃に言う台詞です」
喧嘩別れの会合の後、曹仁のもらした言葉に
志悠は怒りのためか早歩きをしつつ、妙にズレた答えを返してきた。
「まがりなりにも互いに実力を認めた者同士、一体いつまでいがみ合うつもりか」
「司馬懿殿がご自身で和解を申し立てるまでです」
絶 対 無 理
忍耐強い曹仁の脳裏に、あっさりと問答無用の結論だけが浮かぶ。
「・・・自分はどちらかと言うとおぬしの意見に同意する部分が多い。
だが司馬懿殿にも軍師相応の理念というものがあろう」
「それはわかっているつもりです。・・・ですが・・・」
「相手を否定する事は簡単だ。だが相手の意見を理解しようとする事も和解の手段。
今ごろ夏候淵殿も堅固な軍師殿をそなたと衝突させぬために苦労・・・
・・・は・・・しておらぬか。ともかく色々と激励しているやもしれんのだぞ」
「・・・・・」
志悠の歩調が少し落ちた。
「今は戦乱だ。そなたの命を重んじる志、通らぬ事も多々あろう。
だが少なくともそなたはその信念と共にここまで上り詰めたのだ。
あせる事はない、陣中の敵もいずれは志を知る同士となる日も来よう。
それに・・・自分はおぬしの言う「戦だけが乱世の解決方法ではない」という言葉
今も信じておるのだからな」
少しづつ歩調の落ちてきた志悠が、とうとう完全に足を止めた。
「・・・子孝様」
「何だ?」
「・・・・・・すみません」
「なに、あやまる事などない。自分もそなたに助けられた事、多々あるのだからな」
そう言って曹仁は細い目をさらに細め、ようやく笑みを浮かべた。
ちなみに夏候淵の方は司馬懿の長く難しく高慢な愚痴を
さんざん聞き・・・流して帰ってきた。
二人の間にどんなやり取りがあったのかは不明だが
司馬懿は珍しく次の会合で志悠とにらみあいをする事はなかったという。
「しーゆうさま〜〜!」
昼も過ぎたころ、甄姫と午後のお茶をのんでいると
聞きなれた声と共に重量のある足音がやってくる。
「あら、許チョ。新しい物ですか?」
「うん、行商がきてたからいっぱい買ったんだ〜。はい志悠さまの〜」
どざ。と、卓上に置かれたのは
あまり志悠さまの分とは言いがたい大量の菓子類。
「ありがとう。ではお代は後で届けさせますね」
「は〜いだ。じゃあおいらまだ仕事があるから」
「えぇ、しっかりね」
どたどたと去っていく許チョを見ながら
妙になれたやり取りを黙って見ていた甄姫が苦笑した。
「・・・本当に、妙な取り合わせですわね」
「何がですか?」
「容姿はもちろん職も立場も違うというのに
あなたたちはお菓子をはさむととても仲がよろしいのですもの」
「ふふ、好みの共通する所が多くて何より邪念がない所がよいのですよ」
「それはかまわないのですが・・・それ、一度に全部めしあがるおつもり?」
「そのつもりですけれど?」
「・・・・・・」
「あ、よければいくつかお分けしますよ?」
「い・いえ・・・遠慮しますわ」
嫌いではないがちょっと常識を越える量の菓子を横目で見ながら
甄姫はうれしそうに物色している志悠を見てため息をついた。
そしてすべての職務が終了し、朝と同じく血縁たちと夕食をとり
さらに仕事をしてから床に付くのだが・・・この時間は特にこれといって決まっていない。
仕事が早く済めば早く休み、残っていれば終わるまで寝る事はなく
他の部署の仕事が残っていていれば付き合うこともしばしばある。
今日は自分の仕事は消化してあるので、夏候淵の残した書類仕事を手伝い
警備をしている曹仁に夜食を作る。
そうしてその日はすべて終えて自室に帰る途中、巡回中の典韋に合った。
「あら典韋、ご苦労様」
「うっす、あねさんも夜遅くまでご苦労様です」
「いいえ、私は趣味でやっているだけですから」
「いや、わしにゃそうやって他人の世話まで焼こうなんて思えませんよ。
ホントあねさんにゃ一から十までなんもかんもかなわねぇや」
「ふふ、言い過ぎですよ。私だってない物がたくさんあるんですから」
「そうすか?」
「そ。たとえばそのお顔(指す)。初対面の人には怖い印象しか与えないその強面。
敵に威圧感をふりまき、味方すらも威嚇するその形相。
私もそのくらいのお顔があれば、無駄な偏見から逃れられたでしょうにね」
「・・・・・あねさん・・・・それ・・・・・ほめてねぇし、無理言いすぎ・・・・・」
そうして色々な事をこなした志悠の1日は終わる。
自室に戻り気が向けば日記をつけてみたり、気に入った本があれば夜遅くまで読んだり
普段は内政官として数十人の文官を束ね腕をふるう志悠も
仕事から離れれば普通の女性とあまり変わりはない。
「・・・志悠、いるか?」
そろそろ寝ようかと思った時、この部屋を訪ねる回数の最も多い人物の声がする。
「・・・惇おじさま?」
「夜分すまん。少しいいか?」
このくらいの時間に尋ねて来る理由は大体決まっている。
そう思って扉を開けると、思った通り武装した夏候惇がいた。
「・・・これから出立ですか?」
「うむ、急な事でな。まぁ三日ほどで帰ってこれる」
魏にいる武将の中でなぜか夏候惇だけは
出陣前にかならず志悠に会いに来るという習性がある。
なぜかと言っても夏候惇いわく「・・・一応」としか返って来ないが
志悠はとくに何も言わずにいつも見送りをしてくれるのだ。
「じゃあ・・・行って来る」
「はい、お気をつけて」
短い会話を交わし大きな背中を見送り、志悠の一日は終わる。
城にいる時間が他の面々より多い彼女は、ある意味城の守り神でもあるのだが
夏候惇にとっては城を出る時も戻る時も、いつも嫌な顔ひとつせず出迎えてくれる
妻のような存在でもあるのだ。
志悠に最も近い血縁の夏候惇。
彼が時々こうして密かに夫婦気分を味わっている事は
今のところ本人にしか知られていない。
かなり前から下書きなしで書きだめして
途中から曹仁を無理矢理つめこんだ非常にアホなブツです。
緋竜と比べて志悠は真面目っぽくて書きにくいんですが
周りの濃い面々がフォローしてくれて大助かり。
惇兄がさりげにおいしい所どりしてるのはなぜなのか、自分でも不思議。