「すまぬが成都へ行ってもらえるか?」

「・・・・・・・・・、・・・・・・はぁ?」


いつも通りの事務的報告の合間に君主の口から放たれたのは
まるでタバコ買ってきてくれといわんばかりの気軽な口調の重大発言。

志悠は地名を聞いて魏の領地の地図を思い浮かべ
一瞬遅れてそれが魏の領内ではないことに気付き怪訝そうな顔をした。

成都ととは蜀の領地、しかも首都だったはず。

「蜀の成都の話でしょうか」
「うむ」
「・・現在呉と共に敵対中の蜀でしょうか」
「いかにも」
「・・・理由は?」
「外交交渉だ」
「・・・・なにゆえ私に?」
「適任と判断したまでだ」

てきぱき返って来る冷静な返答からは妙な周到性がうかがえ
曹操の性格を知る志悠はさらに眉をひそめた。

「実は先方から話し合いの場をもうける申し出があってな。
 最初は司馬懿に行かせようかとも思ったのだが、呉との軍事のこともある。
 それにあやつは若干短気な所があるので外交には向かんのだ」
「・・・・・」
「何分申し出をしてきたのはあの諸葛亮。
 奴の真意を見抜き蜀との状況を悪化させぬ人員はおぬししかおらぬと思うてな」

無表情に聞いていた志悠が静かに口を開く。

「・・・前半はともかく、後半は嘘ですね」
「なぜそう思う」
「殿なら真意を見抜くと言う前に、見事おぬしの口上で蜀を説き伏せてみよとか
 屈服させて蜀を手土産にしてまいれとか、野心あふれる事をお言いになるはず。
 わざわざ内政の人手をけずり私を派遣するという事は
 あちらの接触条件に私の出頭が入っていると見ましたが」

真剣な面持ちで聞いていた曹操の顔が満足そうにゆるんだ。

「うむ、見事。さすがわしの目をつけた女だ」
「おほめをいただいたところでカマをかけられていては嬉しゅうございません」
「はは、まぁそうむくれるな。
 おぬしの言う通り、今回の会合こちらの代表としておぬしを指名してきておる。
 対する蜀は諸葛亮じきじきに会合におもむくと申し出ておってな」
「信用するおつもりですか?」
「結論からして・・・五分だな。
 真実なら奴の腹をさぐる絶好の機会。だがいつわり、もしくは策略だった場合は・・・」
「私の身に何が起こるかわからない、ですね」
「そういうことになる」

志悠は少し眉をひそめた。

「ですが妙ですね。なぜ軍事をにぎる司馬懿殿ではなく内政官の私を?」
「わしもそれを司馬懿に聞いてはみたのだが
 『行かせればよいのです。策にかかって捕らえられれば、所詮はそれまでの者』
 とすげなく突っ返されてしまったわ」
「・・・あの方らしいこと」

それ以前に他人を信用しない司馬懿らしいともいうが。

「それで・・・おぬしの意見はどうだ。わしとしては中々に興味深い話だが
 以前街亭であった事態を考えると強制する気にはなれぬ。
 あちらも膠着状態を悪化させる下手な真似はせぬだろうが
 君主が温厚な劉備であれど、何分発案者が諸葛亮であるため、思案が少々難しい」

劉備の事なら志悠も知っている。
彼ならまず間違いなく外交に訪れる者を人質に取るような無粋なマネはしないだろが
しかし策略の天才諸葛亮ならどうだろう。
何しろ魏を討つために国一つを戦にかり出しかなりの戦力差を
たった一策一戦のうちにくつがえした人物だ。

「そこでだ、最終的な判断はおぬしに一任することにしたのだが・・・
 どうだ、やってくれるか?」
「・・・・・」

天才軍師、諸葛亮孔明。
その知略は国すら持たなかった劉備を助け
今や三国の三分の一をしめる国を作り上げるきっかけとなった
知らぬ者はいないほどの人物。
直接会って話をするというのには、志悠にとってもかなり魅力のある話でもある。

だが相手はわざわざ自分を指名して自分の手の内を
敵にさらそうとする大胆な行動に出ようとしているのだ。
司馬懿なら確実に計略ありと見てこの提案に乗りはしないだろう。

しかし志悠は魏とまったく逆のやり方で蜀が民の信頼を集め、国を築いてきた事も知っている。
それに今は三国とも冷戦状態。
どの国も下手に動けば国情が悪化する可能性もある。

しばらく思案した志悠は答えを決め、口を開いた。

「・・・お受けします。行政の方、皆様にお任せしてよろしいでしょうか」
「わかった。では返事は出しておく。
 こちらの事は気にせず、ともかく無事に帰って来る事を最優先させよ」
「承知しました」

さすがに心配なのか、できうる限りの情報を掴めとか
関羽を降らせろとか要求らしい要求を曹操は言わなかった。

「あぁ、それと・・・今の事に関して一つ問題がある」
「?」
「・・・元譲にまだこの事を話しておらんのだ」
「・・・あ」

多少そっけないながらも一番の心配性である血縁夏候惇の事を思い出し
志悠は少し困ったような顔をした。

おそらく話をした瞬間。

『ならん!!!』

と言って大激怒し、説得しても

『そんな単身敵地に乗り込むバクチに付き合う必要などどこにある!!
 ならん!絶っっ対ならん!!
 たとえ孟徳の命でもならんといったらならん!!
 行きたいのなら俺を力ずくで踏み越えて行けーー!!』


とか娘を駄目男に取られる父親のような事を言い出し
志悠千里行が開始されるのは目に見えている。

張遼や徐晃は心配するだろうが、きちんと話せば納得してくれる部類。
典韋と甄姫、曹仁は志悠を信頼してくれているのでおそらく反対はしない。
許チョは心配してついて来たがるだろうが、親衛隊の仕事を重視しているだろうし
夏候淵は絶対帰ってくると約束すれば快く見送ってくれるだろう。

司馬懿は問題外。

問題は曹操のあげた夏候惇と
はってでも転がってでも飛んででもついて来そうな張コウだ。

「十中八九、約二名はわしの命だと言っても聞かぬだろうな。
 反対して蜀に単身特攻するか、意地でもついていこうとするかのどちらかだな」

何か他人事のように言う曹操に志悠はジト目を向ける。

「・・・・・・殿、まさか私に説得しろと?」
「なんとかは盲目の奴をわしがどうこうできるものではなかろう」

上訳:めんどい

志悠、心の中で曹操に蹴りを入れ、ため息まじりに額を押さえる。

「・・・では少々お時間をいただきたいので、先方にはそうお伝えください」
「うむ、わかった。わしの部下ども、見事振り切ってみせよ」
「えらそうに問題を試練にすりかえないでくださいませ」


そして志悠が許昌を出発したのはそれから三日後の事だった。





「・・・で、その説得で妥協の条件に自分の同行を組み込んだというわけか」

成都への道すがら、志悠の乗る馬車の窓ごしにいきさつを聞いていた曹仁は
馬の背の上で少しあきれたように肩を落とした。

「・・・すみませんでした子孝様。
 蜀でもめ事を起こさず穏便に護衛のつとまりそうな方というと
 子孝様しか該当する方がいらっしゃらないもので・・・」
「いや、それは別にかまわぬが・・・。
 しかし前々から聞こうと思っていたのだが、そなたを取り巻く連中と言うのは
 それほど手におえぬ輩なのか?」
「いえ、普段は有能で頼りがいのある方ばかりなのですが・・・
 血が上ると駄目になる方や突発的な行動に走られる方もおられまして」
「・・・・・難儀な話だな」

今志悠がつれているのは必要最低限の荷物をのせたこの馬車と
付き人数人の乗る馬車の2台。曹仁とその部下数名。
あまり多人数で行くと警戒され、いざという時動きがとれないので
志悠が選んだ選択だった。

今にいたるまでにはまず最初に夏候惇に猛反対された。
それは甄姫と曹仁、夏候淵に説得され志悠のビンタと嘘泣きで
なんとか解決はできた。

だが張コウはいつもの酔ったような様子もなしに、真顔で「お供します」の一点張り。
おそらく街亭での事を根に持っているのだろうが
いつもなら上手く言いくるめてくれる張遼の言葉すらまるで聞かず
結局何を言っても「お供します」しか言わなくなってしまった。

最終的には業を煮やした司馬懿に乱舞焼きされ
甄姫に往復ビンタで気絶させられたところを典韋に簀巻きにされ
許チョの牛型武器をおもりに倉庫へ放り込まれたらしい。

「私は殿にくらべればただの内政官だというのに
 惇おじさまはともかくとして、どうして皆様あぁも大騒ぎなさるのでしょうね」
「はは、おぬしには劉備殿のような人をおのずと引きつける何かがあるのだろうな」

志悠が目の間を押さえながら窓越しにもれてきそうなほど
大きくて重いため息をついた。

「・・・それ、甄姫様にも言われましたけれど
 喜ぶべきかどうか・・・今だに判断しかねます」
「ははは!であろうな」
「・・・張遼ではないのですから人の苦悩を笑わないでください」
「いや、すまんすまん・・・ん?」

なごやかに話をしていた曹仁の顔が急に厳しくなる。
前方から自軍のものではない小隊がこちらにやって来るのが見えたのだ。

「・・・来たぞ、ここからが正念場だ。
 おたがい策に飲まれぬように用心をおこたるな」
「承知しました」

志悠は馬車の窓を閉じ、曹仁は警戒のため馬を馬車の前へ進めた。

少しして蜀軍と思われる兵数人と、その将とおぼしき若者が
馬車の前までやって来て馬車を止めた。

「魏の志悠様の馬車とお見受けしますが」

最初に話しかけてきたのは将と思われる若い青年だった。

「いかにも。自分は護衛のため同行した曹仁子孝と申す。
 そちらは蜀よりの使者の方々であるか?」
「はい、私は丞相の命を受けお迎えにあがりました姜維伯約と申す者。
 成都までのご案内をさせていただきたく参上しました」

聞いた事のある声と名前に志悠が馬車の窓を少し開けて外をのぞいて見ると
見覚えのある青年が曹仁と何か話しているのが見える。
やがて馬車と蜀の隊は一緒に動き出したが
志悠はころあいを見計らって窓を開け、近くで馬を進めていた青年に声をかけた。

「・・・街亭以来ですね、姜維殿」
「・・えっ!?あ!覚えておいででしたか!?」

どうやらむこうは自分の事などとうに忘れ去られていると思っていたらしく
姜維は仕事中だというのに嬉しそうに顔をほころばせた。

「戦場であるにもかかわらず誠意ある対応をして下さった方ですから
 忘れるなどと失礼な事はいたしませんわ」
「い、いいえ!そのような・・・恐縮です」

むこうから心配そうな視線を向けてくる曹仁に大丈夫とうなずきながら
志悠は魏で見た資料の内容を思い起こした。

姜維伯約とは諸葛亮の後継者的存在で、知にも武にも優れる将だとあり
事実上諸葛亮の次ぐらいに警戒すべき人物のはずなのだが
だが実のところ、志悠としてはあまり危険人物の部類に属していないと思っている。

なぜかと言うと・・・

「それにしても以前お見かけした時より大人びましたね。
 ひょっとして世帯でもお持ちになりましたの?」
「いっ!?いいえ!!そんなめっそうもない!!
 私などまだまだ弱輩者!そのような事などまだありえません!」
「あら、ではその前提になる方でもできたとか?」
「かっ、からかわないでいただきたい!」

こんな軽い冗談で素直な反応が返ってくるような事を
演技でできる輩などおそらくいないだろう。

成都までの道のりを志悠はずっと姜維とたあいない話をしてすごした。
事情を知らない蜀の兵はその光景を不思議そうに見ていたが
曹仁は事情をのみこめたのか黙って馬を進めている。
魏にはこのようにからかえる相手が少ないし
何より若いのが話のはずむ要因なのだろう。

そう言えばこちらの年齢層は少々高目だからな。
曹仁はそんな事を考えながら遠くに見えてきた成都の都を見つめた。

やがて成都への門が近づいてくると、姜維が少し名残惜しそうにしながらも
報告のため先に門を開けて入って行く。
志悠の乗る馬車はしばらく門前で待たされたが
少しして何人かの従者がやって来て中に入ることができた。
城の前に馬車を止め、志悠と曹仁、数名の従者と護衛兵は城へ入る。
魏ほど大きな城ではなかったが、君主の人柄がよく出た内装で
豪華というより質素で落ち着いた気品ある城に志悠は隣を歩いていた曹仁に
つぐんでいた口をようやく開いた。

「家は住む人の人柄を表すといいますが本当ですね」
「そうだな。自分はもう少し多い兵に出迎えられると思っていたのだが」

曹仁の言う通り、あまり多人数で来ていないので警戒されていないのだろうか
城内を歩いている間案内の者以外に時々巡回の兵とすれ違うだけで
監視の兵などはつけられていない。

「信用しているかもしくは・・・事態相応の自信があるのか
 おそらくどちらかだろうが・・・どう見る?」
「両方でしょう。こちらは相手の手の上、援軍要請はできませんから
 こちらが下手な行動をとれないのは承知でしょうし、もし不測の事態があったとしても
 魏に知られるにも時間がかかりますからね」
「・・・おいおい、自分はそなたを無事に魏に連れて帰ると
 皆から散々念入り厳重に言われて来たのだぞ?」

出国前に一歩進むごとに志悠の事を頼むの守れのつれて帰れどうのこうのと
さんざん言われた曹仁は少し困ったような声を出す。

「ご心配なく。私とて魏の柱と呼ばれる者ですもの。
 たとえ他国の膝元であろうともたやすく折れるような事はありません」
「・・・そうか」

静かな言葉とまっすぐな目。
志悠がこう言いきって切り抜けた窮地は一度や二度ではない。

「そなたがそう言うならワシからはもう何も言うまい。
 自分はそなたの背を守る事に集中しよう」

その言葉に志悠が少しすまなさそうに頭を下げてきた。

「・・・申し訳ありません子孝様。私の無謀な試みにお付き合いしていただいて」
「なに。もし自分もそなたと同じ立場ならおそらく同じ選択をしていただろう。
 武のみでは乱世はおわらぬと自分に語ってくれたそなたが選んだ道なのだ。
 ならば自分は同じ道を行くまで。今さら後悔などはせぬさ」
「・・・はい」

そんな会話をしながら二人は大きくはないが会議に使われるらしい大広間に通された。
中にはあまり人がいなかったが、窓の近くで外を見ていた長身の人物が
二人を見つけて近づいて来る。
それは志悠と曹仁が少し前まで知っていた人物だった。

「おぉ、お久しゅうござるなご両名」
「まぁ関羽殿!」
「関羽殿か!」

それはかつて曹操の元にいた事のある関羽だった。
志悠は当時仕官したばかりで似たような境遇にいた関羽とは仲がよく
曹仁は何かと引き入れたがる曹操をかわすのに世話になった仲なのだ。

「姜維から話は聞きもうした。お二人ともご立派になられましたな」
「いいえ、関羽殿こそ三国有数の名将となられるほど御立派になられて」
「うむ、殿があの当時貴殿を是非にと欲したのも・・・今となってはわかる気がいたしますな」
「はは、何をおっしゃるか。お二方こそ片や内部の氷柱、片や外部の鉄壁と
 どちらも魏になくてならぬ存在だと、ここまで聞きおよんでおりまするぞ?」
「ははは、そちらこそいまだに良い将の見本として殿が一番に上げられる方であろうに」
「ご謙遜なさる所も相変わらずですわ」
「いやいやそちらこそ・・・」

本人達は意識していないが、それはまさにほめ殺し合戦である。

「ところで関羽殿、あなたはこのたびの招待の真相について何かご存知ですか?」
「いや、拙者も先日初めて事の次第を聞いていささか驚いた。
 丞相にもそれとなくわけを聞いたのだが・・・」
「はぐらかされましたね?」
「・・・うむ」

関羽は関羽なりに志悠の事を心配していたらしいが
さすがに諸葛亮、身内であろうと手の内はあかさないらしい。

「とはいえ少し心配で丞相にこたびの会合同席させていただくよう頼んでみたが
 これは意外とあっさり承諾していただいた」
「では物騒な事態になる可能性は少ない、ということになるのか」
「うむ、少なくとも拙者にはそう思えるのだが・・・・」

志悠は少し考えた。
関羽の言う通りならこちらとしても気を張る必要ないが
なにしろ相手は策の天才。場合によっては味方をあざむく事も十分ありえるだろう。
関羽が嘘をつくとは考えられない以上、やはり本人に会って話をするしかない。

策士というものは自分以外を信用せず本心をけして明かさないというが・・・
自国の始終顔色のすぐれない軍師の顔を思い浮かべながらそんなことを考えていると
扉がノックされて開かれ、外から白い長衣に見を包んだ男と、軽い武装をした女性が一人
最後にいくつかの書簡をかかえた姜維が入ってきた。

男の手には服と同色の白い羽扇。
それだけでその人物の正体は知ることができる。
志悠と曹仁の推測した白づくめのその人物は静かな動作で一礼した。

「お初にお目にかかります。志悠殿、ならびに曹仁殿。
 蜀軍師、諸葛亮孔明にございます。以後お見知りおきを」

策の天才はさらに隣についていた女性をさしてこう続けた。

「こちらは妻の月英。今回私の補佐と護衛のため同席させていただきます」

会釈をする女性を見ながら志悠が少し意外そうな声を出した。

「まぁ、奥様が護衛を?」

軍師の妻で書記補佐というならまだ話はわかる。
武術も護衛もこなすとなるとこの乱世戦う女性は珍しくはないが
文武両道とはさすがに天才の妻、なかなかの賢婦である。

「私はあまり武芸に関して秀でてはいませんので
 ある程度の補佐と身辺警護は妻に一任しているのですよ」
「・・・一風変わっているようですが、それもまた良き夫婦の手本ですね」
「はは、お恥かしい」

諸葛亮と月英が少し照れたような顔をした。

警戒すべき相手とかわす会話らしからぬ世間話をしながら
両国の使者は席につき、諸葛亮の隣に月英が座り、少し離れて姜維が立つ。
対する席に志悠。背後には曹仁が立ち、両方の中央の席に関羽が腰を落ち着けた。

「では今回あなたをお呼びだてした件について簡単にご説明いたしましょう。
 とは言え、私共も少々勝手な条件を提示してしまいましたので
 あなたがたのご好意に感謝するという事もかねて
 内容は嘘偽りなく手短にお話いたしましょう。
 魏の上層部であなたの身をご心配なさる方々は多々おられるでしょうから」

背後にいた曹仁の目が少し険しくなるが、志悠は顔色一つ変えず微笑を返した。

「よくご存知で・・・と、言うより調査済みですね」
「職務上、情報収拾には万全の構えを取らなくてはならないもので」

ということは内政の大半を仕切っている事も
眼帯の鬼将軍や駿足の蝶々将軍に溺愛されている事も全部知っているのだろう。

というかこの男、知らない事がないという風な特殊な気配がある。
さてこの天才軍師はすべて知っていて何を企んでいるのかと
志悠が心の底で緊張感をたぎらせていると
その事を察したのか双方の中間にいた関羽が口を開いた。

「丞相殿、彼らは拙者が曹操殿の元にいた際色々と取り成していただいた方々だ。
 差し出がましいのは承知の上、ここは拙者に免じて穏便に願えぬだろうか」

それに黙って立っていた姜維も続ける。

「私からもお願いします丞相。
 この方は戦場でも礼を忘れる事ない聡明で話のわかるお方です。
 勝手な申し出かもしれませんがどうか・・・」

五虎将筆頭と弟子の真剣な様子を諸葛亮は静かに手を上げて制止する。

「お二人とも心配なさらずともかまいません。
 私は計略のためにこの方をお呼びだてしたのではないのですから」

諸葛亮がそう言うと、月英が持っていた資料から
いくつかの書簡を志悠の方に渡してきた。

「・・・これは?」
「私共が現在進めている開墾地の発展状況をまとめたものです」

志悠は手に取りざっと目を通し・・・半分読み終えた所で不思議そうに顔を上げた。

「・・・芳しくありませんね」
「私共の国は元々堅固な地盤を持っていたわけではありません。
 殿を信頼する民は多々存在しますが、なれない土地を一から開墾するには
 並々ならぬ努力とそれ相応の知識と経験が必要なのです」
「・・・・」
「私とて万能ではありません。軍事内政政治すべてをまかなうには
 蜀は今の私共には少々大きく、そして何より若いのです」

その言葉でその場にいた全員に
諸葛亮が何を言いたいのか大体の推測がついた。

「つまり・・・私を名指しで呼んだ理由とは
 内政についての手ほどきをしろ、と言う事なのでしょうか」
「単刀直入に言い替えるとそうなります」

なるほど、それなら志悠を指名して呼んだわけも
反対をさせないため単身で入国させたわけも合点がいく。

事前に事情を説明すれば、まず間違いなく却下されるだろうし
司馬懿の耳に入ろうものなら計略策略のねじれたよからぬ事態に
発展するのは目に見えて確実。

志悠単身なら話を通しやすいと思ったか
それとも情に厚い志悠なら断ることができないと踏んでいたのか。

「・・・ですが何も私でなくとも同盟を結んでいた呉に知恵を拝借した方が
 賢明なのではありませんか?」
「いえ、実は赤壁の一件以来呉の大都督殿が私の事をいたく警戒しておりまして
 しばらくは接触すべきではないと考えているのです。
 それに・・・現在三国において最も優れた内政を行える人物と言えば
 志悠零殿と相場が決まっております。・・・とそこの姜維もそう申しておりますし」

突然話に出された姜維が一瞬びくっとして
慌てて志悠から目をそらした。
という事は、おそらく嘘ではないのだろう。

しかしこの提案には一つ重要な問題が残されている。

「お褒めに預かり光栄ですが、もしも私がそちらの提案を受諾した場合
 私は立派な反逆者になってしまうのですが」
「では言い方をあらためましょう。取引をしませんか?」
「・・・?」
「あなたの内政の手腕を提供したいただく見返りとして
 滞在期間中、私共の領内を自由に視察する権限を提供いたします。
 もちろん滞在中の魏国間との戦闘および脅迫行為はいたしません」

それはつまり滞在中諜報し放題ということになるが
内政活動をするならおのずと国内の事情は把握できるだろうし
志悠側に利点がある提案とも思えないが・・・

いや、違う。

元々この外交、魏側に有利になるものではない。

諸葛亮は知っているのだ。
志悠が戦を嫌う事を。

たとえどのような情報がもれたとて
志悠は乱世をみだす情報を持ちかえり吹聴する事はないと読んでいるのだ。

つまり
承諾すれば国の地盤は固まり開戦への時間が稼げる。
断ることは開墾に力を出す健気な民を見捨てる事になる。

冷静を装っていた志悠の眉間に露骨なほどのしわが寄った。

「・・・一石二鳥というわけですか」
「さすが、お察しの良いことで」

軽くにらんだ志悠の言葉を諸葛亮はあっさり肯定する。

・・・なるほど、司馬懿殿が毛嫌いするわけですね。

善意と策意が交差する口調と何もかも知り尽くしたかのような
ひどく落ち着いた諸葛亮の表情を見ながら
志悠は珍しく司馬懿の気持ちを理解する事ができた。

「・・・わかりました。お引き受けしましょう」

曹仁が何か言おうとして鎧をきしませる音がするが
それを片手を上げて制止する。

「ただしこちらにも相応の条件があります。
 まず私共が滞在する期間、魏との交戦および計略行為を禁ずること。
 障害、脅迫、監禁行為、双方を刺激するような行為を一切行わない事を要求します」
「・・・それは魏にもあてはまる協定でしょうか」

諸葛亮はさして動じもせず羽扇を軽くあおぎ
志悠の目も意志を強めるように静かに細められた。

「義と仁に厚い、蜀のあなた方の行動次第と言う事です」

その瞬間、その部屋の空気がこれ以上ないほど張り詰める。
諸葛亮が目を細めて羽扇を一つあおぎ、少し間を置いて口を開いた。

「・・・承知しました。では双方承諾と言う事でかまいませんね」
「お互いの良心を信じましょう」

いましめとも取れる志悠の言葉を諸葛亮は微笑でかわし
そうして一見穏やかだが、静かな緊張感につつまれた蜀と魏の会合は
はらはらしながら見ていた関羽や姜維の心配をよそに、そうして幕を閉じた。








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