「・・・張遼」

門の前でたたずんでいた張遼の横に今日三頭目の馬が並んでくる。
声の方を見上げると志悠が栗色の馬に乗り遠くを見ながら
いつもと変わらない静かな口調でこう続けてきた。

「おじさまはまだ?」
「いえ、今だ帰っておられません。物見の報告では関羽殿を乗せた船が
 北上したとの知らせはありましたが・・・」
「そう・・」

別に心配する風でもなく静かに相づちをうった志悠だったが
ふと何か思い出したように張遼を軽く睨んだ。

「張遼、私に敬語はいらないと言いませんでしたかしら?」
「ん?・・あ、いや、すみま・・・ではない、すまん。ついいつもの調子で・・・」
「・・・もう。徐晃にしろあなたにしろ、いつまでたっても私を同じ目線で見てくださらない」
「・・いや、悪い。わかってはいるが、そなたの口調を聞いているとどうにもすぐに反応できなくてな」

志悠は親しい者に敬語を使われるのを嫌っている。
大幅な身分の違いがあるのならしかたないが、身近な人間に敬語を使われるというのは
まだ妙な壁があるようで好まないのだ。

「ところで・・迎えに行くのではないのか?」
「そうしようと思っていたのですけど、今ごろ一人でふてくされているのではないかと思うと
 なんだかそっとしておきたくなりまして」

少し楽しそうに言って志悠は笑う。
こんな冗談を言って笑うのも気を許している証拠だという事を、普段の彼女を知る張遼は知っていた。

「しかしほっておくわけにもいくまい。私が行こうか?」
「あ、おやめなさいな。あなたが行くと余計にすねてしまいますわ」
「・・・・そうか?」

笑っていいのかどうかわからず張遼はあいまいな表情になる。
それからしばらく二人して門の外を眺めていたが、志悠の乗っていた馬が
退屈したのか軽く首をふっていなないた。

「・・・あら、ごめんなさい。ではちょっと行ってきます」
「一人で大丈夫か?」
「えぇ、ご心配なく。手当ての用意をお願いしますね」
「わかった、気をつけてな」

そしてようやく走り出した志悠の馬を張遼はしばらく見送っていたが
おそらく傷だらけになって帰って来るだろう曹操の片腕の手当てをするべく城内へと姿を消した。


途中すれちがった護衛兵の話で、当人は一人にしろといってその場に座り込んでいるらしい。
何度も説得したがガンとして聞き入れなかった所、相当いじけているようだ。
申し訳なさそうにうなだれる護衛兵たちをなぐさめ、とにかく先に帰るように命じた志悠は
さらに馬を走らせる。

そしてそれはほどなく広い平原の真ん中に見つかった。
見慣れた青い後姿は愛用の刀をかたわらに突き立てたままあぐらをかき
近くまでよっても振りかえる様子もない。
志悠は馬から降りて後ろに立ってみるが、やはり反応はなかった。

「惇おじさま?」

呼びかけても返事はない。
かわりに鼻を鳴らしたようなような音が聞こえてくるが、志悠はそれ以上何も聞かず
ただ黙って待つ事にした。

しばらくして。

「・・・・・ざまあない」

と、志悠の遠い血縁にあたる夏候惇は振り返りもせずようやく重い口を開く。

「仕方ありませんわおじさま」
「気休めなら・・」

いらん、という前に志悠は早口で続ける。

「なにしろあちらは援軍もありましたし、こちらは急ごしらえの追撃軍でしたもの。
 それに今回の件はおじさまの独断行動ですし、失敗したからといって利にも害にもなりませんから
 そうお気になさる事はありませんわ」
「・・・・お前、俺にとどめをさしに来たのか?」
「いいえ、もちろん、当然めっそうもありその通りです」
「・・・・・・・・・・・・・・もういい」

バカバカしくなったのか夏候惇、ようやく重い腰をあげ、放置していた刀をさやに戻して
あちこちについたほこりを払い出した。

「傷の方は?」
「・・・こんなもの・・・傷の内に入らん」

などと言いつつ足元がおぼつかない。
志悠はあえて手を貸さず男のプライドというのを見守ることにした。

「・・・これで・・孟徳の災いが一つ増えた事になるな」
「あら、そうでしょうか。私は何一つ変わっていないと考えますが」
「・・・どこがだ」

いぶかしげに振り返る夏候惇に志悠は両手の指を使って説明する。

「劉備殿には関羽殿や張飛殿。対して曹操様にはおじさまや淵おじさま。
 このつながりは私が官職につく前からのものだとだとお聞きしています。
 ならば差し引きなし、ただ単に元に戻っただけではないのですか?」
「・・・・・・」

夏候惇はしばらく志悠の顔を見た後、黙って馬の手綱をたぐりよせた。

「だがあいつは危険だ。俺も孟徳も、場合によってはお前すらもおびやかしかねん」
「大丈夫、信頼していますもの」
「・・・すずしい顔で重圧をかけるな」
「真実をのべているだけです」
「・・・ちっ・・・」

舌打ちをしながらも夏候惇は馬に乗り、手を差し出して志悠を自分の前に引き上げる。

「とにかく帰りましょう。殿も他の方々も心配なさいます」
「・・・ん」

振り返りながらうながしてくる志悠に夏候惇は少しためらった後
聞こえるか聞こえないかの小さな声を出した。

「・・・・・志悠」
「はい?」
「・・・・・すまんな」

肩越しの志悠の顔がふ、と優しくほほえむ。

「いいえ、どういたしまして」

音を立てて理性がかたむく。
しかし夏候惇、かろうじて残った理性をフル稼動させ、馬の腹に思いきり蹴りを入れた。

「はぁっ!!」
「え?きゃぁ!?」

急に走り出した馬に驚く志悠を片腕でしっかり抱え、夏候惇は無言で馬を走らせた。
それはおそらく彼なりの照れ隠しなのだろう。

「・・おじさ・・!速い・・!」
「しゃべるな!舌を噛むぞ!」

二人はほどなく土煙を上げて帰還した。
土煙をあげ、さながら突撃のような勢いで帰還した二人を見た兵らは
それがとてもただ単に帰ってきただけには見えなかったと後に語る。



そして夏候惇の負った傷の中に顔面のモミジが後から加わっていたことは
ごく一部の者にしか知られていない。









要するに怒られたのです。


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