「・・・・・・・・」
呉将、周泰幼平は非常に困っていた。
蜀軍の陣の前で仁王立ちになり困っていた。
腰にはいつも通り、やたらに長い弧刀一本。
手にはなぜか綺麗に包まれた贈答用の菓子の箱。
遠目で見ても近くで見ても、どうにもその立派な体格と持ち物が釣り合っていない。
しかも蜀の陣のドまん前でずーーーーっと立っているのだから
これで人目を引かないわけがない。
蜀の兵が何人もじろじろ見て通るが、菓子を片手に仁王立ちしている大男に
わざわざ声をかける勇気ある者はいないらしい。
なので彼はもう10分以上その場に放置されっぱなしだった。
しかもみんなよけて通る。
彼は困っていた。
守るべき主からお使いを頼まれて困っていた。
その内容にも困っていた。
使い先の人物にも困っていた。
早い話、困りすぎてこれ以上動けなくなってしまったのだ。
帰ろうにも上司の命令は絶対、というより命に背くことは彼の生き様に反する。
しかもこの状態で引き返してしまうと、周囲の連中に何をしているのかと
好奇心旺盛な仲間内で質問攻めにあう可能性が非常に高い。
今回頼まれた事はなるべく隠密に、と言われてきたのでそれはまずい。
「・・・・・・・・孤立無援」
と,、言ってみたところで解決はしない。
一瞬近くを通り過ぎようとした蜀兵がビクッとして走り去る。.
腹をくくって進むべきか、人目につかぬよう音速で戻るべきか。
しかしどちらにせよ彼は体格が良過ぎて人目を引く。
命もかかっていないのに周泰は一人究極の選択をせまられていた。
その時ふと前方が騒がしくなる。
見れば数人の兵にかこまれた、将とおぼしき若者が
兵たちに追いたてられるようにして、こちらに向かってまっすぐやって来る。
「・・・わかりました、わかりましたから押さないで下さいよ」
「お願いします将軍、なるべく流血沙汰にならぬようにお願いします・・・」
「・・・・・」
別にケンカをしに来たわけではないのだが・・・。
と心で言ってみても、彼の風貌は長時間一人で立っていると
いるだけで討ち入りか出入りが起こりそうなほどよろしくない(訳:怖い)。
しかし見た所、将軍と呼ばれて押されながらやって来る若者は
見た目おとなしそうで人がよさそうに見える。
兵に連れられて来たということは、おそらく挙動不審者がいるのだが
自分達では怖いからどうにかしてくれ、とたのまれでもしたのだろう。
・・・一人では無理だ。協力者がいる。
周泰は意を決した。
「・・・あの・・・呉の将の方ですね?」
「・・・・あぁ」
おそるおそる話しかけてきた若者に、なるべく驚かさない程度の返事を返すが
それでもそれなりに重圧のある声だったため、ついて来ていた一般兵が
慌てた様子で逃げ去っていく。
「先程からここに立っておられたそうですが・・・何か御用でしょうか?」
「・・・・人を・・・・探している」
「人ですか?」
「・・・・ある人に、これを渡せと・・・使いを頼まれた」
そう言って突き出された贈答菓子の包みは
長時間抱えていたので形が多少いびつになっていた。
「どなたからのご依頼でしょうか」
「・・・・それは言えん」
「どなたへの引渡しですか?」
「・・・・それも言えん」
「・・・あの・・・それでは私も対処のしようがないのですが・・・」
振り出しにもどった。
「せめてどなたに御用かだけでも聞かせていただけませんか?
多少の事なら私も目をつぶりますので」
「・・・・・」
「それにそのご様子では、用件をすませないと帰るに帰れないようですしね」
「・・・・・わかった」
このままではらちがあかないので、ともかく周泰は目の前の若者を信用することにした。
「・・・・だがこの事は内密に頼む」
「わかりました。他言いたしません」
「・・・・・」
「それでどなたに?」
「・・・・・黄緋竜という娘だ」
「え”!?」
今まで穏便に話を聞いていた若者の動きが一瞬止まる。
「・・・あの・・・緋竜って・・・本当に緋竜・・ですか?」
「・・・・・そうだ」
「もしや・・・あなたは周泰殿ですか?」
今度は周泰の動きが止まる。
「・・・・・・・・・なぜわかる」
「黄忠将軍からお話を聞きました。
周泰殿という顔に傷のある、とても大柄で寡黙な方が呉におられると」
「・・・・・」
「ということは・・・それは孫権殿からですね」
菓子の包みがめり、と音を立ててさらにゆがんだ。
「あ・・ご安心下さい。最初の約束は守ります。誰にも話はしません」
「・・・・・」
「ちょうど黄忠将軍は偵察に出て留守ですから、私がご案内しましょう。
苦手・・・なのですよね、緋竜の事」
「・・・・・」
なんだか何も言ってないのにいろいろ知ってる奴に出くわしてしまったが
悪い人柄ではないようだし、事情を知っているのならいくらか都合がよいかもしれない。
「・・・・・たのめるか?」
「はい!」
「・・・・・では・・・たのむ」
「わかりました。ではこちらへどうぞ」
そうしてひとまずその若者についていくことになった周泰。
道すがら話を聞いていると、この若者目指す緋竜の黄忠と同じような親代わりなのだという。
名は姜維伯約。蜀の将軍の中ではかなりの若手で、あの諸葛亮の弟子だというらしい。
なお周泰の事は初めて緋竜を苦手とする人物として
黄忠があちこちおもしろおかしく言いふらし、蜀の上層部ではそれなりに有名だ話だという。
・・・・孫権様、私は隠密行動に向きません。
周泰は帰って孫権に今後このような任務をあたえないように
懇願することを心の底で固ーーーく決めた。
「ええと・・・ちょっと待ってて下さい。ここで遊んでいるはずなのですが・・・」
つれてこられたのは陣の片隅にある馬の放牧場。
姜維はあたりを見回して何か探し始めるが
遊んでいる、ということは目的の緋竜を探しているらしい。
「すみません、呼んできますから少しお待ち下さい」
「・・・・・あ」
なんとなく心細くなって呼び止めようとした声はあまりに小さく
走り出してしまった姜維を立ち止まらせる事はできなかった。
しかたなく一人でじっと待つ。
時々放牧された馬が遊んでくれ、とばかりに何頭かよってくるが
食べ物を持っているで適当に顔を撫でてあしらい、とにかくじーーっと待つ。
待つ。
ただ待つ。
さらに待つこと少し。
がさ、べたがりべたどた
「・・・・・?」
聞いた事のない奇妙な音が、背後から近づいてくる。
なにげなく振り返ると・・・
「・・・!!?」
「「・・・・・」」
変なものがいた。
所々骨のついた妖しげな服からたくましい筋肉ののぞく仮面の男。しかも四つんばい。
なおかつ口には手綱のつもりか縄をくわえ、その手綱の先の背中に・・・
背中に・・・
周泰が最も恐れていたものが乗っていた。
ざっ
周泰、一歩後退。
べた
それが近づいて来る。
ざしざし
べたがり
必死に間合いを取ろうとしても、互いの距離は離れない。
思わず愛刀に手をかけそうになるが、菓子の包みが小脇でつぶれそうな音を立て
なんとかそれを思いとどまらせた。
以前逃げるから追われるのだと指摘されたはずなのだが
これから逃げず一体いつ逃げればよいのだろう。
しかも背中に乗っていたものが前にあった荒れ放題の髪に何か二本さした。
よく見ると・・・神速符だ。
「「・・・・・」」
「・・・・(背中で逃走ルートを探してる)」
そしてしばらく睨み合いの後、周泰はついに耐えきれなくなり
言われた事を完全に忘れ、菓子の包みを抱えたまま土を蹴って走り出した。
「・・・あ、張飛殿、緋竜を見ませんでしたか?今日は放牧場で遊んでいるはずなのですが」
「あぁ、さっき魏延が手があいたってんで俺と交代したぞ」
「え!?」
「馬超がいねえから勝手に馬には乗るなっ・・・って?」
全部聞くまでもなく姜維は周泰を待たせていた場所へ走りだす。
「えーと・・えーと・・・!・・・あ!いた!!」
慌てて戻った姜維が見たのは・・・
後ろも見ずに全力で懸命に走る周泰。
それを追う四つんばい、時々二足歩行
神速符装備で異常な速度でせまり来るナマハゲとコアラ・・・
・・・ではなく
「魏延殿!!緋竜!!お馬さんごっこはダメって言ったでしょう!!」
がざしゃーーー
しつこく周泰を追い回していた当の二人は怒られて素直に止まった。
「すみません将軍!大丈夫ですか!?」
「・・・・、 ・・・・、 ・・・・あぁ」
息が上がっていたものの、なんとか返事を返す事に成功。
初対面の人には奇人(もしくは妖怪)にしか見えない魏延が四つんばいの状態で
背中に緋竜を乗せ、両手両足でガサガサ異様な音をたてながら異様な速度で
走る事の得意でない周泰の全力疾走に、いつまでもついて来ようとするのだからたまらない。
周泰幼平、この日久々に全力疾走を経験した。
「魏延殿も緋竜も!皆が怖がるのでお馬さんあそびは
あれほどしてはいけないと念を押しておいたのに!」
途中から意味をもたなくなった手綱をぺっと吐き出し
魏延はおろおろする緋竜を背中からおろしながらゆっくり口を開く。
「・・・緋竜・・・馬・・・ノル。・・・馬超イナイ」
「なら私に一言でも話を通してくだされば・・・!」
「・・・緋竜、ハハウエノ邪魔、シタクナイ」
「・・・・・はぁー・・・・しょうがない子ですね」
理由が理由だけにそれ以上しかるわけにもいかず、姜維は頭をかかえた。
「とにかく魏延殿お戻りください。緋竜にお客様なので後は私が」
「・・・・・」
魏延はだまって仮面の奥から周泰を凝視していたが、意外にいさぎよく背を向けると
独特の足音を残し去って行ってしまう。
いつもなら緋竜にうながされない限り、自分から去る事はまずないのだが
客と言われた周泰が、緋竜を恐れている事に気付いたのだろうか。
「どうも驚かせてすみませんでした。・・・では緋竜はここに置いておきますので
後はそちらでお話下さ・・・」
「待て」
気をきかそうとした姜維の腕を周泰が光速で掴む。
「・・・そこにいてくれ」
「え?でも内密のご用件なのでは・・・」
「・・・・・・他言・・・・・しないのだろう」
「それはそうですが・・・」
「・・・いてくれ」
「・・・は・・・はぁ」
言い方は懇願だが、目と気配が脅迫に近いものだったので
姜維はおとなしくしたがう事にした。
「・・・・・」
「・・・?」
それからしばらく周泰は首をかしげる緋竜を凝視していたが
やっと役目がまわってきた菓子の包みを・・・
・・・がさ・・・ずい
と、鞘のついた孤刀の先ににぶら下げて無言で突き出してきた。
「・・・周泰殿、猛獣ではないのですから手渡ししても噛みつきませんよ」
「・・・・・」
「えっと・・・私が開けてもいいですか?」
「・・・あぁ」
開けてみると中には小さな手紙一通と・・・
饅頭・・・というか激しい運動に耐えられなかったぎゅうぎゅうの寄り饅頭が入っていた。
「・・・・・・・」
「・・・あはは、まぁ食べれないこともありませんから、気にしなくていいですよ」
その証拠に横で見ていた甘いもの好きな緋竜が「ちょうだい」と手を出していたりする。
長年生きてきた父親の教えで食べ物はたとえどんな形になっても食べ物なのだ。
「手紙の方は・・・緋竜あてですね」
「・・・おそらく」
「緋竜、あなたにお手紙です。食べる前に読んでみなさい」
「・・・・・」
言われた通り、饅頭を後回しに差し出された手紙に目を通していた緋竜だったが・・
半分も読まないうちに姜維の方に困ったような目を向けてきた。
どうやら難しい字がいっぱいで読めないらしい。
「・・・読めませんか?では周泰殿、代読してもらえませんか?」
「・・・!!」
なにげない言葉に長身が硬直する。
「・・・・・・・俺・・・・・・が?」
「内密な書面では私が代読するわけにもいきません。
私はそこで耳をふさいでおきますのでお願いします」
「・・・・・」
よりによって内密に運べと言われたものを
まさか自分が開けて読まされるなど考えてもみなかった周泰。
しかもこれを受け取った時・・・
『・・・よいか、他の者の目に触れぬよう、くれぐれも本人に渡してくれ。
頼む・・・本当に頼む。無理を言ってすまぬが、お前にしか託せないのだ』
・・と、いつもなら冷静な孫権に、めずらしくしっかりと念を押され
しかもその時この手紙の主は顔を少し染めていたのだ。
ならば手紙の内容は・・・
色恋関係である確率が非常に高い。
「・・・・・駄目だ」
「あの・・でも・・」
「・・・・・できん」
「しかし私が代読しては・・・」
「・・・無理だ」
口調は静かだが、内心周泰は泣きそうだったのに姜維は気付かない。
「では私が代読してもよろしいですか?」
「・・・・・・」
「くどいようですが他言いたしません。私の心にとどめておくようにしますから」
「・・・・・・・・・」
「それと・・その・・差し出がましいようですが、あまり思い詰めないで下さい」
「・・・・?」
「変に思われるかもしれませんが、あなたは何か昔の私に似ているように感じるんです。
大事な事を頼まれて、がんばって一生懸命やろうとして、でもなぜかうまくいかずに
誰にも言う事ができずに、ただ一人でなんとかしようと考え込んでしまう・・・というか・・・」
「・・・・・」
「・・・あ、・・はは、変ですよね。ここに来たばかりの私に、少し似ているなんて思ってしまって」
照れながら頭をかく姜維を見て、周泰は見た目にはわからないが
混乱していた思考が少しづつ落ち着いてきた。
考えてみれば今までなんでも一人でこなしてきたはずなのに。
今回たった一つの物を渡すだけの任務にこれほど困難を極めている。
簡単だと思っていた。
一人でも大丈夫だと思っていた。
だが思う事と現実は、一人であらゆる修羅場を乗り切ってきた周泰に
今までとはまったく違う顔を見せ始めているのだ。
一人でなんとかしようと考え込んでしまう・・・か。
「・・・あの、すみません。変な事言ってしまって」
「・・・いや。おそらく・・・間違っていない」
「え?」
「・・・・・・・間違っていない。・・・いつだったか・・・呂蒙殿も・・・言った。
目先の任務にとらわれ過ぎるな。時には自分の足元を見る事も・・・・大切だと」
それはかつて窮地を救ってくれた呂蒙が肩を叩きながらかけてくれた言葉だ。
「・・・少し・・・考えさせてくれ」
「はい」
周泰は腕を組み、物ほしそうに菓子をつついている緋竜を見ながら考えた。
しばらく考えていると先程魏延がもらしたある単語を思い出す。
そういえば・・・母上がいるとか。
「・・・その娘、母がいると言ったな」
「え?はい・・・まぁ」
「・・・その方に代読してもらえるか」
字が読めなかったので母親に読んでもらったと言えば
びっくりされるだろうが多少は言い訳が立つ・・・かもしれない。
と、一生懸命考えた周泰の案は、姜維の言いにくそうな台詞によって
あっさり台無しになった。
「・・・その・・私なんです」
「・・・・は?」
「その・・・事実上・・・名付け親として・・・
・・・・私が母ということになっていまして・・・」
・・・・・・・。
上 中 下
「・・・・流行なのか?」
「ちっ!違います違います違います違いますったら!!私は男です男!!
」
一通り視線をやった後言った言葉は
よく舌をかまないなと思うほどのすごい勢いで否定された。
「とっ・・ともかくその・・・私が代読してもよいのでしょうか、この場合」
「・・・・・」
あまり考えた事のない場合なので、考えるのに少し時間はかかったが
周泰の答えは・・・
「・・・たのむ」
と姜維の言葉を信用する事で決まった。
「わかりました、では少々お待ちを」
そう言って手紙を受け取った姜維は緋竜をつれて周泰から離れ
木の影で何かごそごそやりだした。
・・・それにしても障害の多い任務だ。
・・・ただ物を届けるだけに何をここまで神経をすり減らさねばならんのだ。
・・・そもそも信頼されているのはよいとして、任務を遂行できるかどうかと言う事を
ふまえて人選をなさっていただかねば非常に困るのだが・・・
などと心の中だけで愚痴愚痴つぶやいていると
それほどたたないうちに姜維が慌てた様子で戻って来た。
「周泰殿これ!火計に使う資材の発注書ですよ!?」
「・・・・・・・なに?」
突き出された紙を手にとってざっと目を通すと
それは確かに事務的な内容の書かれた文面が並ぶばかり。
とても菓子と一緒に送る手紙の内容とはほど遠・・・・
・・・・・待て。
記憶を掘り起こしてみると
用事があると呼び出された執務室にはいつも通り書簡類が山積みで
孫権はその中から菓子の箱と手紙を一つを取り
私に事のあらましを・・・
・・・・?
・・・その時、孫権様は・・・手元を確認していたか?
・・・答えは・・・・否だ。
「・・・・・・」
ある結論にたどり着いた周泰から、音を立てて血の気が引いた。
まさかあの孫権様に限って・・・とも思いたかったが
今手元にある物がそれを確実に否定する限り
孫権は最も初歩的で恐ろしい間違いをおかした事になるのだ。
「周泰殿!」
一瞬走り出そうとした周泰を姜維の声が止める。
孫権に事情を話すべきか。
しかしそれでは主に余計な負担をかけてしまう。
では今日孫権の元から渡された書簡類をしらみつぶしに調べるか。
だが孫権の書く書簡の数は兄のサボって押しつける分を含めると父よりも数が多い。
それだけの数を事を荒立てぬように調べるなど不可能だ。
いや、それよりも配送された先で、間違って兄や妹の目に止まろうものなら
それこそショックで倒れられるかもしれない。
そんな事になれば俺は一体どう孫権様に謝罪すればよい!?
だが謝ってすむ俺ならまだしも、最も被害をこうむる孫権様は一体どうなる!?
うっかり違う物を渡した孫権の失態だとは夢にも思わず
周泰はこの世の終わりと言わんばかりに・・・
相変わらず見た目にはわからないがひどくあせった。
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