俺は元々そんなものは信じていない方だった。
ただ単に興味がなかったからか、それどころではなかったからか
どちらにせよ聞いた話だけではわかるはずもないのが・・・いわゆる・・・その・・
・・・・一目ぼれというやつだ。



「そうだ孟起、黄緋竜という名を聞いた事はあるか?」

いつもの朝稽古の帰り道、隣を歩いていた友人趙子龍は
ふいに俺の聞いた事のない名を口にした。

「・・・いや、聞いた事がないな」
「そうか、やっぱりお前にも話が行っていないのか」

・・・?なぜ呆れたように頭を掻くんだ?
知っていなければいけない名だったのだろうか。

「黄というのは誰の事かわかるな」
「手近なところで黄忠のじいさ・・・じゃない、黄将軍だろう。
 しかし血縁がいるなど聞いた事もないが」

酔った時に延々と聞かされる若かりしころの昔話にしろ
長年の経験と称される説法にしろ、そんな名は出てこなかったが・・・。

「それがな、つい最近になって養女をもらったらしい」
「は?」

養女?どこかに孫がいるというならまだ話はわかるが・・・いきなり娘か?

「その養女の名というのが今話した緋竜なんだ」
「・・・ちょ、ちょっと待て、将軍はそんな話は一言も・・・」
「言っていないだけなんだ。なんでも『もったいなくて若造連中に見せられるかァ!』
 と息巻いていたらしくてな」

・・・・・あいも変わらず妙な事に頑固なじいさんだな。

「私はこの事を姜維から内密に教わったんだ。
 城内で会って何者かわからなければ不便だといってな」
「・・・確かに」
「お前も見かけたら大声で呼びかけたりするんじゃないぞ。
 少し気の弱い子だと言っていたからな」
「・・う・・まぁ・・・それはかまわんが、その緋竜とやらの特徴を聞いておかんことには
 俺も対処のしようがないではないか」
「あぁ、そうだったな。まぁおおざっぱに言えば歳は・・・15か16くらい
 髪は肩までしかなく耳の部分が切りそこなったらしくて少し長い」
「16?黄将軍からすればりっぱな孫・・・」

べし。

みなまで言う前に口をふさがれた。

「しっ!それは将軍の前では禁句だ。気をつけたほうがいいぞ」
「・・・う、うう」

確かにあのじいさん普段は元気のいい老将ですむくせに
年寄りあつかいすると普段の倍の力でつかみかかってくるからなぁ・・・。

「・・まぁともかく話を元に戻そう。そもそも緋竜というのは実際姜維がつけた名で
 元は殿が連れて帰って来た拾い子なんだそうだ」
「そんな得体の知れない娘を養女にしたのか!?」
「・・・なんでも目が気に入ったと言われてずいぶん強引に決められたとか話していた」

・・・しかし・・・歳をとるという事は
俺たち若造には理解できん領域ができるということなのだろうか?

「いようお前ら!今上がりか!」

軽く首をひねっていると横から遠慮のない大声が飛んでくる。
・・・そういえばこの男も毎日毎晩酒びたりだというのに
朝からこうして元気きわまりないのにも理解しがたいものがあるな。

「あぁ、おはようございます張飛将軍」
「なんだ?何話してたんだ二人して」
「黄将軍の娘さんについてですよ。孟起がまだ知らなかったようなので」
「・・なんだおめえ、まぁだ知らなかったのかよ」
「まぁな。しかし知ったところでどうというもので・・・ぐあっ!?」

言葉の途中で丸太のような腕にいきなり首をしめ上げられた。
.
「・・・おめえ、ほれたな?」
「なっ!・・・なんでそこまで話が飛ぶ!?」
「俺のカンではお前はたぶん緋竜にほれる!いや、むしろほれるはずだぁー!」

な、なにを1人でわけのわからん事を・・・うっぐ!酒くさっ!?
さては朝っぱらからしこたま飲んだな!?

「ふざけるな酒乱!第一なぜあった事もない女にほれねばならんのだ!」
「ほぉ〜?そんな事言っていいのか?あいつ無口なわりに結構人気者なんだぜ?
 俺は関係ないなんて言ってたら後で後悔すっぞー?」

う、うるさ・・・っ!息!息ができん!はなせ馬鹿力!!

「将軍!おやめください!窒息してしまいます!」
「はっは!だらしねえなそんなんじゃ・・いってーっ!?

子龍が止めに入ったのを見計らって腕に思いきり噛みつき脱出するが・・・・。
・・くそ、こいつは冗談で人を殺す気か!?

「げほッ・・ぐッ・・・カ・・カンで俺の未来を・・・決めつけるなっ酔っ払い!
 それと少しは力の加減というものを考えろ!!」
「はっはっは!馬鹿超も言うなあ」
「鹿はいらん!俺は馬超だ!!」
「わかったわかった!じゃあしっかりやれよ馬鹿超」
「馬超だと言っている!!」

言いたいだけ言って去っていくな万年酔いどれ男!!
だいたい何をしっかりやれというんだまったく!

「・・・孟起・・・大丈夫か?」
「・・ごほッ・・まぁ・・な。これくらいでめげていてはあいつの酒の席で警護などできん」
「はは、そうかもしれんな」
「まったく、朝からろくでもない目にあった。いくぞ!あまり遅いと丞相に睨まれるぞ」
「・・・あ、ちょっと待て」

まだ痛む首をさすりながら踵を返そうとすると子龍に呼び止められた。

「ん?なんだ?」
「言い忘れていたが、緋竜の特徴で一番大事なのが目の色だ」
「・・目?」
「緋色をしているんだ。どんな姿をしていても、これだけは変わらない。覚えておくといい」
「翡翠(ひすい)の翡か?」
「いや、緋というのは・・・ん、まぁ、わかりやすく言えば夕焼け色のことだ」

夕焼け色の目か。どうにもいまいち想像しにくいが・・・。

多少の興味はわくものの、あの酒樽の言葉がシャクにさわり自分で探す気にもなれん。
それにあのじいさんの娘にあったところで「ワシのかわいい愛娘に近づくなど
(その時によって違う数字)年早いわー!」と言われて矢を射かけられるのがオチだろう。

結局俺はそれから子龍に言われた事も忘れて何事もなくすごしていたんだが
とある日の午後になって運命の時は突然やってきた。




その時はちょうど日中で天気もよく、ほどよい暖かさだった。

城の中庭で稽古をするには絶好の日和ではあったが
今日はあいにく午後から新兵の訓練をまかされているためそうゆうわけにもいかない。
次の非番もこの陽気がつづけばいいんだがな、とのんきな事を考えながら
中庭ぞいの廊下を歩いていると、ふと誰かが庭石の上に座って
足をぶらつかせているのが見えた。

足を止めて目をこらしてみると、そいつは妙に小柄で兵服に近い服を着ていて
周りにはなぜか大量のスズメが集まってきている。

餌付けでもしているのか?

物珍しさにしばらく見ていたが、それは俺が知る限りでは見かけない人間だった。
声をかけようかと思ったがなぜかためらわれ、しばらく突っ立っていたのだが・・・。

「・・・ん?」

ふいに吹き付けた風にそいつの黒い髪がなびく。
その時俺はふと何かを思い出しそうになる。
ここからでは顔はよくわからないが、肩までしかない髪が綺麗に風にゆれ・・・・

・・・肩までしかない?

もしや・・・

「おい!そこの・・!」

バタタタタタタ!

思わず上げてしまった声に集まっていたスズメ達が一斉に逃げ出す。
声をかけた小柄な人物もはっとして立ち上がり、俺を見てさらに驚いたような様子をみせて・・・

逃げた。

「あっ!待て!」

しまった!大声で呼ぶなと子龍に注意されていたのを忘れていた!

後悔してもすでに遅い。あわてて後を走って追うが・・・。
しかし後を追ってどうしようというのだろう。捕まえて一体何を言えばいいのだろう。
走りながらそんなことを考えはしたが、なぜか足は止まらない。

しばらく走って小屋の角であっさり見失ったが、どうにもあきらめきれず
しばらく辺りをうろうろとあてもなく歩き回る。

「・・・くそ!・・・馬鹿だ俺は・・」

せっかく子龍が色々と忠告してくれたというのに・・・。
頭をかかえてため息をはき出したその時、なにげなく視界に入った近くの木の陰から
何かがそっと顔をのぞかせたのが見える。

ためらいがちにこちらを見るその目は夕焼けの色をしていた。

「あ・・!」

再び声を荒げそうになるが、今度はなんとかふみとどまる。

緋色と言われる目の持ち主は、声を上げそうになった俺を見て
一瞬顔を引っ込めそうになるが、今度は逃げることはしなかった。

・・・ひょっとして・・・戻って来てくれたのだろうか?
・・・とにかく驚かせた事をあやまっておかないと・・・。

「・・・・・あ・・・・えぇと・・・黄・・・緋竜・・だな?」

木の陰から出てこないまま顔だけがこくりとうなずく。

「・・驚かせてすまん。そんなつもりはなかったんだが・・・つい・・いつもの調子でな」

そう言って頭を下げると、じーっと様子をうかがっていた緋竜は意外とあっさり
とたとたこちらに近寄って来て、緊張ぎみの俺の前に立った。

子龍の言った通り、まず緋色の目が特徴的な娘だった。
髪は肩までしかなく耳の近くで妙な切り残しがある。
しかも服が女物ではない。一般兵の着る支給物にいくつか
手が加えられているだけの簡単な服・・・ん?
よく見れば黄忠のじいさんと似た作りになってる。

・・・なるほどな。自己主張の強いあの老将らしい。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

と・・・ところで・・・俺の顔になにかついているのか?
さっきから一言も話さず俺の方を見ているが・・・。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

・・・え・・えぇと・・・何だ、こういった時はまず何を話せばいいんだ?

ここは基本として天気の話、・・いや、あやまっておいていきなりそれはないだろう。
ごせいがでますな、・・なんのだ?
本日はお日柄もよろしく、・・・うあぁ!違う!何かどこかで聞いたことのあるセリフだが
何か使用方法が絶対的に違う!!

時間がたつにつれてなぜか頭は混乱し、さらに顔が火のついたように熱くなっていく。

・・な・・・なぜだ!この蜀五虎将の錦馬超ともあろう者がなぜたった一人の娘を前に
こうも激しく錯乱せねばならんのだ!

天よ!地よ!心あらば教えてくれ!
俺は一体どうしたというんだーーーーー!!

「あ、孟起。午後から新兵の騎乗演習だろう。どうしたんだ?」

いつも聞き慣れた友人の声が、この時ばかりは天の声に聞こえた。

「・・!!・・
しーーりゅうーー!!!
「ん?・・うわっ!!?」

俺はおそらく人生で一番速かったろう速度で子龍の首根っこをかかえこみ
近くにあった茂みの中へ逃げるように飛び込んだ。

「子龍教えてくれ!お前はどうすれば何をいい!?」
「は?・・ちょ・・ちょっと待て、何をどうすればいいだろう?一体どうしたんだ?
 ちゃんと落ち着いて説明してくれないか?」

無論、落ち着いて説明できれば苦労はしなかった。

「だから俺の場合!お日柄もよくごせいも出してないから天気もいいわけない
 だろうかと今ばったりそこにいたのを説明した瞬間顔にスズメが大声を出して!」
「・・・お・・おい・・孟起?」
「逃げたのがそこの反省でお前に言われた木が夕焼け・・・ぐっふ!?

腹に手加減なしの正拳。
あまりの痛みにまとまらなかった思考が四散していく。

少々乱暴だが的確な処置だ・・・・と思う・・・・多分。

「・・・落ち着いたか?」
「・・・・・・・いっつ・・・・・つ・・・・・まぁ・・・な・・」
「ならまず深呼吸しろ。それからわかりにくくても少しずつでもいいから
 何があったかきちんと話してくれないか?」

俺はともかく腹の痛みをこらえながら断片的に、だが今までのことを説明した。


緋竜を見つけて驚かせて追いかけたが逃げられた事。
戻ってきてくれた緋竜にあやまった事。
しかしなぜか目を合わせているとあせって考えがまとまらなくなり、言葉が見つからず
顔から火の出るような思いをした事。


子龍は俺のどんな質問にもわかるようにかみ砕いた答えを返してくれる。
だから俺はありったけの言葉をはきだし、子龍の答えを待った。

ところがいつもなら即座に返ってくるはずの答えが返ってこない。

そしてしばらくの沈黙の後、むずかしい顔をした子龍が俺の予想だにしなかった事を口にする。

「・・・・孟起、すまん」
「な・・なにをだ?」
「張将軍のカンが当たったんだ」
「は?」

それは・・つまり・・・。

「お前は緋竜にほれたんだ」

・・・・・・・・・・・・・。

「・・・・・・・・うそだろう」
「うそをついて私に何の得がある」
「今あったばかりだぞ」
「一般的にお前のように初対面で相手に好意をいだくことを一目惚れといってな。
 他人の理屈で説明できない 不特定条件で相手を好きになってしまうことの事を言う」
「・・・・・・・・・」
「私も詳しくはわからないが、お前が緋竜を見失ったときあきらめきれなかった事や
 一対一で向き合ったときに言葉を失ったり赤面したりしたのもおそらく・・・・・」

朝から酒を飲んでほろ酔いの筋肉ダルマに絞め殺されそうになったあげく
カンで未来を言い当てられたしまいました。
                                    馬超孟起


「しーりゅーうーー!!親族のあの世になんと言いえば・・ぐっは!?

今度は脇腹に膝蹴りをお見舞いされる。

・・・・なにか・・・・今日は容赦ないな・・・・。

「だから落ち着けというに。そもそもこればかりは私がどうこうできる問題ではない」
「っ・・・し・・しがし・・・」
「月並みな言い方かもしれないが、己に勝つより道はない。
 緋竜!そこにいるのか?いるのならちょっとこっちに来なさい」

ああぁ!!鬼!悪魔!丞相(?!)!ひどいぞ!!

あわてて逃げようとしたがすぐさま捕獲されて組み敷かれた。
少したって先程と同じように、問題の根元黄緋竜が木の陰から顔をのぞかせた。

「いいかい、このお兄さんはな馬超孟起といって私の友人だ。前に話したろう」
「こらっ!どけ!放せ!この・・ふガ・・・!」

必死に暴れて抗議するが、背後をとられた上に口までふさがれてはどうにもならん。
それでも抵抗する俺と子龍を見比べ、緋竜は「?」と首をかしげた。

音を立てんばかりに胸が鳴る。

それはもうたとえようのない現象で、顔は熱くなるは異様に落ち着かなくなるわで・・・
うあぁ!もういてもたってもおれーーん!!

「ふんぐー!ふがむごぐーー!!」
「はは、今ちょっと興奮しててな。いつもはこんな風じゃないんだが・・・」

と、その時だった。

俺と子龍を交互に見ていた緋竜がもがいていた俺の手をとんとんとつつき
気のゆるんだのを確認してから軽く握ってきて一言。


「・・・こんにちは」


と、だけ言った。

たった一言それだけ。しかしそれは俺にとっては忘れ得ない一言だった。




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