あれは確か赤壁の作戦で蜀と同盟を結んでいた時期の陣内だったか。
俺はその時たまたま時間があけることができたゆえ
よい機会だ、蜀の武将と手合わせでもと思い立ち
歩き回っていた時それは目に入った。
食料をつんである木箱の向こう、少し高めにおいしげった草の中を何かが動いてるのだ。
そのすぐそばにどこかで見かけた筋骨たくましい男が一人
何をするわけでもなくただじっと立っている。
少し距離をおいて近づき見ていると草の中から小柄な兵が立ち上がり・・・いや、違う。
兵だと思ったがよく見ると体格が男ではない上、まだ随分と若い。
驚いた事にそれは蜀の兵服を着た娘だ。
なぜこんな所に兵士の格好をした娘がいるのかと不思議に思っていると
娘の方が仁王立ちになっていた男の方へ行き、手にしていた草をこすりあわせ
腕の辺りで手当てのような事を始めた。
・・・と、いう事は薬草を探していたのか。
男の方は依然なんの反応も示さなかったが一通り手当てがすむと
いきなり娘の頭をものも言わず片手でがっきと掴む。
一瞬何をするのかとぎくりとしたが、すぐに放した所を見るとどうやら頭を撫でたか
はたいたかしたつもりなのだろう。
・・・しかし妙な二人組だな。一方破は兵服の娘、一方の男の方は仮面をしているのだ。
ん?そういえば仮面の方は確か蜀の将で・・・名は確か・・・魏延といったか。
蜀の中でも一風変わった男だったので記憶に残っていたのだが・・
印象としては少々獰猛そうな男だが、あれにはたして手合いを申し込んでよいのだろうか。
などど声をかけるべきかどうか少しためらっていると,、娘の方が声をかけるより先に
俺に気がついたらしい。こちらをじっと見た後ぺこりと頭を下げてきた。
俺の方もあいさつを返そうと手を上げ・・・ようとしたところで
凄まじいばかりの殺気にあてられ動きを止められる。
その殺気の発生源は仮面越しに俺をにらみつける仮面の将、魏延だった。
「・・・誰ダ・・・」
まさに地の底からという表現がふさわしい声で威嚇する仮面の将。
俺はただならぬ気配に本能的に間合いをとりながら言葉をえらぶ。
「・・拙者呂蒙子明という呉の武将。君主の護衛にこの地にまいった者である」
「・・・・・・呉?」
「今呉は蜀と同盟を結んでいるはず。この意味、わかられるな?」
「・・・・・・・・・・」
・・・納得・・・してくれたのか?
少しだまりこんだ後、魏延はぐいと自分をさし、重々しい声でこう返してくる。
「我ガ名ハ魏延、蜀ノ将!今ハ緋竜ヲ守ル者!」
「・・・緋竜?」
緋竜とはおそらく後ろでじっとこちらを見ている娘の事だろう。
「緋竜ハ我ガ守ル、誰デアロウト手ヲダサセン!」
そう言って異様なまでの殺気を放ち、間合いを詰めてくる魏延。
俺は心の中で舌打ちしながら次の対応を考えるが
しかし魏延の動きは別の介入者があらわれた事によって止まってしまった。
横目で見るとこちら側の軍師陸遜と、もう一人
蜀の側で諸葛亮のそばにいつもいた姜維という男が走ってくるのが見えた。
「魏延将軍おやめください!今は合同作戦中です!」
事の次第を察したらしい姜維が俺と今だにこちらをにらんでいる魏延の間に
素早く割って入る。
「仕事熱心なのは結構ですが、少しは状況をお考えください!
殿のお顔をつぶされるおつもりですか!?」
そうさとされた仮面の将、俺と姜維を交互に見た後、今まで微動だにしなかった
緋竜という娘に目をむけた。
そこで緋竜、何を思ったかこいこいと手招きをして自分より二回りほど高い所にあった
魏延の頭を自分の背の高さまであわせると、子供にするように軽く頭を撫でたではないか。
そのとたん、あたりかまわずまきちらされていた殺気という殺気が一瞬にして四散する。
「・・・ウ」
その二人の間でどういった意志疎通があったかわからんが
魏延は少しうなり声をあげて俺を一睨みし、荒々しい足音を残してその場を去っていった。
・・・ふう、助かったな。
なにしろ本気で飛びかかってこんばかりの剣幕だったので
内心冷や汗をぬぐわずにはおれん。
「もうしわけありません将軍。有能な武将なのですが
少々融通のきかない方ですので・・・」
「・・・いや、正直助かった、礼を言おう」
もうしわけなさそうに頭を下げる姜維に手をふって返していると、陸遜がホッとしたように口を開いた。
「災難でしたね・・・というのも妙ですが、大事にならずなによりです」
だまっていたのは賢明だったな、下手に口を出せば敵が増えたと思われて
よけいな警戒心をあおっていただろう。
「しかし今後から気をつけたほうがよいですね。その緋竜という方
お聞きした所 どうやら劉備様以上に人望のある方なのだそうですよ」
「・・・そう・・なのか?」
その当人は俺の顔をじーっと見て、姜維のそでを引き何か耳打ちしている。
「重要人物なのか?」
「蜀五虎将の黄忠将軍はご存知ですか?」
「あぁ、最年長で弓の名手だと聞いているが」
「娘さんです。正式には養女なのだそうですが・・・」
と、その時姜維がなにやらもうしわけなさそうに口をはさんでくる。
「・・・あ・・あの・・・呂蒙殿・・・」
「ん?」
「・・・すみません、ちょっと・・・お顔を拝借できませんか?」
「・・・・顔をか?」
「・・はい。その・・緋竜が・・さわってみたいと言い出しまして・・・」
・・・・・・・・・・・。
「・・・ひょっとしてコレ(髭)か?」
「・・・・はい・・・」
さっきから人の顔をじろじろ見ていると思えば・・・。
・・・俺も数えきれんほどの人間に会ってきたが
出会い頭に髭をさわらせろと言ってきたのは初めてだ。
「・・・まぁ・・・別にかまわんが、妙な事を言い出す娘だな」
「なに分このような姿ですが、心が非常に幼いものでして・・」
「ふむ、そうか・・・」
しかし聞けば聞くほど不思議な娘だな。
そう思いながらも少しかがんでやると緋竜は姜維にうながされ、そろそろと近づいてくる。
そしてほんの目と鼻の先まで近づいてきた時、俺はそこでさらに不思議な事に気がついた。
瞳の色が黒ではない。孫権様もやや青い色をしてはいるが・・これは・・。
朱・・・ではない。黄金・・・柑子・・・橙色・・・ううむ、どれも違うな。
べたべたべた・・・ざりざり・・・くいくい・・・・・ぴん!
「あた!?」
などと考え事をしていると、べたべた顔や結んであった髪をさわっていた緋竜に
一本そり残していた髭を引っ張られた。
「あ!緋竜だめでしょう!」
横で見ていた姜維があわてて娘を引きはがす。
「もうしわけありません!悪気はないのですが行動が唐突な子でして・・・!」
「・・・・・っ・・・・いや・・別に・・気にするな」
・・・・実は結構痛かったんだが、まぁこんな小さな事で頭を下げさせるのもばかばかしい。
顔で笑って心で泣いておくことにしよう。
あちらで陸遜が笑いをかみ殺しているが後で口止めしておかんとな。
甘寧あたりにもれるとかなり尾を引きそうだ。
「緋竜、短くてもあれはちゃんとしたお髭です。関羽殿や黄忠殿と一緒なんですから
いきなりひっぱるのはダメですよ。いいですね?」
ん?緋・・竜・・・?
・・あぁ、なるほどな。緋竜の緋色ということか。
「しかし・・・素性の変わった娘だな」
「はい、私も先程姜維殿から少し話をうかがったのですが
その方、言葉少ないものの純粋な方なので
武将たちのみならず兵や使用人にまで大切にされているそうなのです」
「・・それでさっきの将が俺にあのような反応だったわけか」
「いえ、あの方は私どもの中でも少々特種な方でして
私達でも時折対応に困る事があるのですよ」
特種・・か、まぁ確かに外見も気配も変わった男だったが・・・・・ん?
「・・・ところでその当人の娘はどこへ行った?」
「え?・・あれ!?」
それは俺達が短い会話をしたほんの少しの出来事だった。
つい先程まで姜維のそばにいたはずの緋竜が忽然と俺達の視界から姿を消したのだ。
「ひ・・緋竜!?どこですか!?迷子になりますよ!?」
目に見えてうろたえ始めた姜維に俺は眉をひそめる。
「こんな陣内でそんなに慌てる事もあるまい。巡回の兵もいるだろうに」
「・・いえ!あの!・・・あの子は一人にすると時たまに考えられないドジをふむ
悪い癖がありまして・・!」
「は?」
思わず間抜けな声を出してしまったが、そんな事は気に止めず
姜維はあたりをおろおろと妙な動きで歩きまわる。
「あぁああ!どうしましょう!私がついていながら見失うなど
一体黄忠将軍になんと報告すれば・・・いえ!その前に馬超殿に首をしめられる可能性が・・!」
・・・こやつ、本当に諸葛亮の弟子か?
「とにかく近辺を探してみましょう。そう遠くには行っていないはずです」
「そうだな、手分けして探そう。姜維殿、我々はむこうを探すのであちらをお願いできるか?」
「・・は・・はい!すみません、お願いします!」
頭をかかえて座り込みそうな姜維をはげまし
我々はなんの因果か人望厚き養女とやらを探すハメになったわけなのだが・・・。
しかし・・考えられないドジとは一体なんの事だ?
いくら精神的に幼い身とはいえ赤子ではあるまいし、少し姿が見えなくなったからと言って
そうそう危険な目にあうわけが・・・。
「・・・・ん?」
目をはなした隙、考えられないドジ、赤子、姿がみえない?
頭の中でその言葉を整理する内、俺はある場所を思い出し
もしやと思いつつ足を運ぶ事少し。
そこにはもう使うことのなくなった納屋の近くに古い井戸が一つ残っている。
昔この近辺で農作業をしていた農民が教えてくれたのを思い出したんだが・・・。
しかし・・まさか今時そんなものにおちる奴がいるとも思えんがなぁ。
などと半信半疑で近づいてみると以前にはなかったはずの穴がぽつりと
一つあいているではないか。
そのふちには古くなった木板がいくつか引っかかっていて
その内の一つが風にゆられて中に落ち、何かに当たる音を立てた後水音に消えた。
もしやと思い駆け寄って中をのぞくとおそらく蓋をしていただろう木板の残骸と
こちらを見上げて丸くなった二つの目が。
それはまぎれもない、先程俺を見上げていた緋色の目だ!
「陸遜!!姜維!!」
あたりにいるだろう二人を大声で呼び、もう一度中をのぞきこむと
暗い中、緋竜の額からかすかに血のにじんだ跡があるのに気づく。
後から落ちた物が当たりでもしたらしい。
俺はあわててあたりにあった落下物になりそうな物を排除した。
一通りかたずけ再び中を見ると、不安そうな目をした緋竜があたりを見まわし
こちらに向かってとどきもしない手を伸ばそうとしてくる。
「大丈夫だ、今人を呼んだ。もう少し待て!」
そう言ってやるが怖くてたまらないのか元々口がきけないのか
緋竜はなにも言わずだんだんと泣きそうな気配をみせる。
「心配するな、だから泣くな。もう少しの辛抱だからな!」
くそ、二人とも一体どこまで行った!?
命に別状はなさそうだが、早く引き上げてやりたいという気持ちだけがやけに先行する。
いつもの俺らしくないと言ってしまえばそれまでだが、無言で見上げてくる緋色の目は
時間がたつにつれて心をしめつけてくるようだ。
あまりのもどかしさに爪を壁にかけてでも降りてやろうかなどと無謀な考えをおこしかけた時
陸遜が先に走りよってきた。
「!?・・・縄を取ってきます!」
「たのむ!」
どうやら俺の見ていた穴と現状で何があったのか理解したらしい。
さすがに判断が早いと安堵したところ、今度は姜維が転がるようにやってきて
同じく何があったのか判断し、あわてて穴に落ちそうになるところをひっつかまえた。
「・・ひ・・緋竜!ケガ・・!?」
「慌てるな!とにかく医者を呼んでこい、ここは俺と陸遜にまかせろ!」
「し・・しかし!」
「いいから行け!医者だ!!」
「は・・はい!!」
青ざめていた姜維をどなりつけて行かせ、再び穴をのそきこむと
知った声を聞いて少しは安心するかと思っていた緋竜は
さらに泣きそうな目を向けてくるではないか。
・・・畜生!そんな目をするな、もう少し・・もう少し待ってろ!
あまりのもどかしさに言葉もかけてやれず歯をくいしばっていると
そこへ陸遜が縄を抱えて戻ってきた。
手近にあった木に縄の片方を固定しながらもう片方を俺の方に投げてよこす。
「お願いします!」
「よし!」
木にしっかり固定し終えたのを確認し、縄を穴に放り込んでそれをつたい井戸の中へ降りる。
中は日中であったため視界に不自由はしないものの温度は低い。
急いだために縄を掴む手に焼け付くような痛みが走るが
とにかくかまわず下へ下へと落ちるように降りる。
そうして底に残っていた水にたどりつき、縄から手を放すと同時に
よほど心細かったのか緋竜が思いきりしがみついてきた。
「よしよし・・よくがんばったな」
全身でホッとしながなら頭をなでてやっていると、緋竜は何を思ったのか
今しがた縄を掴んでいた俺の手をとってさすりはじめたではないか。
・・・まさか・・こやつ・・?
その予感ははじめて聞いた弱々しい小さな声によって証明された。
「・・・ごめんなさい・・・・・ごめんねぇ・・・」
そうなのだ。この娘、自分よりも助けに来た俺の方をあんじているのだ。
足をやられたのか、しゃがみこんだまま何度も何度も俺の手をさする姿にたまらなくなり
俺は小さな背中に手をまわして力いっぱい抱きしめた。
「馬鹿!俺より自分の心配をしろ!」
「・・・・ごめんなさい・・・」
「ごめんではない!こんなもの傷の内にも入らんのに・・・まったく!・・・馬鹿め!」
なるほどな。こんな性格では人望があって当然だろう。
なにしろ俺もここまであせったのもホッとしたのも心底久しい事だ。
・・・と、いかんいかん。
この高さから落たのだ、少なからず傷をおっているはずだから早く医者に見せねば。
「痛い所はあるか?」
外傷を探しつつ聞いてみるが、緋竜は俺の手をのせたまま首を横にふる。
「よし、手は使えるか?」
一つうなずくのを確認して俺は背を向けてもう一度縄を手にする。
「しがみついていろ。上にあがりきるまで絶対に手をはなすな」
そう言ってかがみこむと素直に緋竜は首に手をまわしおぶさってくる。
縄のあまっている部分でしっかり俺にくくりつけ、立ちあがり・・・・・
・・・・?
・・・軽いな・・・。
振り返ってみると緋竜はしっかりそこにいるのだが・・・それにしても軽い。
俺は婦女子を背負ったことなどないからよくわからんが・・まぁいい。
今はそんな事にかまっている場合でもないだろう。
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