とにかく壁に足をかけ、縄をたぐりながら1歩ずつ日の当たる上部へと進む。
上に進むにつれて首元にある手に力がこもる。
下りと上りではさすがに力加減が違うが、ここで弱音は吐いておれん。
「・・・がんばれよ!・・・もう・・少し・・・!」
自分に言い聞かせるように縄をたぐっていると、ほどなく日の光のまぶしい出口と
待っていた陸遜の顔が見えてくる。
そして俺は最後の力をふりしぼり、陸遜に引き上げられながら
なんとか地上にはいあがる戻る事に成功した。
「・・ふぅ。お二人とも、ご無事でなによりです」
「・・俺はいいが、こいつは無事ではない。傷を負っているから見てやってくれ」
地面に這いつくばったままの俺に今だしがみついたままの緋竜の方に陸遜を行かせ
俺と固定してあった縄をそのままの状態で切っていく。
多少水が残っていたとはいえあの高さだ。骨が折れていなければいいが・・・。
がんじがらめにした縄を解きながらそんな心配をしていると
少し間をあけて陸遜がホッとしたように答えを返してくる。
「・・骨に異常ありませんね。多少の外傷はありますが、かすり傷程度です」
「・・・・そう・・・か」
あんな所に落ちてそれだけですんだのは、運がいいのか悪いのかわからんな。
「・・頭の傷は残りそうか?」
「え?いえ、頭部に外傷は見当たりませんが」
?・・おかしいな。俺が上から見た時には何か落下物に当たりでもしたらしく
額に血をにじませていたんだが・・・。
不思議に思いながら身を起こすと、そのままぶらんと背中に緋竜がついてくる。
「・・・はなして大丈夫だ、はなしなさい」
しっかりしがみついていた手を軽くはたき、背中からはがして
あらためて緋色の目をもつ娘と向き合ってみる。
全身ずぶぬれになって服も何ヵ所かやぶいているが
確かに小さな傷以外に目立った外傷は見当たらない。
額に手をのばし水気を吸った髪をかきあげてみるが、やはりなんの跡も見当たらない。
・・・俺の見間違いか?それとももう完治したとでもいうのだろうか。
まさかな、トカゲのしっぽでもあるまいしそんな事があるわけが・・・。
「・・どうかされましたか呂蒙殿?」
「あ・・いや、なに」
陸遜の言葉にふと我にかえると、おとなしくしていた緋竜が
俺の手をまたはしっと掴み、心配そうに見上げてくるではないか。
・・・こいつめ、どこまでも他人優先な。
ようし、ならば・・・。
「・・?!」
俺は座り込んでいた背中とひざの裏に手をかけて
相変わらず重みのない体をひょいと抱き上げてやった。
さすがに驚いた様子は見せるものの、それ以上抵抗はせず少し赤くなってうつむく。
「おかえしだ。医者の所まで運んでやろう」
「・・?何の事ですか?」
「はは、実はなぁ・・・」
井戸の底でのいきさつを話そうと口を開きかけた時
誰かが柱に激突しがらも全力で走ってくるのが目に入り、俺は動きを止めた。
その金色の目立つ鎧姿には覚えがある。
蜀の五虎将軍の一人で名は確か・・・馬超と言ったはずだが・・・。
などと思う内、俺の前で土煙をあげ急停止した馬超将軍
一瞬剣に手をかけようとしたが考え直したらしく、かわりに何のつもりか俺をびしと指差して
まるで射殺さんばかりににらみつけてきた。
「貴様!緋竜に何をした!」
・・・いや・・何と言われても・・・返答に困るんだが・・・。
先程の魏延という男にしろ、この馬超という青年にしろ
この娘をしたう者にはどうにも短気が多いようだ。
さてなるべく神経を逆撫でしない説明の仕方はあるかと考えていると
腕の上でおとなしくしていた緋竜が一言。
「・・・馬超」
とだけ言い、手を軽く左右に振った。
しぐさからして大丈夫だから怒らなくてよい、と言いたいのだろう。
その意志は名を呼ばれた当人にも伝わったらしく、俺の顔と緋竜を交互に見て
なんとか肩の力をぬいてくれた。
「・・・ば・・馬超殿・・っ!・・少しは・・私の話を・・・!」
その時ほとんど息もたえだえになって、医者を呼びに行かせたはずの姜維が
なぜか手ぶらで帰って来る。
「・・?姜維、医者はどうした?」
「へ?・・・あ!?」
さては慌てるあまり先に関係者の所にでも掛けこみでもしたか。
その証拠に医者ではない見知った人間がこちらにやって来るのが見える。
一人は緋竜の義父にあたる黄忠将軍。一人は・・・む?孫策様?
「す・・すみません・・!すぐ探して・・・!」
「こりゃまたんか姜維」
あわてて引き返そうとする姜維を止めたのは黄忠将軍だ。
「もうよいわい。見たところそう大騒ぎするほどでもなさそうじゃ。
それよりおぬしの方が先に酸欠でつぶれてしまいそうじゃぞ」
「・・・はぁ・・・もうしわけ・・・ありません・・」
「それにつけても緋竜、あまり一人で遊んではいイカンと言っとるのに
また人様に迷惑をかけおったな?」
腕の上で身を小さくする緋竜に、陸遜が笑いながら助け船を出す。
「しかしよい勉強にはなりました。安全と思われている場所でも
ほんの一瞬の間に何が起こるかわからないものですね」
「・・・しかしなぁ、わしはもう多少の事にはなれてしもうたからいいが
他の連中は肝がちぢみっぱなしで少々気の毒に思えてならんわい」
「おやおや、勝手知ったる娘のさがですか」
「なぁに、ワシの娘じゃからそう簡単に大事にならんと信用しとるだけじゃい」
三倍近い年齢差があるにもかかわらず、妙に意気投合する老将と若輩軍師。
なにやら妙な光景だ。
と、その時めずらしく沈黙を守っていた孫策様が
おもむろに俺のかかえていた緋竜に黙って片手を差し出してくる。
かたわらにいた馬超殿が一瞬何か言いたげにしたが
当の緋竜はじーーっと孫策様の目を見た後、差し出された手をきゅと握り返した。
その一連の行動が何を意味するのかはわからないが、孫策様は満面の笑みを作り
握られた手を軽く上下に振った。
「そっか!お前が緋竜っていうのか!」
返事のかわりに首の下でうなずく感触がつたわってくる。
「俺は呉の大将の長男で孫策ってんだ。よろしくな!」
「・・・・・・」
「はは、誰か古井戸に落ちたっていうから見に来てみれば
こんな動物みたいな目をした子だったとはなぁ。よしよし」
「・・?・・」
あいかわらず緋竜は口を開かないが、孫策様の方はそんな事はおかまいなしに
この無口な娘が気に入ったようで、頭を少し乱暴に撫でていたくご満悦だ。
・・・しかし・・言われてみればそうかもしれん。
この娘の目、なんというか見たままを感じ取ると言うか、何も考えが読めんというか
赤子のようなやけに純粋な目をしているのだ。
井戸の底から俺を見上げて泣きそうになっていた時、無性に助けてやりたくなったのは
そのせいなのかもしれんな。
「あ、そうだ大喬たちにもあわせてやりてえな。きっとすぐ気に入られるぞ」
「・・・それはともかく孫策様、手当てが先です」
「ん?あ、そっか」
また妙な提案を始める前に保護者連中に緋竜を返しておこうと
先程から無言で怒っている馬超殿に引渡しをしようとしたが・・・。
ぎゅう。
「・・ん?」
「な・・!?」
とたんになぜか鎧のはしを掴まれてしまった。
「・・・・・・呂蒙殿、なつかれてしまいましたね」
硬直して動かなくなった馬超殿の後ろから姜維が困ったようにつぶやく。
なつ・・とはつまり・・気に入られたという事なのか?
「はっはっは!そうだよなぁ!なんたって命の恩人様だからなあ!」
一部始終を見ていた孫策様が大笑いしてぐいぐい肘鉄をくれるが・・・。
「ははは。一個人として蜀の将を何人か敵にまわしてしまいましたね」
・・・陸遜、お前も他人事だと思って笑うな。
「いやぁ、すいませんな呉のお方。こんななりをしとりますが何分まだ幼いものでして
人見知りもしますが反面好いた者には物怖じしない所もありましてのう」
義父ののん気な口調に俺は少なからず不安に狩られた。
これは確かに問題だ。少なくとも先程の魏延という将と、そこで今だ固まったまま
立ち尽くしている馬超殿にはおそらく敵とみなされてしうだろうし
劉備殿並の人望と言われるのなら一体何人の蜀の人間に敵視されるのやら・・・。
内心困り果ててふと下を見ると、まだ俺の鎧を掴んだままの緋竜と目が合う。
・・・・・・・。
・・・まいったな。
結局俺はその目に負けて馬超殿の怒気にみちあふれた視線を
背中に突き立てられながら医者の元まで緋竜を運ぶ事になった。
のだが・・・。
それから数日後俺が心配していた事とは別のある問題が生じる。
俺は歩いていた。
その後ろからやや小刻みな足音がぱたぱたついてくる。
立ち止まるとその音も止まり、再び歩き始めるとその音もついてくる。
「・・・・・」
「・・・・・」
歩調を早めると同じようについてくる歩調も早くなる・・・が、ふと思い立ち足を止めると
その足音は止まりきれずに俺の背中にぼんとぶつかってきた。
振りかえるとそこにいたのはやはり鼻をおさえた緋竜。
ここ近頃、緋竜は俺の背後を雛鳥のようについてまわっている。
別に何をするわけでもないのにひたすらついてまわり
保護者の姜維や敵意を隠せなくなりだした馬超殿も呼び戻しにくるのだが・・・
そのつど俺の鎧のはしを掴んで首を振る緋竜に負け、帰っていくのだ。
・・・まぁ気持ちはわからんでもな・・・いや、そうでなくてだな・・・。
「・・・緋竜」
「?」
名を呼ぶと首をかしげながらこちらを見上げてくる緋色の目。
戻るように言えば素直に自分のいるべき場所へ戻るだろうが・・・
やはり言っておいた方がいいだろうな。
俺は呉の人間であり緋竜は蜀の人間なのだから・・・な。
「よいか、俺は呉の武将だ。それはわかるな?」
うなずく緋竜に俺はさらにいつかはたどりつくだろう現実の話を言い聞かせる。
「今我々は魏と戦うがために同盟を結んではいるが、魏を退けた後に
敵対しないという保証は・・・実の所どこにもない」
「・・・・・・」
「父である黄忠将軍や姜維、お前の知る親しい人間といつか戦場で命を取り合うかもしれん。
俺はそういった立場にある・・・だから・・・」
だから・・・あまりなじんでしまうと後々双方辛い思いをする。
そう言いたかったのだが、この子が傷つくのを恐れてかうまく口に出せない。
・・・いや、傷つくのを恐れているのは俺の方なのかもしれん。
敵と味方。戦ではごく当たり前の事だというのに
この娘にその事を教えるというのはどうしようもなく心がきしむ。
・・・それはおそらく俺がこの緋色の目の娘を
戦と割り切れない部分で好いているからなのだろうな。
どうかしたのか、とそでを軽く引いてくる緋竜を見ながら
俺は大きなため息をはいた。
いくら学を積もうとも、どうにもならん事もあるものだ。
「・・・・すまん。俺は・・・武人なのでな。こんな生き方しかできん」
「?」
よくわからない、と首をかしげる頭を軽くなでてやると
嬉しそうに少しだけ笑うのを俺はとても気に入っている。
「だから・・・俺はお前の味方になってやれんのだ」
「・・・・・・」
それが俺にしてみれば精一杯の突き放した言葉だった。
せめてこのまま何も聞かずにおとなしく立ち去ってくれまいかと思っていた矢先
ひやりとした手が俺の手を包んでくる。
そして2度目に聞く声。
「・・・じゃあ・・私・・敵になってあげられない」
・・・!!
「・・・敵にも味方にも・・・なってあげられない」
歌うようなその言葉に俺は魂を抜かれたような気分になった。
「・・・おあいこ」
握られた小さい手がなぜか大きく感じられる。
・・・あぁ、そうだったな。
お前は人に好かれる特性があったのだな。
悩んだ俺がまるで馬鹿だ。
「はははは!まったく・・大した奴だ!まいったまいった!」
「・・・?」
子供というのは時に思いもよらぬ発想をすると聞くが・・・まったく。
「・・・わかった、好きにしろ。ただし保護者連中には心配をかけるなよ?」
「・・・・・」
うなずくものの緋竜は帰る気配がない。
俺が頭をかいて歩き出すと、案の定、後ろから足音がきっちりとついてくる。
・・・まぁ・・・いいか。
今だけは、少なくとも同盟中の今この時だけは、好きにさせてやろう。
あきらめ半分、安堵半分。
しかし困った娘と知り合ったものだな。
そう思いながらも実の所、俺は懸命に後をついてくる緋竜の気配に
恥ずかしながら心の底から満たされていた。
さて、この状況、孫策様や甘寧に弁解するのに骨が折れそうだが・・・。
どうする?呂蒙子明。
下書きから変更しすぎのお侍さん編。
立場が決まらない困ったお人。
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