・・ゴト、ゴトゴトがたん
一階で新聞を読んでいたバージルが
天井から聞こえてくるそんな音に気付いたのはちょうど夕方くらいの事だ。
音の位置は純矢の部屋。
今の時間帯だとケルベロスが昼寝から目をさましてしているころだろう。
一体何をしているのかとバージルは立ち上がって階段を上がった。
部屋の前へ立ってみると、確かに中からはケルベロスの気配がする。
コンコン
純矢はまだ学校から帰っていないが、一応ノックをしてドアを開けると。
「ア」
目の前に、家具にはさまれてシワの寄った
でっかいライオン・・みたいな犬の顔がでーーんと出現した。
「・・・・・」
「・・・・・」
ギイ バタン。
「コラコラコラー!!サモ平然ト見ナカッタコトニスルナ!!」
がたがたと家具のゆれる音と抗議の声に
バージルはしかたなしに再度ドアを開けた。
そこにいたのはいつもの白い犬ではない、かなり大きな生き物だった。
鬣も全身も白く目が金色。向こうに見える長い物は、黒くて硬質だがおそらく尾。
それが部屋の中で身動きできずに窮屈そうに身を縮めていたのだが
全身の色と独特の声からして、これはあのケルベロスに間違いなさそうだ。
「・・・何をしている」
「見テワカランカ?」
「わかるわけないだろう」
「・・・昼寝ヲシテイタラ出ラレナクナッタ」
「昼寝をすると急成長する体質なのかお前は」
「違ウ。我ハすきるノ関係デ満月時ニ本来ノ姿ガ出テシマウノダ」
そう言えば今まであまり気にしたことはなかったが
身の回りにいる連中はどれもこれも妙な連中ばかりで
人間界に適応するためにその姿を変えていてもおかしくない。
これが本体だと言うなら確かにこの巨大サイズで
家の中を歩いたり散歩に出たりはできないだろう。
「朝カラふとみみガ見当タラナイト思ッテイタガ・・
モット早クニ気付イテイレバ、コンナ事ニハナラナカッタノダガナ」
「・・?あの人型も仮の姿なのか?」
「イヤ、アレハアレデ本体ナノダガ・・我ト違ッテ力ノ制御ガ効カナクナルラシイ」
色々とクセのあるメンバーの中では一番人間らしいと思っていたが
そんな体質を持っていたとは初耳だ。
「トモカク主ガ帰ッテキタラ我ノ事ヲ伝エテクレ。
動ケヌコトハナイノダガ、コノママデハ色々ト物ヲ壊シテシマウ」
「・・わかった」
「ア、ソレトチョットソチラカラ押シテクレ。
デキルカト思ッテ無理矢理出ヨウトシタラ顔ガツッカエタ」
「・・・・・」
それであんな音をて立てていたらしい。
バージルは黙って大きな顔に肩をあてがうと
体重をかけて押し、家具の間から押しだそうとした。
「イダイダイダダダダ!肉!顔ノ肉ガモゲル!」
「我慢しろ」
力ずく作業だったので出す時大きな顔の肉がかなり寄って凄い顔になった。
しかしその甲斐あってケルベロスはようやく家具にはさまった状態から
少し窮屈ながらも部屋の中央に戻れた。
それと同時にバージルは部屋の中に閻魔刀を置きっぱなしなのを思い出す。
しかし置いてある場所まで行こうにも、白い魔獣がつっかえていて通れそうもない。
「奥に1つ忘れ物をした。上を通らせてもらう」
「・・好キニシロ」
言い方はちょっと高圧的だが、ケルベロスは素直にそう言って
頭を低くしてから目を閉じた。
バージルはその顔によじ登り、けっこう触り心地の良い背中をつたって
部屋の奥にあった閻魔刀を掴み、同じように白い巨体をよじ登って
また頭の方へ戻ってくる。
これがダンテなら絶対そんなことはさせないだろうが
バージルは主にも自分に害をなした事はないので
巨大な番犬は大人しく目をふせたままじっと動かなかった
そのままだるそうに目を閉じている魔獣を残し、バージルは部屋を出ようとしたが
ドアに手をかけたところで1つの疑問が浮上する。
「・・・ちょっと待て。では母さんもあれが本来の姿ではないのか?」
ふせられていた目がぱちりと開いた。
「言ッテオクガ、ソノ質問ヲ主ニハシナイ方ガイイ」
「なぜだ?」
「ソレハオ前ニ人カ悪魔カ、ドチラガオ前本来ナノダト聞クノト同ジダ」
ふしゅーと大きな顔から鼻息を出し
ケルベロスはこれ以上話すことはないとばかりに再び目をふせる。
バージルはしばらくその場にたたずんでいたが
それ以上問いつめる気にもなれず、静かにその場を後にした。
残された魔獣は一度薄目を開けると
とんとんと階段を下りていく足音を耳で拾いつつ
やれやれとばかりに再び目を伏せた。
ガラララー
「ただい・・・わ」
「おかえり」
戸を開けたとたん、閻魔刀片手に仁王立ちしたバージルに出迎えられ
純矢は一瞬冗談ぬきで一歩引いた。
無言ではなかったので怒ってはいないのだろうが
普通に帰ってきた所をこんな風に待ちかまえられると
まるで何かの組織から命を取りにきたヒットマンのようでさすがに怖い。
「・・どうしたのバージルさん?」
「番犬・・いや、ケルベロスが・・」
そう言ってバージルは二階を指す。
言い直したのはダンテが仲魔の名前をいつまでたってもまともに覚えず
悪口みたいなあだ名で呼び続けていたというのを思い出したから。
「あ!そっか今日満月か!ありがと!」
それだけでも事情を知った純矢はバタバタと二階へ上がっていく。
するとしばらくして二階にあった大きな気配が
ストックに帰されたのかすっと消えてなくなった。
バージルはそのまま黙って純矢が下りてくるのをじっと待った。
ケルベロスはあぁ言っていたが
彼はやはり母については知りうる限りの事を知っておきたいのだ。
純矢が普通ではないことはわかっている。
本人もそう言っていたし、推測するにケルベロス含めた他の連中も
純矢が本来どのような姿をしているかはもう知っているようだった。
しばらく待っていると、とんとんと軽い足音が階段をおりてくる。
しかし・・・なんと言えばよいだろうか。
それは自分にも言えることだが
面と向かって悪魔の姿を見せろとはいくらバージルでも言いにくい。
どう切り出すべきかしばらく悩んでいると、着がえた純矢が下りてきた。
バージルは結局答えが見つからないままそちらに目を・・・
ぎゅぼ
「・・!?」
しかしそちらに気を取られている間に
足元の感触が、妙な音と共にいきなり消えた。
「え!?」
純矢の驚いたような声と
バージルの視界が赤黒いもので埋め尽くされのは同時だった。
それは落下感だ。
どういった理屈かは知らないが
自分は足元にあいた穴からどこかに落ちている。
バージルはとっさに閻魔刀を鞘ごと振り上げると
手近にあった赤黒い壁のような内壁のような場所に突き刺した。
幸いそれは弾かれることなくうまく突き刺さり
バージルはいきなり開いた穴のような物の途中でなんとか止まる。
「バージルさーん!!大丈夫ー!?」
その声に上を見上げると
ぽっかり開いた穴のふちから純矢が顔を出しているのが見えた。
ざっと見回してみるとそこはマンホールの中のような長く深い場所で
自分を落とした以上の悪さをするものではないらしい。
バージルは逆上がりの要領でぶら下がっていた閻魔刀の上に乗り
上で心配しているだろう純矢を見上げた。
少し遠いが・・このくらいなら上がれない距離ではない。
そう思って妙な物でできた壁に手をかけていると
ふと下から妙な気配が迫ってくる。
「・・?」
下の深部は薄暗くて見えなかったが
そこから何か青紫色の煙のようなものが発生していた。
しかもそれはまるで意志でもあるかのように猛烈な勢いで迫ってくる。
それが何なのかはわからないが
バージルは足元にあった愛刀に手をのばそうとし・・
ガツガリガギ!
「ッ・・!」
しかし手が刀に到達する寸前
赤黒い壁からいきなり生まれた何かに手や腕を拘束された。
それは赤い何かの獣の頭だ。しかも1つや2つではない。
それら全ては動きを封じるかのように自由が効く手や足に次から次へと食らいつく。
「バージ・・うわッ?!」
はっとして上を見ると、純矢が自分を素通りした青紫色の煙に囲まれている。
どうやらそれは何かをするためのものではなく
こちらに来られないようにするための障害物らしい。
しかもその煙は純矢を押し返すのと同時に周囲の壁を収縮させ
自分のいる場所を入り口から遠ざけているように見えた。
・・・だとすると・・・目的は俺か?!
「あぁクソ!なんだよこれ!?」
上の方で純矢がやっきになって煙と格闘しているが
さすがに気体相手ではどうにもならないのかまったく前に進めず
ほんの少しあいた隙間からこちらに向かって手を伸ばしてきた。
「バージルさん!!」
この状況は以前あった事に少し似ている。
確かあの時、手を伸ばしてきたのは
ついさっきまで血まみれで死闘をしていたはずの弟だ。
落ちたのは自分の意志だったので
その時バージルは伸ばされた手を斬りつけて拒んだはずだ。
・・ガチ
赤い獣に食い付かれ、赤く染まった腕が閻魔刀の柄をつかむ。
ただあの時と違うのは
自らの意志と関係なくどこかへ落とされようとしている事。
ならば自分は再び闇に戻るのだろうか。
元いた場所へと引き戻されようとしているだけなのだろうか。
「バージルさん!何やってるんだよ!早く戻って!」
しかし彼が生きてきた内では短いという枠にも入らないほど
少ししか一緒にいなかったその声の主は・・・
「バージルさんてば!手動かして刀抜いて!!」
呼ばれれば呼ばれるほどに
「バージルさん!!」
・・・・・・・。
メキリ
閻魔刀を握っていた腕が急激に変化し、獣の何匹かが恐れて牙を放した。
バリ
落ちる場所などどうでもいい。
メリ
二度も落ちたこの身はどこへ落ちようと変わりはしないだろう。
バキン
けれど・・・
どくん
人と魔の交ざり合った血が、大きく1つ脈打った。
「・・・バージル・さ・・」
少しづつ人ではないものに変化していく魔人に
純矢は言葉を途切れさせる。
どくん
・・・・いやだ
どくん どくん
生きてみないかと言った母は言った。
その手は非力に見えて、時として力強く、時に優しく
なによりかつての母のように温かかった。
だから・・・
ドグン!!
母さんと離れる事だけはもうイヤだ!!
そう思った瞬間、体内に眠っていた全魔力が暴発し
着ていたシャツを突き破って、背中に一組の悪魔の翼が生えた。
「ぅおおオオオオォーーー!!!」
バージルは腹の底から咆哮を上げ、腕に残っていた獣達を引きちぎり
壁から閻魔刀を引き抜き、全魔力を使って上へと飛んだ。
しかし途中の壁という壁から妨害の獣が出てきて
行かせるかとばかりにずらりと牙の並んだ口を開けてくる。
バージルはまったくひるまずそれを斬り、殴り、時には手や足に残したまま
上へ、とにかく上へ、ひたすら上へ、煙の向こうに見えなくなりかかっていた
純矢のいるであろう場所へ向かって飛んだ。
時々手足の肉を持っていかれそうになったがかまわなかった。
それよりもいつのまにか随分と遠くなってしまった
あのたった一本の手の所へ到達する方が大切だ。
だがそれでも妨害はおさまらず
獣は底をついたのか、その変わりに壁からは触手のようなものが
まるで壁を作るかのように大量に周囲から発生して進路をふさごうとする。
「こんなくそーーーッ!!」
キュドドドドドドド!!
しかしバージルの前で形成されようとした壁は完成する寸前
気合いの声と一緒に突然巻き起こった光の雨のようなものに一掃された。
バラバラと焼けこげたようなそれの残骸が落ちてくるその向こうには・・・
「やった!バージルさん!」
金色の目。
見覚えのある黒とエメラルドブルーの模様にいろどられた顔と腕。
そう、それは・・・
自分を闇の中から引き上げたあの時の手だ。
バージルは叫びだしたくなる声を力に替えてさらに飛んだ。
あれだけ邪魔をしていた障害達は
今の光の雨を受けてあらかた消えてしまっている。
さえぎる物は何もない。
バージルは自分の手が人の物ではなくなっているのもかまわず
ずっとこちらに向けられていた細い手に自分の手を伸ばし・・
がくん
「・・?!」
しかしあと数メートルという所で足が何かに絡め取られる。
おそらくさっき壁を作ろうとした触手の残りだろう。
「あ!・・くっそ、もうちょっとなのに!」
接近してわかったが、自ら発光している不思議な模様の入った手が
目の前でもどかしそうにスカスカと宙をきる。
「・・しょうがない、バージルさん1・2の3で上へ向かって全力で飛んで!」
「何?!」
何のことか疑問に思う間もなく足元にからみつく触手の数は増えていき
今まで飛んだ分を引き戻そうと力を込めてくる。
ジュンヤはバージルの返答を待たずカウントを開始した。
「・・1!・・2の!・・」
目の前にいた細身の悪魔の全身が発光した。
「3!!」
その瞬間、煙の向こうにうずもれかけていたジュンヤの全身から
目を焼かんばかりの閃光と爆発的な魔力が放出された。
それはすべて光の矢となり、周囲にあった自分たち以外の全ての物を
焼き尽くすかのようにして消滅させていく。
おいで!!
その一瞬、光の中に全ての音は消えてしまっていたが
その声だけは不思議とはっきり耳に入った。
そして光がおさまったころ
あれほど遠いと思われた腕は
拍子抜けするほど簡単に手が届いた。
掴んだのはほんの一瞬。
細くて弱いように見えたそれは
完全に変質してしまった自分の手を、ためらうことなくしっかりと掴んだ。
その途端、激情で真っ白になっていた頭にすうと心が戻ってくる。
大丈夫
帰る場所はここにある
手をさしのべてくれる母がいる
だから
俺は・・・!
「もう二度と、貴様らに飲まれたりなどするものかぁ!!」
吠えると同時に手にしていた閻魔刀が、身震いするかのように震え
まるで力を貸すかのように光を放ち始める。
バージルは掴んだ手の先にあった身体を引き寄せ腕の中にしまいこむと
言われた通り、残っていた魔力のありったけを使い
全力で赤黒い深淵から脱出した。
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