それはとあるよく晴れた日の
何の変哲もない、のどかな野原の真ん中でのこと。
ぽこぽことのんびり歩く馬の周囲を
三人の男士達(打刀二名、槍一名)が囲んで歩いている。
その馬の上には彼らの主がいて、何やらむずかしい顔をしつつ
落ち着かなそうに視線をうろうろさせていて。
「・・なぁ」
「駄目だ」
近くにいた文字通りの近侍のまんばに
何か言う前から即座に切り捨てられ、少ししてから。
「・・おい」
「なりません」
同じく近くを歩いていたへせべに声をかけてみるが
やっぱり内容を言う前から笑顔で却下された。
それからしばらく、ぽくぽくという馬の蹄の音だけがする中
むっすりと沈黙していた主が、やはり何か納得いかないのか。
「なぁ・・」
「・・ご自愛ください」
ダメ元で最後の砦と思われる蜻蛉に声をかけたら
申し訳なさそうなな声でそう返されてしまい
主としての自覚は薄いが、部下の優しさをぞんざいにできない千十郎は
馬の上で一人むくれるハメになった。
こんなのどかな風景の中、三対一で何を地味にもめているのかというと
事の始まりは主が少し遠めの散歩がしたいと言い出した事だ。
当初は護衛をつける事と、非常時用の馬を連れていく事で話が決まり
いつもの三名と馬に軽い荷物をのせ出かける事になったのだが
いざ出発する時になってその一頭だけの馬には
主が乗るべきだと三人もいる護衛達の誰もが頑なに譲らず
なんか落ち着かないから降りていいか、駄目だ
大名じゃないんだし歩く方が運動になるんだが、万が一のためですご了承ください
散歩にならないだろが、急に歩数を増やされると怪我の元になりますので
などという外野的にクッソどうでもいい事で現在にいたっていた。
あと敵襲の予定もないのに三人できっちり囲んでいるのは
以前主が馬に乗ろうとした時、勢いあまってころんと向こう側へ転げ落ちた前例があるからだ。
ともかくそれぞれに事情を抱えつつ微妙な空気の中
散歩だけど馬にのっけられ、護衛にしっかり囲まれるという
あまり散歩じゃない散歩もどきが続いていたのだが
気晴らしに外へ出たのに気楽じゃない空気と扱いに囲まれた主が
何の予兆もなく突然しびれをきらした。
「・・蜻蛉」
「は」
小声で呼ばれた槍が素直に寄っていくと
何を思ったのか主は突然その肩をがっと掴み
その長身をがさがさーと虫みたいに這って器用に馬から降りた。
ちょっと気色悪いがそうでもしないと降ろしてもらえないから
しょうがねぇだろと後に主は語る。
ともかく恥も外聞もない降り方で地面に降りた主は
『落ちつかん!歩く!』と言って早足で歩き出した。
「ま・・!おい!」
「主!お待ち下さい!」
打刀二名があわててその後を追い
少し遅れて残された槍も我に返って馬を連れそれを追いかける。
お前ら何しにきて何してんだというツッコミは
野原特有の人気のなさから発生することはなかった。
「はぁ、ひぃ、つか・・つかれた・・
なんで、ただの散歩が、リアル逃●中に、発展してるんだ」
「・・あんたが、逃げるからだろう」
「逃げられると追いたくなるのが・・いえ、そうではなく
あ、主そちらは草原・・」
「もういい、休む!つかれた!」
「まて、おちつけ。地面に寝ようとするな」
「支度をしますので少々お待ちを。蜻蛉切!」
そこらの草地に寝転がろうとしたのをあわてて止めつつ
馬を引いて追いついてきた蜻蛉と一緒に敷物をしいて
下に石をしいていないか確認してから主をそこに誘導する。
あまり俊敏でない蜻蛉がその手際のよさに感心するが
ともかく休憩に入った主を三人でそれとなく囲み
邪魔にならない程度の距離で周囲を警戒する。
「・・やっぱり一人か二人で来た方がよかったんじゃないか?
少人数ならこんなわちゃわちゃする事なかっただろうに」
「ダメだ。ないような段差や石でつまづいて転ぶ」
「イノシシや蜂に追われる可能性も捨てきれませんので」
「木の枝に引っかかれ、いつの間にか怪我をされるのは心苦しいので
出来うる限り同行をつけ御自愛頂きたく」
「ぐぬぬ・・」
ネタのような話だが、全部実際にあった事なのでぐうの音も出ない。
この主、見た目はおっさんなのに行動と結果が後期高齢者のそれに近い。
「・・じゃあもう護衛は勝手にしろ。そのかわり適当に気配消せ」
「わかった」
「承知しました」
「えっ・・」
引っ込みがちなまんばと夜戦慣れしたへせべは即答したが
この中で一番身体が大きく隠密関係に縁がない蜻蛉が一人困惑した。
それは三人に監視されると落ちつかないから
気配だけでも消せという事らしいが
忍者でもないのにいきなりそんな事できるわけが
・・いや、待て。お二人の様子から察するに
やって出来ない事、ではない、のか??
真面目な蜻蛉は結構なムチャぶりをされているのに気付かず
ちょっと考えてから持っていた槍を自分の前にどんと立て
まったく隠れられていないけどその影に隠れた。
どうやら槍と一体化したつもりで
『自分はここにいません槍だけです』という意思表示らしいが
野原の真ん中に槍は立ってないし、別の目立ち方をしている気もするが、要は気概だ。
ともかく見える範囲にいながらも気配を消した二人と
その努力はしてはいるが目立つ一人に囲まれながら
主はしかれた敷物の上でごろんとあお向けに寝転がった。
ちちちと鳥がさえずりながら空を横切り
草花の間をひらひらと蝶が舞う。
のどかだ。用事も予定も裏も表も隠し事もなく、実にのどかだ。
これは屋敷(本丸)では味わえないのどかさだと千十郎は思う。
なにせ屋敷にいるとこちらの都合おかまいなしに
上(なんかの政府)からの使い古された妙な任務や
誰得か不明な催しものの(大体がなんかを万単位で集めろな)話がとんでくるし
べつに屋敷や外で悪い事をする気などカケラもないが
本気の息抜き(サボり)はこうして外に出ないと出来ないというのが
意欲が変な方向へ向きがちな主の主張だった。
ともかく気兼ねなくごろ寝して見る空は、当たり前だが空色で
雲がゆっくり形を変えながら静かにのんびり流れている。
「・・なぁまんば」
「?」
そんな中、気配を消しつつもちゃんとその声を聞きつけた近侍が
すぐに反応してごろ寝の主の方に顔を向けた。
見るとその主はこいこいと手招きしていて
なんだと思いつつ近づいて膝をつくと、まだ手招いてくるので
さらにその手が届く範囲まで近づいてみると
なぜかいきなりがっと顔を掴まれ、おかしな方向へ引き寄せられた。
それは完全な予想外だったので反応ができず
主の上にまともに倒れこみそうになったが、ギリギリで両手をつき踏んばる事に成功。
ちょっと押し倒したような格好になったが
呼びつけたのも引き寄せたのも主なのでまんばにまったく罪はない。
槍に隠れていたつもりな蜻蛉が驚いたように擬態をとき
へせべにいたっては気配を消すのと見張りを同時に放棄した。
で、その主は何をしているのかというと
まんばの顔を掴んだまま何やら難しい顔をして
その顔をしげしげと凝視している。
「主!?どうされました?!尋問なら私が!」
「いや・・目の色が、空の色と、同じだったかなと、思っただけで・・」
唐突に何をしてるのかと思えばなんの事はない。
上を見ると確かにその空の色はまんばの目と同じ色をしていて
ただそれだけの確認をしていたらしい。
しかしそれにしても、もっとやり方というものがあるだろうに
この主、時々行動が突発的というか、予想のつかない子供というか
「へせべ」
「はい」
だがそこがいい。
というへせべの大体行きつく思考とともに反射的に返事をすると
まんばを放したその主が、こいこいと手招きをしているではないか。
それだけで全てを瞬時に察したへせべは、考えていた事全てをそこらに放り投げ
後退したまんばの跡地に風がおきるほどの勢いで膝をついた。
主の前でのみ発揮されるその瞬発力にも慣れたのか
その主は怯みもせず手を伸ばし、まんばと同じように顔に両手をそえ
その目をじっと眺め始めた。
「へせべは・・夜になりかけか、朝になりかけの色合いだな」
「意識したことはありませんが、主がそうおっしゃるのであれば光栄の至り
いえ、いっそ夜の始まりから夜明けまでずっと
余すことなく主を間近で堪能していたぐぁたたた」
うっとりしつつ主の手を撫で始めたへせべのわき腹が
復帰したまんばによって無言でぎゅうとつねられる。
そしていつも通り無言で地味なケンカを始めた二人をよそに
主の目がそれを困惑気味に見ていた蜻蛉に向いた。
あ、これはもしかして巻き込まれる流れかと蜻蛉は緊張するが
主はなぜか少し間をあけ、手招きではなく
何でもないと言いたげな苦笑いをよこしてきた。
それはほんの一瞬の、雨が数秒だけ小雨になったかのような違和感だ。
普通なら『よかった。延焼してこなかった』とほっとする所だが
普段のんきな主が見せたその一瞬を、蜻蛉は安堵で流さなかった。
「・・主、自分に何か不備でもありましたか?」
「え」
「差し出がましいかと思いましたが、何か思うところ有りのご様子」
「あ、え、いや〜・・」
まさかそんな指摘されるとは思わなかったらしい主は
少し気まずそうな顔をした後、先程の二人と同じくこいこいと手招きをしてきた。
蜻蛉は黙ってそれに従い、膝をついて待っていると
主は少し間をあけて手を伸ばし、いくらかの躊躇いをもって触れてきた。
「蜻蛉は・・夕焼け色、だな。
コムラ(千子村正)も同じだから、ムラタマ(村正)の関係かもしれんが・・」
そのいつもの主らしくない様子に地味な喧嘩をしていた二人も動きを止め
近くに来て『話せ』という無言の圧力をかけてくる。
普通なら主の権限で『何でもない気にするな』で済ませる所だが
さすがに誤魔化せないと思ったのか、主は少し居住まいを正してからぽつりと話し出した。
「これは・・わしの独り言として、聞き流してほしい話なんだが・・」
がっちり三人に囲まれていて独り言もなにもないだろうが
それは主の元居た場所にある守秘義務に関係することなのだろう。
「わしの身内に一人、緋色の、夕焼け色の目をしたやつがいてな。
元々は別の色をしていたんだが・・まぁ・・色々あって
日の落ちる前の空の色が、勝手に焼き付いて、そんな色になった」
それはあまり詳しい話ではなかったが
言い淀んだ後の『色々』という短い言葉の中に
あまり良い事情が含まれていない事だけは、その場にいた全員が感じ取れた。
「わしら身内にはちょっとした事情があって
あまり互いに干渉できなくて、それは後から分かった話で
・・なんというか・・誰も予想できず、かといって後から考えたらありそうな話で・・
いや、もうそんなもんは後付けの言い訳で
・・えと、つまり・・総合するとだな・・」
眉間をつまみ、いつになく苦々しい顔をした主は
目を閉じたまま小さな息と一緒にこうもらした。
「・・わしは、何も・・してやれなくてなぁ・・」
それは独り言というには無理のある
少ないながらも後悔と遺恨と罪悪感のこんもりのった独り言で
当事者でありながら当事者ではない蜻蛉は、ぐっと息をのんだような顔をし
距離を詰めて膝をつき、ためらいなくその手を両手でとった。
「主、よくお聞き下さい。我が名は蜻蛉切。
日頃より主に蜻蛉と略称される、主の元に最初に馳せ参じた槍にございます」
言い聞かせるようにゆっくり確かに、目をそらさず言葉を紡ぐ。
「主とお身内の方の間に何があったのか、自分にはわかりかねます。
ですが自分は・・少なくとも自分は、主の元にある事、この上ない幸福。
槍として、主の側近として、蜻蛉と呼ばれる個人として
それは今ここにある偽りなき確固たる事実。
そのように悲しいお顔をされる事はないのです」
すると主は少し驚いたような顔をして。
「・・そんな顔、してたのか?」
「はい」
しっかりとそう返され、そこでようやく自覚が出たのか
千十郎は自分の顎を少しさすり。
「・・そうか。悲しいのか、わしは」
他人事のようにつぶやいて、嘆息とも安堵ともとれるような息を一つついた。
「・・そうだな、お前は蜻蛉切で、あいつじゃない。
誰が意図したわけでもない、ただの偶然なのに・・」
それでいくらかの整理はついたらしく
主であり千十郎という名の身内思いは、とられていた手を握り返し、目を閉じた。
「・・すまんな蜻蛉。変な事に巻き込んで」
「いえ、主が悲しい思いをされるのであれば、自分としては由々しき事態。
どうか、お気を強く、我らは主のおそばにおります、どうか」
そして固唾をのんで見守っていた打刀達も静かに集まってきて
取られていた主の手の上下からそれぞれの手を重ねてきた。
「・・それは俺達に手の出せない問題なのかもしれないが
少なくとも俺達は・・今、あんたのそばにいる事はできる」
「主お一人で抱え込まれる事はありません。
たとえ世がどう流されようと、地獄の業火に巻かれようとも
我ら必ず主のおそばに有るのです。お心に留め置き下さい」
広い野外で密集した青年三人に目をやり、主はすうと息を吸うと
大きさや温度の違う手に包まれた手に感慨深げな視線を落とした。
「・・そういやお前達は、手元にある事で
持ち主の中身を強くすることもあるんだったな」
そんな事をつぶやいて息を一つつき、まずへせべの方を見た。
「へせべ」
「はい」
「書くもの、積んでたな」
「ただちに」
即座に意図を察して馬の方に駆けていくのを横目に
次にまんばの方へ向き直る。
「まんば」
「ん」
「目の届く範囲で一番見晴らしのいい高い場所
丘でいい。探してくれ。風のよく通る場所だ」
「わかった」
理由も聞かず走り去ったまんばを見送り、最後に残った蜻蛉に向き直る。
「蜻蛉」
「はっ」
「後向いてろ」
「?はい」
指示の意味はわからなかったが
とにかく手を離して後をむくと、背にあった主の気配が少し動いて
背中にあった髪の先をすこしつままれた感触がくる。
たったそれだけの事だったが、蜻蛉は無意識に息を止めた。
髪に感覚はないはすだがそれでもわかった。
迷いと不安と後悔と、ほんの少しの怯えに近い何か。
普段主が表に出す事のない感情の欠片が、そのわずかな場所から伝わってくる。
蜻蛉は思わず振り返ってその手を取りたくなるが
それはおそらく自分が不用意に詮索していけない事なのだろうし
主が今何らかの方法でそれを自ら解決しようとしているのなら
今自分が手を出すべきではないと思いとどまり、伸ばしたくなる手を握りこみ
言われた通り後ろを向くことだけに神経を集中させた。
「主、こちらを」
「ん」
それから少しして、へせべが戻ってくるのと同時にその手は離れ
いくらかほっとしつつ振り向くと、主は書道具を手際よく広げ
その場にいる誰もが知らない文字で何かを簡素に書きつけた。
そして墨が乾くのを待っていると、少しして今度はまんばが戻ってきた。
「あった。風はそれほどないが」
「よし、蜻蛉。着いたら肩貸してくれ。高さがほしい」
「承知しました」
そうして書いたものを掴みまんばに案内されてたどり着いたのは
風の吹き抜ける見晴らしのいい丘の上だ。
そこで主は蜻蛉に肩車をしてもらい、先程書いたものを空へとかかげた。
するとそよ風程度だった風が急に吹きあげるような突風になり
何事だと思うのと同時にぱん!とはじかれるのような音がして
主の手にあったそれがなくなっていた。
周囲を見回してもそれらしき物は見当たらないので
今の突風が持ち去ったらしい。
「・・今ので届くのか?」
「詳しくは話せないが、わしらの流儀でな」
つまり主の元いた所のルールか何かで届くらしく
肩の力が抜けた主の手が、てんと蜻蛉の頭の上にのってきた。
「・・さっきの独り言の続きだが、色々あった夕焼け色の目のそいつは
その時の反動か、はてまた自衛なのか、その時までにあった記憶や
わしらの事もまちまちにしか覚えてない」
え、という空気に囲まれつつ主は少し笑って続けた。
「ただそのおかげなのか、今は良い縁に恵まれて
色々ありつつもそこそこ幸せにやっている。
それが良い事だったのか悪い事だったのかどうかは・・
そいつにも、当然わしら身内たちにも誰にもわからん。だが・・」
もう何も残っていない手に視線を落とし
空をさわるように天に向かってかかげ。
「せめて遠くから、少しの幸せを願うくらいは・・してもいいよな」
誰に言うでもなく、静かにこぼされたその言葉に
蜻蛉はただ『はい』とだけ返し、少し熱くなった目頭をなだめるように目を閉じた。
主の抱える事情はわからないが、今日この時の行動で主の心が軽くなるのなら
それに勝るものはないというのがこの場にいる三人すべての総意だ。
「・・今回の俺達の行動が、あんたにとってどう転ぶかはわからないが
少なくとも俺・・いや、俺達は、ここに、あんたのそばにいる」
自信なさげに、でも大事な事はちゃんと目をそらさずに言い切ったまんばの横で
へせべが胸に手を当て軽く頭を下げた。
「有事の際の責任は、全て我らにお渡しください。
良くも悪くも、主の重荷を少しでも軽く出来るのならば本望」
そんな部下たちをいつもより高い場所から見ていた主は
なぜか額を押さえつつ、ぐはぁ〜、聞いたことのない特大のため息をついた。
「・・ってぇことはあれか?
わしは今から坂道を転がり落ちるくらいの不運に見舞われるのか」
「そのような・・主ともあろうお方が縁起でもない」
「・・俺達はそんなに頼りない・・のか?
いや確かにそう・・胸を張れるほどの自信はないが・・」
「逆だ。逆。こんないいやつらに囲まれてるってのに
これ以上の幸運に遭遇するとか想像できん」
今がいい分のしっぺ返しがいつか来るんじゃないかというのと
今が結構恵まれているのだというのを再確認しつつ
自称へぼおにわ(さにわ)でいい部下たちの主、千十郎は天を仰いだ。
「いやぁ、まいったなぁ。これは帰ったらタンスとか障子の角に
手足の指ぶつけないように気を付けないと」
「その程度・・いや、まぁ、確かに痛いには痛いが・・」
「その時は手当の後、常時主の足となり
どこへでもお運びいたしますのでご安心を」
「確かそのような事態を『キュン死』と言うのでしたか」
「う、ん・・・んん?いや、あって・・ないような、そうなような・・」
どこでそんな言葉覚えてきたんだと思いつつ
首をひねりながら上を見ていた主は
ふと何か思い出したように手元にあった蜻蛉の顔を覗き込み
その目をじっと見てからふと微笑んで。
「でも、ありがとな皆。本当に・・」
などと言いつつ蜻蛉の頭をぎゅと抱え込むものだから
動揺した蜻蛉がよろけ、危ないからやめてあげろとまんばが止めに入り
『主!そのお役目私が!是非!』とへせべが前のめりな挙手をする。
そして主も主でよせばいいのに
『よぅし!覚悟しろ!』などと言ってへせべに豪快に飛びうつり
幸せそうに受け止めようとするへせべと、止めに入ろうとしたまんばごと
ごつめの音を立ててつぶれ、同時に反動で蜻蛉も崩れ落ち
結局全員が全員、なかよく地面とお友達になった。
さてこのお話。ほのぼのして終わったと思うところだが
もう少しだけ、続きがある。
はたから見ると野原でみんなでキャッキャして
ついた草や土をはらいあい、来た時とはまったく違う空気で帰路につく。
帰りは全員疲れたのか思うところがあるのか
誰も一言も発さず静かなものだ。
そして屋敷(本丸)の門が遠くに見えてきたころ
日が沈みかけ周囲の景色が音もなく静かに夕焼け色に染まり
先頭で馬の手綱を引いていた蜻蛉が心配して主の方を見上げようとした、その時。
ひょん ぽく
「あて」
主の真上から何かが風を切ってその頭に落ち
ぽてと間の抜けた音を立ててその手の上におさまった。
それは手紙の巻かれた矢文だ。
ただ先端の部分は布を丸く巻き付けられているので
殺傷力のない子供が作ったような緊張感のないもの。
なので周囲に三人もいた護衛達の反応が遅れた。
「・・・!?てッ!!敵しゅ!」
「あ、すまん敵襲じゃない。さっきの返事だ」
声を上げようとしたへせべをやんわり止めつつ
主はゆるめに結ばれていたそれを手早くほどいて広げ
ざっと目を通した後、哀愁と驚きと懐かしさのまざった複雑な表情でふと笑い。
「・・そう・・だな。そういやお前は、そんなやつだったなぁ」
読み終えたそれを胸に押し付け
心配そうに見上げてくる部下達に苦笑いをよこしながら。
「・・えと、まぁ、要約すると、怒ってないし
お互い様なんじゃないか、なんだとさ」
そうして色々とはしょりすぎてわけがわからず固まる部下たちをよそに
主は手にしていた物をまとめて懐に押しこみ。
「なぁ〜ん、やーっぱりややこしい事になってる。
管轄外だろ、手当もつかないのに〜選んだのはわしだけど〜」
頭を抱えてもごもごし、ふいにぴたと動きを止めたかと思うと。
「・・なぁ、さっきの飛びつくやつ、もう一回やっていいか」
などと突然言い出すものだから、護衛達は一瞬固まった後。
「だめだ」
「はいぜひ!」
「・・・、えっ」
それぞれまったく違う反応の仕方するが
妙な時に判断の早い主は瞬時にその中間を取り
反応に困った蜻蛉に向かって『そぉい!』と飛びつき
さっきとほとんど同じ面白案件がはじまった。
大体いつも開け放している屋敷(本丸)の門からもそれが見えたのだろう。
姿は見えたが様子が変だと思われ何人かがばらばらと集まってくる。
その一連の小さな騒動をゆっくり沈んでいく緋色の夕陽と
彼らの頭上にできた綺麗なドーナツ状の雲だけが
ただじっと何も言わずに静かに見ていた。
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