その日、本丸に主の姿はなかった。
それはその日だけではなく身内の用事とやらで数日間の留守の途中で
まぁ簡単に言えば実家の用事でいないだけで、数日後には戻ってくる予定だった。
その間の男士達は内番や遠征
いつもは主のしている雑用をしたりでそれぞれすごしていたのだが
その日、担当していた部屋の掃除を終えて主の部屋の前を通りがかった
蜻蛉切こと蜻蛉はふと何かが目に入って足を止めた。
それは押入れから出た足だ。
足など別に珍しくないのでそのまま通り過ぎようとするが
蜻蛉は再度足を止め、三度見くらいしてからようやく『!?』と思った。
よく考えたらおかしくないか?足?なぜ押入れに足??
だがよくよく見るとそれは誰かが押し入れ内の布団に頭から突っ込み
そのままただひたすらにじっとしているだけらしい。
まさか・・死・ん・・ではいない・・のだろうな。主の部屋なのに縁起の悪い。
などと思いつつ恐る恐る持っていたホウキでそれを遠くからつついてみるが
それは微動だにせずそこにあるだけで蜻蛉はじわじわと怖くなってきた。
これは・・誰かを呼びに走った方が賢明か。
いやしかし、これを放置して離れてもよいものか。
次に見た時まだそこにあるとは限らない気もするし、突然動きでもしたら・・。
などと迷うそれはスプレーぶっかけて動かなくなった茶色のGを片付けようとして
そこを離れたすきに逃げおおせられてないか心配する心境に似ていたが
ちょうどその時、掃除後の見回りをしていた長谷部ことへせべが通りがかり
まごまごしている蜻蛉を見つけて足を止めた。
「?どうしたそんな所で」
「いえその、実はそこに・・」
おずおずと指した先には、押入れからぬんと出ている誰かの足。
だがへせべはそれを見てもまったく動揺せず
むしろムッとしたような顔をしてずかずかとそれに近づき
むんずとそれを両手で掴んでずぞーと物のように引っぱり出した。
それは雑に引っぱり出されたので強風でひっくり返った傘みたいになったが
見るとそれは山姥切国広のまんばだった。
どこで何してるんだと思うが、よく考えるとそこは主の部屋。
つまりそれは主のお布団だから主恋しさゆえの奇行だったらしい。
その証拠に引きずり出されて裏返った傘・・ではなくおかしな状態になったまんばは
その状態を戻そうともせず、のろのろと布団の中に戻ろうとする。
が、途中でへせべにずんと背中を踏まれて阻止された。
「気持ちはわかるが哀愁にくれる暇があるならもっと建設的な行動をしろ。
内番を命じられていなくともこなす仕事は山ほどある」
とは言えまんばは元々主のそばにいる時間が多く
主がいないと自発的に何かをする力が弱めな方だ。
そして同時にそばにいる時間が長かったということは
離れている間のダメージも大きいということになる。
「・・あいつが・・いない。
いない間くらい気楽にしてろと言ってくれたが・・ダメだった。
いないから声が聞けない。声もかけてもらえない。返事も出来ない。
挨拶もできない。撫でてもくれない。笑ってもくれない。
そこにいない、近くにいない、声の届く場所にいない・・ない、ないないないない・・!」
それはもう禁断症状の域だ。
ここでの最古参なのに禁断症状なんてどういうことなのと思われるが
一番古くからいるからこそこの状況なのだろう。
まぁどっちにしろ背中を踏まれたまま畳をカリカリ引っかくまんばと
じわじわと顔を険しくするへせべとを交互に見て
どうしてよいものかどうかとおろおろする蜻蛉をよそにまんばは続けた。
「・・唯一あいつの布団に残り香があったが、それでもぬくもりはないし
日に日に薄れていくそれを・・俺はどうすることもできない。
無力だ・・俺はあいつがいないとこれほどに無力なのか・・」
などと突っ伏したままぶつぶつもらされていた泣き言を
へせべは踏んでいた足をようやくどけてすっぱり一蹴した。
「何を当たり前の事を嘆いている。
そもそも留守を預かる身なら主代行としてもっと毅然とした態度をもって・・」
「・・・お前は・・平気なのか」
「?何がだ」
「ここは・・あいつの場所なのに、あいつがいない。
姿が見えないし声も聞けないし撫でてもくれない。・・それで、お前は平気なのか」
するとへせべ。急に顔からすっーと表情を消したかと思うと
突然カッ!とカラクリ人形みたいな早業で般若の形相になった。
それは『平気なわけねぇだろが忠誠心と精神力と気合と根性と努力その他もろもろで我慢してるに決まってるだろがよりによってお前が蒸し返すなはっ倒すぞ』という事らしく
横でハラハラしながら見守っていた蜻蛉は突然降って沸いた殺気にびびりつつも
黙って殴りかかろうとしていたへせべをなんとか取り押さえた。
「は、長谷部殿!おさえて下され!」
「・・何を取り乱している。俺はいつも通りだ何も問題ない」
「ではその振り上げた拳を下ろしてくだされ!」
あとそれイケメンがしていい顔じゃないとも言いたかったが怖くて言えない。
この長谷部ことへせべ。普段は沈着冷静だがこと主の事になると
0か100000しかないような性格になってめたくそ怖い。
だからその怖い人を置いて再び布団にもぐりこもうとしないでまんば殿!
と思っていたら願いが通じたのか、まんばはぴたりと動きを止め
顔だけをこちらに向けて口を開いた。
「・・お前もだ蜻蛉切。お前はなぜあいつが不在でも平然としていられる」
ああぁあ!!しかも関係ないのに飛び火してきた!?
正直怖いがここで逃げたら確実に事態が悪化するし
背中から飛び蹴りをくらっても文句は言えない。
蜻蛉はありったけの勇気をかき集め、主の顔を思い出しながら言葉をしぼり出す。
「あの・・いえ、なぜと言われましても・・」
蜻蛉としては平然としているつもりはない。確かにちょっと寂しくはあるが
それ以前に主に対するある確信があったからあまり気にならないだけだ。
「えぇと、その・・主が二度と戻られぬと宣言されるか
そのような事態におちいる危険地に向かわれたのであればともかく
予定を告げられ帰還の日付もわかっているのですから
自分はその日まで自分ができる事をするまでかと」
地味だけど全くその通りな正論にまんばとへせべは数秒間フリーズし
なぜかお互い顔を見合わせると、まずへせべが重々しく口を開く。
「・・・蜻蛉切」
「は」
「俺を殴れ」
「は・・・・はぁ?」
思わずうなずきかけた言葉が途中でひっくり返る。
「顔が嫌なら腹でいい。強めにやれ。遠慮はいらん」
「?え?・・あの、話がまったく読めぬのですが??」
「では拳を握っていろ。勝手に使う、動くなよ」
「えわ!?な、お待ちくださだれ一体何を始めるおつもりか?」
本当に勝手に拳を握らせ、そこに顔を打ちつけようとしてくるへせべから蜻蛉は逃げ
そうしてどたばたと走り回る大の男達をよそにまんばは考えた。
言われてみれば確かにそうだ。時間をつぶすのは簡単だろうが
その時間を主のために使うというのは実に名案。
なんで今まで思いつかなかったんだ。
むしろ今まで何してたんだと思うくらいだ。
「蜻蛉切」
部屋と縁側をぐるぐる走り回っていた二人のうちのへせべの方を
ラリアートで引っ掛けて沈めながらまんばは問いかける。
「俺が今、あいつのために出来る事はあるか?」
「え?・・えぇと・・」
今ごく普通にへせべを撃沈させた事はどうでもいいのかと思うが
蜻蛉は戸惑いつつもやれそうな事をいくつか考えて1つの案を出してみる。
「まずは主の布団を干すというのは如何でしょう。
確か山姥切殿は以前に主から干し方を教わっておられたはず」
「そうか!なるほど!」
水を得た魚のように元気になり、倒れているへせべを飛び越えて
さっきまでもぐり込んでいた布団を押入れから出してばっさと広げ。
「・・・干したらあいつの匂いが消えてなくなる・・・」
「大丈夫ですから!またお使いになられるものですから!
無限ループはおやめくだされ!」
名残惜しげに顔を埋めてしゅーんとしだす
テンション差激しい近侍を蜻蛉は慌ててなだめた。
ちなみにへせべは数分後に復活して蜻蛉の肘に頭をぶつけるという
セルフ反省で蜻蛉をびびらせた。
そしてそれから数日後。
「おーい、帰ったぞー」
出かけた時と同じく一人のんびりと主が帰ってきた。
手にはいくつかの手土産らしき荷物があり、他には変わったところもケガもなく
わーと集まってきた短刀たちを順番に撫でていたが
途中で普通なら真っ先に出迎えに来るはずの二人がいない事に気がついた。
「ん?まんばとへせべはどうし・・」
た、と聞こうとした時、遠くからどだだだだと走る音が二つして
廊下の奥から土色の何かが二体あらわれた。
「お二方お待ちを!せめて庭から回られるか足を拭いてから・・!」
その後ろからはなぜかぞうきんで床をふきふきついてくる蜻蛉の姿。
ということはあの土色、もしかしてまんばとへせべの組み合わせだろうか土色だけど。
「主!お帰りなさいませ!」
「帰ってきた・・!」
「ぅわわわわ、ちょ、ちょいまちお前ら、何だ一体。ただいまだからそこで止まれ」
一体何をしていたのか近くで見ると二人とも全身泥だらけで
そのくせ目だけ輝かせて近づいてこようとするので慌てて待ったをかけ
後ろからついてきた比較的マシな汚れ方をしている蜻蛉に目をやると。
「・・主がお帰りになられるまでに畑の開墾が出来ないかと我々三名で考え
ついでに馬の世話草引き庭掃除などの外仕事を引き受けておりましたところ・・」
「熱中しすぎて風呂にも入らず今に至る。か?」
「・・・・・・はい」
悪い事をしたわけでもないのにしょぼんとする蜻蛉に
千十郎はちょっと申し訳ない事をしたかなと思う。
この三名。根が真面目なのは共通する点だが
その真面目さが自分の不在時にどう変化するかまでは予測していなかった。
まとめて遠征にでも出しておけば普通に仕事して普通に帰ってきただろうが
ただの留守番で『留守の間頼むぞ』だけでは言葉が足りなかったらしい。
「・・えーと、じゃあまず風呂入って着替えてこい。話はそれからだ」
「べつに・」
「主命とあらば!」
何かツンデレ的な事を言いかかったまんばの台詞は
へせべの元気な返事にかぶせられ、さらには襟首をふん掴まれ強制連行されていく。
その後を慌てて一礼した蜻蛉が床を拭きつつ追いかけていき
その場が急に静かになった。
よし、今度から留守にする時はちゃんとした指示を置いていこうという決意を新たに
千十郎は周囲で様子を見守っていた男士達に言った。
「おうい、誰でもいいからあの三人の部屋から枕を持ってきてくれんか」
本来ならさっさとあがって主に会いたいがため、カラスの行水で済ませるところだが
泥だらけで主に会うのはまずいという蜻蛉の説得で思いとどまり
早急かつ丁寧に綺麗にして手早く身体を拭いて急いで服を着て
『お二方とも髪の乾燥を!』という声と一緒に飛んできたタオルで
頭を雑に拭きながら早歩きをする事少し。
見えたのは人の集まり始めている大広間の真ん中に座り
ちょうど左文字組と談笑し終わったらしい主の姿で
それがこちらを見るなり『おうこっちだ』と言わんばかりに手を上げたので
その瞬間、まんばとへせべは同時にダッシュをかけた。
一瞬速かったのはへせべだが、あと数歩という所でまんばに無言のタックルをされ
主の前にごずんという怖い音を立ててタッチダウンされた。
「・・元気だなぁお前達。どろんこになるまで働いてたのに疲れないのか」
「はい!このへせべ、主のためならば365日365年粉骨砕身お仕えする所存!」
「俺は・・あんたの顔を見ると疲れにくい体質なだけだ」
もう慣れたのかほとんど動じない主と
テンションの対照的な二人の構図は外から見ると若干シュールだ。
ともかくそこにようやく追いついてきた蜻蛉も加わりお出迎え兼反省会の形は整った。
それぞれをちゃんと座らせ、なぜか各部屋から持ってこさせた枕を投げてから
主はあらためて口を開く。
「で、今回の留守番の件。三人ともご苦労さんだったな。
仕事を回してなかったのに泥だらけになるまでがんばってくれたみたいで」
「・・元々の発案は蜻蛉切だがな」
「そこからの案を活用したまでですので」
「え”」
功労者という事で二人は気を利かせたつもりかも知れないが
それは蜻蛉からすれば完全なとばっちりアンド責任なすりつけ行為だ。
悪気はないのだろうが何この仕打ち、と温まった先から冷や汗を流しそうな顔をする蜻蛉に主はさして気にした様子もなくひらひらと手を振った。
「あ、いや別に責めてない。内容はどうあれ自分達で考えて行動するのはいいことだ。
ただそこの二人みたいに度が過ぎるのは感心せんがな」
その途端、親切で投げたボールが銃弾で戻ってきたようなその展開に
主大好きな打刀二名がびしりと固まる。
だがこの主は誉める怒るの2択しかないような主ではない。
「というのもお前達はわしがいる時にだって十分にがんばってくれてるんだから
わしがいない時くらいさぼったってバチは当たらないんじゃないかなって話だ。
大体がんばり過剰でわしのいない所で倒れられでもしたら
それこそ笑い事じゃない大失態だ。もしわしがそうだったらと仮定すればわかるだろ?」
確かに主が自分達のいない間に主ががんばりすぎて
過労で倒れたり怪我をしたり、とにかく何かあったらと思うと大事どころの話ではない。
いれば即座に対応できるだろうが、そうでなかった場合など想像するにも恐ろしい話だ。
「だからそれなりのほどほどに、な。
今日のところはごくろうさん、がんばったで済ませるが
次からはできれば心に留めておけ。蜻蛉も一応な」
「・・わかった」
「・・主命とあらば」
「心得ました」
こうしてきっちり理解してそろって頭を下げてくるところは部下っぽいなぁと
今まで部下を持ったことのない千十郎は変なところで変な感心の仕方をした。
「よし。じゃあ次からの注意点が行き渡ったところで
お前たち含め皆には今から簡易休暇を与える。わし込みでな」
なとど突然妙な提案をしてきた主に三人はそろって不思議そうな顔をしたが
主はかまわず自分の枕を膝の上に置いて説明を始める。
「他の連中にも声をかけたが、今から夕方まで昼寝の時間とする。
わしも休むからお前達も働いた分きっちり休め。
わしが動いてたらお前達も休みにくいだろうからまとめて休むぞ」
「しかし主、主命と言えど私どもにそのようなお気遣い・・」
「ちなみにどこで寝るかは自由。早いもんがち・」
だからな、と言う前にへせべが音速で主の隣を確保し
一瞬遅れたまんばもその反対側を飛び込むようにして確保した。
取り残された、というかその異様な速度についていけない蜻蛉は
一人困ったような顔をしていたが主が残った足元をぽんと示してくれたのでそこで落ち着く。
「よっし、じゃあ寝るぞドロ社蓄ども。
起床時間適当。気楽に休め。てなわけでおやすみ」
「・・おやすみ」
「おやすみなさいませ」
「お、おやすみ・・で、あります」
そうして主を中心にし、思い思いに転がって昼寝にとりかかる。
とは言えそんなにすぐ眠れるものかと思われたが
それから1分もしないうちに主とその近衛達はまとめてすとんと寝入ってしまった。
一見して元気に見えても外仕事や遠出帰りのツケはちゃんとあったらしい。
と、思ったらしばらくして真ん中の主がむくりと起き上がり
周囲に転がっていた連中の頭を一人づつ起こさないようそっと撫でてから
再びごろんと横になってぐうすか寝だした。
坊さんに引っぱって来られ、しぶしぶその場に居合わせていたたぬきが
その様子を遠目に眺めながら。
「・・あそこのカタマリ。べつに血縁とか刀派が一緒ってわけじゃ・・ねぇよな」
などと怪訝そうにもらすのを
小夜を寝かしつけていた坊さんと宋さんが顔を見合わせ
少ししてから二人で静かに笑いあった。
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