季節にもよるが、急な雨は本当に急にふってくる。
雲の状態で多少わからなくもないのだが
人の都合や行動範囲を配慮しないのが天候というもの。
いつの間にか暗くなってきたかなと思えば瞬時にあたりを水浸しにし
読めないタイミングですっとやんで少し後に晴れ間がのぞく
そんな天気が年に数度であったりする。
まぁつまりは何を言いたいのかというと。
ぽつ ぽつ ぱら ぱらぱらぱら、ぼたぼたぼたざざざーーー
「うっはぁ!きたー!」
「主!お早く!」
簡単な外への用事の帰り道で、千十郎と蜻蛉切はその急な雨にばったり遭遇した。
そこはのどかな田園地帯の真ん中の道なので
雨宿りできそうな場所はほとんどなく、大きな木もなければ建物もない。
主の千十郎はとっくにあきらめて笑いながら走っているが、蜻蛉は何とか主だけでも雨から守れる場所はないかと走りながら目をこらす。
すると走る先に小さいながらも東屋があるのが見えてきた。
おそらく近隣住民がこしらえたのだろう。幸い中には誰もいない。
「主!あちらへ!」
「お、よし!」
二人してばたばたと走りこむと、ようやく上から遠慮なくふりそそいでいた水が止まる。
見るとそこはそれなりに年季の入った場所のようだが、雨漏りはしないらしく下の地面は乾いていて草も生えていなかった。
「蜻蛉、ちょっと持っててくれ」
いくらかほっとして主に向き直ろうとした蜻蛉に、ぼすと濡れた風呂敷包みが渡される。
え?と思う間に主は濡れた羽織を脱いでぶんとふって水気を飛ばし
どこからか出した手ぬぐいで濡れた場所を手早くふいていく。
やけに手馴れているのはあらゆる家事を段取りよくこなす主だからこその技だ。
「災難でしたな」
「帰りならかまわんさ。着替えて風呂に入ればどうとでもなる」
言いながら預けた荷物から手ぬぐいを出して蜻蛉に手渡し
さらにもう一枚、割烹着のような内着を脱ぎ始めて蜻蛉は軽くあわてた。
脱いだ下はちょっとよれたおっさんシャツでだらしなさ倍増だが、蜻蛉としての問題はそこではない。まったく見た事がないわけではないが、とにかくそれは蜻蛉にとっては心と視覚の問題だ。
だが今はそんな場合ではない。薄着と濡れ肌と艶の増した黒髪等は確かに目に焼き付くが、とにかく今はそんな場合ではない。ないったらない。絶対にない。あってたまるか。
と自分で自分に強引に言い聞かせ、渡された手ぬぐいと心の手綱をぎゅっと握りしめる。
「主、お背中を」
「お、すまんな」
とにかく今は主が優先だと主の背中に回って肌の濡れた部分をざっと拭き取り、シャツの水気も念入りに拭いていく。
今はそう肌寒い季節ではないが、そこから体温を奪われて風邪でもひかれ、肺炎に悪化されようものなら一大事だ。
などという心配の仕方は老人に対するそれだが
何もない所でけつまづき、皿を棚に仕舞おうとして突き指をし、料理中に火傷をしても後で気がつくなど、随所にそんな気配があり、なおかつ年寄り扱いするなと一度も声を荒げたことのない主には妥当な話だったりする。
「この勢いならすぐにやむだろうが、一応すぶぬれ覚悟で走って帰るっていう手も・・」
「あるにはありますが、途中転んでさらなる大惨事に発展する可能性がありますので、何卒ご遠慮ください」
「だよなぁ」
まったく否定もせずのんきに笑う主につられ、蜻蛉もその背を拭きながらふと表情をゆるめた。
それに災難とはいえ蜻蛉としては少し不謹慎と思いつつ、これは小さな幸運だった。
状況はともかく主と共にいられるという事は、たとえ小さくとも今の蜻蛉が考えつく限りの至福のひと時だ。
ただし、今はまだ、だ。
というのもこの時蜻蛉は失念していたのだ。
この主が無自覚で周囲をヘンな方向へ振り回す性質がある事を。
「・・よし、あとは自然に乾くだろ。じゃあ次、蜻蛉。後ろ向け」
「え、いえ自分は・・」
「わしより面積多いだろう。いいからほれ、前は自力だ」
と言って強引に背中を向けさせられるものの
背中を手早く拭いてくる力加減は雑なはずなのに不思議と優しく
ぎゅっと胸の奥を掴まれ強めの酒を注がれたような気分になる。
・・うぅ、主だ。大雑把だが実は繊細でお優しい主だと妙な反芻をしつつ、もたもたと自分で前半分を拭いていると、続けざまに髪も丁寧に拭かれてしまう。
「主!そこまでされずとも・・!」
「気にするな。わしも似たようなもんだからな。
さっさと拭かないとどんどんはねて撫でつけても押さえられなく・」
「いえそうではなく!」
くせ毛の話ではないのですと振り向くとあまり見ない薄着の主が目に入り
あわててそこから視線をそらしながらなんとか言葉を作って説明しようと奮闘した。
「自分は・・!その、主に対し未熟であるがゆえ、に!
このような状況下、何と申しましょうか、あまりお近づきになられるのは
不埒な範囲であまり、その、思ってはいけないと思いつつも
見るのもよろしくないのではないかと・・思う次第で!」
そのやたらぶつ切りな台詞に主は『??』という顔をしていたが
しばらくして蜻蛉との間にあったある事情を思い出し。
「・・あ。っと・・いや・・すまん」
脱いだ上着類を抱きしめて少し丸くなり
逆効果の火に油になった蜻蛉は思わず目をばっしと手で覆い隠した。
「極力視界に入れませぬので!
できればこちらには背を向けていただければ幸いかと!」
「え、あ、うん」
大の男達がするやりとりじゃない気もするが
ともかくお互い視線をそらしつつ中にあった簡素な長椅子に二人して腰掛ける。
蜻蛉はそれでも用心して人一人分くらいの距離をあけ
さらに主との間に荷物を置いて適切な距離をとった。
本当ならもっと距離をおくべきなのだろうが、それはそれで不自然だし少しばかり寂しい。
しかし困った。今更ながら困った。
思いがけず主とこんな状態で二人きりになってしまうとは
通常なら嬉しい誤算なのだろうが、実際のところ状況がマズイ。
意識しなければ済む話とか思われるのだろうが、一度見てしまうとどうにも頭から追い出すのは難しく、雨もまだやみそうにないし外の視界も悪いままで、ずっと意識をそらすにも限界がある。
という事はここは気をまぎらわせるため世間話でもするべきだろうか。
天気・・は、見ての通りわかりきっているし、夕食の支度は出かける前に歌仙殿に一任しておられたはず。遠征の成果は帰還しなければわからないし、他に何か話せるような事は・・
「なぁ蜻蛉」
などと蜻蛉なりにあれこれ考えるが、じわりと引き出しの少なさに気付きかけたころ
主の方からこんな言葉がやってきた。
「前から聞いてみたかったんだがな
お前のわしに対する『好き』の気持ちってのは、一体どんな感じなんだ?」
「・・・・・、・・・・・はっ??」
予想外にもほどがある素っ頓狂な問いかけに
蜻蛉の喉から出した事のないへんな声が漏れた。
それは以前思いがけない形で露見してしまった話なのだが
まさかそれを直接、こんな状況下で聞いてくるとか唐突にもほどがある。
何を思ってそんな直球な話を世間話レベルで持ち出してきたのかは謎だが
ともかく蜻蛉はこまった。心底こまった。
お前は俺をどんな感じで好きなんだとか、そんな質問、蜻蛉でなくても普通にこまる。
だが蜻蛉はまっすぐで真面目で律儀だ。
困りはしたがしばらく考え、ぽつぽつと言葉にできる範囲で話し始めた。
「そ、う・・ですな。一例を申し上げるのであれば
ご一緒させていただいている時の安堵感、と申しましょうか・・。
主がおそばにおられる、もしくは自分の視界に入っておられますと
心根が丈夫になる、と申せばよいのでしょうか。
合戦場から本丸へ帰還した際の心情に似ているやもしれませんが・・」
「外から家に帰ってきた時の安心感みたいなものか?」
「近いようですが・・少しばかり違うかと思います。
別の事例としては、お手に触れさせていただいた時の至福感と
身の底から満たされる感覚が心地よい、という場合もありますし
言葉にするには難しく恐縮ではあるのですが・・」
「ふぅむ・・」
・・あ、でも今のはかなり即席でひねり出した解答なので
あまり真面目に考えこまないでほしいなと見守っていると
顎に手を当てて思案していた主はあまり時間をおかずにうんとうなずき。
「よし、わからん。わしはわしで蜻蛉は蜻蛉だ。
生まれた時からのわしが蜻蛉目線でわしを洞察しろとか土台無理〜」
などと早々に思考放棄してぼこぼこと肩からぶつかったり離れたり
子供じみた事をしてくる。
この主、賢いのかアホなのかたまにわからない。
「あ、あの、自分の解答に何か問題か不具合でも・・?」
「いや、お前には今のところ問題はない。
ただまんば(山姥切)とへせべ(長谷部)の行動原理について
多少参考になる所があるかと思って聞いただけなんだがな」
「?お二方の参考、ですか」
まんばやへせべがこの主に対し主以上の感情を持っている事は
それとなく見たり聞いたり喧嘩の仲裁をしたりしてそれなりに知っているつもりだが・・。
「二人とも行動派、というか何か言う前に行動から入る方の行動派で
そこの元が知りたくて、今と同じことを各自に聞いて・・は、みたんだ」
そして何やら考えるようにアゴをさすり主はかなり複雑な表情をした。
「で、その結果、まんばは布をひっかぶって部屋のすみでホコリに擬態し
へせべはやたら嬉しそうな顔して実地で教えるとか言い出して納屋
ゲッふ!ゴフン!・・まぁ、とにかく、まったく参考にならなくてな」
咳払いでにごした部分はちょっと気になるが
蜻蛉としてはそれ以前に二人が起こした行動というのが先に気になった。
「・・主。不躾な質問になるやもしれませぬが
お二方は主に一体どのような行動を?」
するとその主。少し黙ったあと何とも言えない顔で『・・聞くか?』と意味深な返しをしてくる。
それは聞いてもいいけれど後悔するなよという意味合いだと察して少し怯むが、今回はその怖さを好奇心がギリギリで上回った。
「・・さしつかえないのであれば」
「ん〜、そうか。ならソフトな所から話すとだな・・」
中略。
「とまぁ、そんなくらいの話にはなってるんだが
お前はわしとそこまでしたいとか思ったりなんやらは・・」
「滅相もそのような恐れ多くとんでもないのでは!!」
途中から手で顔を隠し湯気を上げ始めていた乙女槍が
こんがらがった否定をし、ついでに聞いてもないのにわめきだす。
「そのような艶めかうらやましい事態!したくないのかと言われれば否の一点ですが!まったくもって自制を保てる気がしませぬゆえ主の身の保証ができかねまする!」
「制御の方かよブルー●ス」
黙って聞いていた主からわかりにくいツッコミが入る。
主からすれば『そろいもそろってなんでこんなおっさんがいいのかまるでわからん』という思いしかないが、ただこうして事前に言葉として出したり自制をきかせてくれるというのは結構重要だったりする。
なにせ一人は走り出したら止まれない引っ込み思案イノシシ
一人は紳士の皮を上手に着こなしたムッツリスケベだ。
うん、書き出してみると何一つ噛み合わないし見事なまでにロマンがねぇと思いつつ。
「・・え〜と・・その、なんだ。あまり急なのや突発的なのは困るが
わしとしては・・そういうのは、キライではないし
どんなものか知りたい気持ちも少なからずある」
え、と思いつつ指の隙間から見た主は
照れたような困ったような何とも言えない表情をしていて
ドクンと心臓が一つ跳ね、無意識でその身体を抱き込みたくなる衝動に駆られるが
そんな蜻蛉の心境をよそに、主は頭をかきながら。
「だからその・・お互いド素人でなんだが、ま、気負わずゆっくりでたのむな」
などと柔らかく笑うものだから
蜻蛉の頭の中や身体の芯にあった熱がばしゅうと全身から抜けていき
自然と姿勢が正され、口から勝手に言葉がすべり出た。
「・・拝命いたしました。未熟ではありますが堅実に務めてまいりますので
何卒宜しくお願い致しまする」
「ははは、カタイ。でも、ありがとな」
それはよく聞くと時間差の告白OKなやり取りな気もしたが
未熟でニブめ二人は気付かないまま控えめに笑い合い
ようやく普通の降り方になってきた雨をながめた。
せっかくの二人きりなのでもう少し進展があってもいいようなものだろうが
ゆっくりでいいと言われたばかりだし、近すぎず遠すぎず、でも見なくてもそこにいるとわかる距離で静かな時間を共有するというのも悪くないものだと蜻蛉は思う。
だが思いがけずこんな時間をもたらしてくれた雨も、じきにやんで晴れるだろう。
そうなると穏やかで心地の良い時間も自然と終了だ。
もう少し、こんな静かで贅沢な時間を過ごしていたいところだが
天候というものは当然ながら人の都合を考えてはくれない。
あまり時間のたたないうちに雨はすっと上がり、雲の合間からさした日差しが
木々についた水滴をきらきらと光らせ始めた。
「・・やんだな」
「・・そのようですな」
主がよいしょと腰を上げ、蜻蛉も遅れて腰を上げ外をのぞく。
さっきまで空一面にあったた雲はバラバラにちぎれて少なくなっていて
本当に通りすがっただけの雨らしい。
降り始めは厄介だったそれも、今となっては名残惜しい。
「さてと。それじゃ今のうちに帰るとするか」
あまり遅くなって暗くなるとさすがに心配されるだろうからなと
主はまだ乾ききっていない羽織と風呂敷包みを手にして。
「主」
二歩もいかないうちに蜻蛉に呼び止められた。
「?どうした?忘れ物か?」
「いえ、その・・お・・」
「お?」
「・・お、・・おて、てッおおておててを・・!
「??おてて?」
「そッ!う、ですが!そうではなく!」
何かえらい勇気のいる事がしたいらしい蜻蛉切。
何を思ったのか素早くざっとひざまずいて。
「お手を少々、お貸し頂きたく」
「?おう」
たまにしている手を貸してくれというやつかと思いつつ手を差し出すと、蜻蛉は今世紀最大級の面持ちでなぜか自分の指先に口を押し当て、それを差し出された主の手のひらに軽く押し付けた。
主は『ん?』と思ったが、それはおそらくコムラ(千子村正)の入れ知恵だろう。
それだけの事にかなりの気迫をもってやり切った蜻蛉は平静を装いつつ。
「・・では、まいりましょう。時間は押しておりませぬが
いつまた天候が悪化するやも知れませぬゆえ」
ガッ、どご、ばす
掴んだ槍を屋根にひっかけ、ひじを柱にぶつけ
自分の足にけつまづきながら東屋から出た。
見るとまだ乾ききっていないその頭からはうっすら湯気が立ちのぼり
耳がそうとわかるほどに赤くなっていた。
主はそれと自分の手を交互に見てまばたきを数回し。
「・・っく〜!ひっっぱられるぅ〜」
と小さくもらしながらぶるると身震いし
湯気を上げながらもちゃんとこちらを待ってくれているその背中を小走りで追いかけた。
そしてその後、進展があったようななかったような二人は
のんびり帰り道を歩いていたところ、心配して馬で迎えに来たまんばとへせべに発見され
冷えて風邪ひくとかいやそんな大げさなとか言いつつ馬で帰還することになるのだが。
「・・わしとしては、もう少しゆっくり歩いて帰りたかったんだがなぁ」
どちらが主を前に乗せるかじゃんけんで決め始めた打刀達をよそに
主はそんな言葉をぽつりともらすが、集中していた打刀達は気付かず
ただ蜻蛉だけが少ししてからはっとしたような顔をし
あわてて横を向いて咳払いをしたそうだ。
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