「このような時に悪いのだが、実は・・折り入って相談したい事がある」
蜻蛉切がそう切り出したのは、内番の畑仕事の真っ最中。
畑を耕しこれから苗を植えようかとしたころの事だ。
なんでそんな中途半端な時に切り出したのかというと
他の誰かに聞かれると困るし言い出す勇気がなかなかわかず
じりじり悩んでいて今頃になってしまったという情けない理由からだ。
「実は近頃、主の事が気になって仕方がないのだ。
職務護衛内であれば当然の話ではあるのだが、それ以外の何気ない一瞬
ふとした拍子、どう考えても関係ない時にまで気にかかるのだ。
視界に入っていれば確実に目で追い、そこにいなければ今何をしているのか
誰といるのかどのような話をしているのかなど事細かく気にかかり
実際に話をしていると気分が浮つき気を抜けば顔が緩みそうになる」
しかも返事をする前からもう相談する気満々な上に
聞いてもないのにべらべら喋るわ最後部分はのろけに近いわで
相談する気があるのかないのかわからないような状態だが
それを良しと思わず他者に相談しようとする姿勢はある意味理性的だったのかもしれない。
「問題はその・・・情けなくも恥ずかしい話になるのだが
たまに主をまぶしくて直視できない時がある。
自分のような無骨者にも分け隔てなく接してくださる寛大なお心。
時々される優しい眼差し、書物と向き合う際の凛々しい表情
たまに見せる子供のような無垢な笑顔。あと・・」
が、じわじわと怪しくなる雲行きに比例して挙動がおかしく
・・いや乙女くさくなってきた蜻蛉はひとしきり胸のうちを話した後
ようやく意を決したようにこう言った。
「このような気概で主にお仕えしてよいものかどうか、自分だけでは判断できん。
恥を忍んで聞いておきたい。自分は・・どうすればいいと思う?」
「脱げばいいのではないデスか?」
とてもわかりやすいアウト解答をくれた千子村正ことコムラの頭に
瓦も割れそうな本気手刀がずどんと落ちた。
現在この時点で唯一の槍、蜻蛉切。
悩みを相談しようとする姿勢はあっても
その第一歩たる相談相手の選択がすでに間違っていた。
千子村正。コムラサキシメジに似てるという主の謎発想で
コムラと呼ばれるようになったその刀は、元々は妖刀として有名だった
・・らしいのだが、刀素人の主からはただ脱衣癖のあるヘンな刀とだけ認識され
蜻蛉と同じ刀派のためよく組んで行動し、かつよく脱ごうとして怒られ
今回も相談を持ちかけられて妖刀のよの字もなくなってきた刀なのだが・・。
「痛いデスね。どうして叩くのデスか」
「人が真剣に話をしているというのにまったく聞いていないのかお前は!」
「いえ聞いていてこそノ解答ですヨ。
何も考えず己がありのままで主に突撃し玉砕するモまた一興」
「玉砕前提の話を愉快要素を混ぜて持ってくるな!」
「え?ダメなノですか?」
「ダメに決まっている!そもそも実行して主に拒絶でもされようものなら・・
・・・立ち直れる気がしない・・・むしろ生きていく自信がない・・」
想像するだけでも心にくるのか、じわじわ落ち込む大の男に
メンタル脆弱純真無垢の可憐乙女デスかとツッコミたくなるが
しかしガチガチの堅物がしばらく見ないうちに妙な変わり方をしたものだとコムラは思う。
おそらくはあの妙な主の影響もあるのだろうが
ま、これはこれで面白いから別にいいやと無責任に解釈しておく。
「ではちなみに気になり出したきっかけナドはありマスか?
あ、手ずから手入れされテ風呂で洗われた件ば別デ」
「待て!?一体どこでそれを聞いた!??」
「迷惑をかけないならどこで脱いデモかまわないと言われたツイデに
その件ではトラウマになったかも知れんから
できれば蜻蛉の前ではなるべくひかえてくれ、と主ガ」
「本陣からの情報漏洩?! 」
「しかしそれホド悩むのでしたら、いっその事その旨を主に直接お伝えしてはどうデス?
主の事ですから案外ケロリとしていそうデスし」
「確かに主はそうかも知れんが・・その場合、自分の方が致命傷を負う可能性がある。
・・いや、負う。恐ろしいことに心が折れる予感しかしない」
「では胸の内にしまっておき、今まで通りに接スルしか・・」
「できそうにないからこそ相談しているのだ。現に、その・・以前に立ち会っただろう」
「あぁ、そういえばそうデしたねぇ・・」
コムラでも苦笑するその話は少し前の遠征帰りにまでさかのぼる。
新規加入したコムラのレベルがそれなりに上がり
新入り恒例のワンパン重傷もしなくなってきたころ。
たまには遠征でも行って来いと遠征用部隊に組み込まれ
何度か遠征をこなして帰ってくるようになってからの事だ。
「主ー!ただいま帰りまーシター!」
「はいはいお帰りんご〜」
主を見るなり両手を広げてハグを要求してくるコムラと
それをのんびり出迎える主に加え。
「村正ァ!」
それを聞きつけて走ってきた蜻蛉がゲンコツを落としてコムラを主からひっぺがす。
この一連の流れがコムラ遠征帰りのワンセットになりつつあった。
主の千十郎はそういった事に抵抗がないのかまるで気にしていないし
他の男士達もこの少々変わった刀の行動にも慣れてきたところなのだが
蜻蛉だけはいつまでたっても律儀にすっ飛んできては
このやり取りを毎回飽きもせずに繰り返している。
ちなみにこの速さを戦闘でも生かせればなぁと毎回主が思っているのは内緒だが。
「しかし蜻蛉も律儀だなぁ。わしは別に気にしてないから
わざわざすっ飛んで来ずともかまわんのに」
「なりません!礼節と規律の問題です!
なお現行犯でたしなめなければ効果がありませぬゆえ!」
「・・それ犬猫のイタズラ時の躾の仕方・・まぁお前がそうしたいなら別にいいが」
「村正もいつになったらその舶来の行動を改めるつもりだ!」
「うーん、それはわかってはいるのデスガつい。
あと蜻蛉切が怒るところも楽しいのでつい」
と言ったところで顔面をがっきと掴まれたコムラは
両手を降参のポーズにして離してもらった。
主の方から蜻蛉の顔は見えなかったがたぶん凄く怖い顔をしていたのだろう。
「・・しかしなぁ、わしの感覚としてはどちらかというと
シイタケとかの菌類にひっつかれてるのとあまり変わらんのだが」
「アレ?遠まわしにディスられてマスか?」
「いや悪口じゃないぞ。見た目も中身も味のある楽しいキ・・じゃなくて刀だって事だ」
「・・なぜか素直に喜べまセん。脱いでもイイですか?」
「ちゃんと片付けろよ」
「主!!」
変人同士の会話に置いていかれそうになりつつ
蜻蛉は我に返ってコムラを止めに入るが
だがその時はたまたまコムラから意外な言葉が返ってきた。
「あ、そうですネ。たまには蜻蛉切も主とどうデスカ?
不思議な感じがシテ興味深いものがありますヨ?」
「なッ?!」
それはつまり、主にハグしてみないかという事で
あからさまに動揺した視線がコムラと主の間をぶんぶんと往復する。
コムラのおかげでそういった挨拶方法があるのは知っているが
蜻蛉は主との距離感に敏感なので突然のゼロ距離は恐れ多すぎる。
「わしは別にかまわんぞ。減るもんじゃないし」
「ホラ主もこうおっしゃられていマスし。おひとつドウデショウ」
「おひ、とつ・・!?」
それはもうスーパーの試食かと思うくらいの気軽さで
主も主でなんでもない風に軽く手を広げてくれている。
だがいつも怒って止めている手前、それにのっかるには気が引けるし
規律や上下関係以前にうらやましさがあったのも事実だし
ここで断ると次に機会があるかどうかもわからないし
それにこの先、主に堂々と触れられる機会があるかどうかと言われると・・
悩んだ。蜻蛉は悩んだ。短い時間内でもの凄く悩んだ。
けど悩んでいる最中にもう身体は前に出ているし腕は広がっているので
悩みつつもやってみたい気持ちは元からあったらしい。
コムラを毎回引き剥がすのだって本人に自覚はないが半分はうらやましさで
やっていいよと言われたら断る言い訳など元から用意されていない。
そしていざそうしようとしてわかったが、主はそう背が高い方ではない。
加えて男士達の中でも長身に入る蜻蛉が前に立つと
その差はよりわかりやすく主から見る蜻蛉はほぼ壁のようなものだ。
「つぶすなよ?」
だが主はまったく物怖じせず少し笑いながらそう言ったのをきっかけに
蜻蛉は黙ってぎゅっとその身を腕に閉じ込めた。
「うぉ、さすがにかてぇ」
でもこれはこれでなかなかに面白い。というのが主の素直な感想だ。
で、蜻蛉はと言うとそうしてわかったのだがコムラの言うとおり
確かにその感覚は不思議の一言だった。
抱きしめているのは確かに自分のはずなのに
全身を暖かいものに包まれているような感覚がある。
なんだこれは照れなのか。緊張なのか。
それとも自分のまだ知らない単語にもできない何かなのか。
そう思いながらふと頭1つ低いところに視線をやると
『ん?』という顔をした主と目が合った。
そしてそこでなぜか蜻蛉はぴたりと動かなくなり、まず主がその異変に気付いた。
「・・?蜻蛉、どうし」
た、と言おうとした瞬間、蜻蛉は何を思ったのか軽いハグだったその状態を
身体を丸めて抱き込みにかかってくる。
しかもそれはまったく手加減がされていない。
「ふご!?ぐ・・!」
ちょ、こら、潰れる。加減、加減しろ!
おそらく自分の身長と同じくらいのタイヤにはさまれたらこんな感じだろう。
そんな機会まずないだろうが今がそれでついでに命の危機だ。
貴重だけどあまり楽しくない珍しい機会だ。
いやそんな悠長なことを感じている場合ではない。
「・・コ・・!」
コムラ!助けろ!とは発音されなかったが
大体を瞬時に察知したコムラが蜻蛉の横っ面に肘鉄を一撃。
腕がゆるんだ瞬間に必死にもがいて脱出はできたが
ほんの一瞬の間になんという危機体験だと今更ながらに感心する。
「・・ッこら!蜻蛉!!つぶすなって言っただろが!!」
そこでようやく我に返ったらしく、蜻蛉は頬を押さえつつはっとして膝をつき
地面とぶつかりそうなくらい勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありません!自分とした事がとんだご無礼を・・!」
その時、軽い違和感を感じて千十郎はさらに怒鳴ろうとした口を閉じ
念のための確認をする。
「・・?なぁ蜻蛉。何で今怒られたか、わかってるか?」
「・・軽々しく触れた事への御叱りでは?」
「
という事はだ。さっき抱きつぶしかけたのは無自覚らしい。
おい、おいおい怖いぞ。事故なんてものは大半が無自覚だが
車とか重機もなしに人による無意識の抱擁からくる圧死とか聞いた事ないし
あったとしたら十中八九笑いのネタだろ。
けどそれをまともに説明したら真面目な蜻蛉のことだ。
猛省して腹でも切りかねないし、かといって何でもないと言ってしまうと
次でこちらがアウトな事態になりかねない。
ならどう言うべきかと困りつつ迷っていると
コムラが蜻蛉に寄って行ってなにやら素早く耳打ちする。
どんな言い方をしたかわからないが、事実はちゃんと伝わったらしく
蜻蛉はひっと息をのんで主を見ると、再度、今度はガンと頭をぶつけて土下座してきた。
「主!申し訳ない!自分としたしたことが・・弁明のしようも・・!」
「・・あ、いや、わかってくれて腹を切らないならそれでいいんだが・・」
あと今お前頭ぶつけただろ、それは大丈夫なのかと聞きたかったが
何かもろもろを悟ったらしいコムラが間に割って入ってきた。
「あの主、後はワタシが話をつけておきマスので
戦利品の受け取りと整理をお願いシマス」
「む・・・じゃあ、頼む。蜻蛉、あまり気に・・
あ、いや、多少は気にしつつ次から気をつけろよ。
あとぶつけた所、ケガしてたら見せに来いよ」
気をつけろよのあたりで精神的に頭を踏まれ
見せに来いよのあたりで胸にクギを刺された感覚になりつつも
蜻蛉はとにかく頭も上げられずただ主の足音が遠ざかるのをひたすら待った。
いやしかしだ。そもそも気をつけろと言われても一体何をどう注意すべきなのか。
大体抱きつぶしそうになるって何だ?そんなつもりなどなかったはず。
だがほんの短い間だったにもかかわらず主を抱き込んだ時の感覚が
なんというか、こう・・言葉にできないが、とにかく、こう・・とても・・。
「・・行きましたヨ」
ぐるぐると答えのない事を考えていた蜻蛉はそこでようやく我に返り
がばと起き上がって自分の両手の平をじっと見た後
その手でなぜか顔を隠し、ウォォと雄叫びを押し潰したような妙な声を出した。
その時コムラだけが気がついていたが
彼は顔どころか耳や上半身までばっちり完全に真っ赤だった。
「・・やはりあの時からこじらせていたのデスねぇ」
「・・幸い主はその時のことを言及せず、普段通り接して下さってはいるが
自分の中で迷いは増す一方で、どうにもならずの状態だ」
だがあの時の主の感触というのだけは蜻蛉の中にしっかり残っていて
着物の肌触り、自分のものとはまた違う身体の強度やぬくもり
間近で見た髪の色つや質感、匂いまでもがやたらはっきりと思い出せてしまう。
「あの時の事例が今現在の悩みの大元なのはわかる。
だが抱き潰しかけるというのは一体何だ?
自分は何を考えていた?いやむしろ何も考えていなかったからなのか?
いくら考えても・・答えは出ぬままなのだ」
「・・フム」
とは言え、無意識で抱きつぶしそうになる気持ちと言うのはコムラにはわからない。
どちらかというとコムラにとって主、千十郎という男は
抱きついても怒らない。脱いでも嫌な顔も変な顔もしない。
でもほどほどにたしなめてきてコムラというあだ名や
そこからの出発点を与えてくれた親に近い存在だ。
なのでこういった相談を持ってくるのにはいささか人選ミスだが
その時近くにいたし刀派が同じの知り合いだから相談しやすかったのだろう。
「確かにアレはマズイ事例でしたネ。
解決策としては脱いで大声で思っている事を告げるが良策かと思いますガ」
「却下だ!確かに嫌でも伝わるだろうが絶対にやってはいけない気がする!
そしていい加減に脱衣から離れろ!」
「そうは言われましても、ワタシも色恋関係には明るくアリマセンので
それ以外の参考意見と言われましテモねぇ・・」
その途端、怒っていた蜻蛉の顔が幽霊でも見たかのような表情になる。
「・・ちょっと、まて、今・・何と言った?」
「?あぁ、ソウ言えば自覚がないのでしたネ。
推測からして貴方が主に抱いている感情は恋の類かと思いマスが」
「・・・・・・・。・・・・・・ん?」
「貴方は主に恋をしている、という話デスよ。
はい、今貴方のおかれてイル困った状況を整理してみてくだサイ」
ぽんと手を打って促してくるコムラにしたがって蜻蛉は思い出す。
主が気になる。目で追っている。
話をすると気分が浮つく。たまに直視できなくなる。
軽いハグのつもりがなぜか抱きつぶしかける。
目が好き、感触が好き、笑顔が好き。
思い返せばあの時、自分は何を考えていた?
いくらかの好奇心、興味、村正に対する嫉妬、羨望、やっかみ
主に対する敬愛、好意、愛念、愛着、愛
あい・・アレ?
蜻蛉はしばらく呆けたような顔をした後。
「ウワーーー!!??!」
顔どころか全身を真っ赤にさせて
なぜか目の前のコムラをどーんと全力で突き飛ばした。
ただコムラも予想はしていたらしく
苗を植える前だった畑を二回ほど転がって受身をとりノーダメージだ。
これも育成に自称ない頭をひねってくれた主と
それをスパルタで確実に実行したへせべと
あと地味だけど堅実なアドバイスをしてくれたまんばのおかげだ。
そして蜻蛉のこういうところは村正の悪い方の噂っぽいとコムラは思う。
「なん、な、んに、なにを!言い出すか!?そんな、はずが!あっるか!」
「いや今自覚したカラこその突き出しですヨね」
「?確かに、そ・・う?かも、知れんが!いやしかし!
そもそも主は!自分の事を初対面の際に・・・あ」
「どうしマシた?」
はっと思い出したように動きを止めた蜻蛉にそう聞いてみるが
当人はその思い出した事に集中しているのか何やらうなるばかりで返事がない。
「・・何ですカ。一人で楽しまないでクダサイ」
「楽し!?いや、そうでなく!おそらく主に他意はなかったのだろうし
しかし、とは言え今考えるとあれ、か?いや、だが・・」
などとぶつぶつ一人で自問自答を始める蜻蛉をコムラはしばらく見守っていたが
いつまでたっても解決しそうにないので。
「えいまどろっこシイですね。一人で遊んでないデとっとと話せヤ」
しびれを切らしてそのデコに手加なしの手刀をどんと落とした。
ぶつぶつもらしながらの所への一撃だったので『おぐ』と舌でも噛んだような声がしたが
いつもやられている分のお返しだと思えば心は痛まない。
「ッ・・ら、から!遊んでなどいなひ!ただ話すには少ひょう・・」
「おや、そちらから相談を持ちかけテおいて隠し事とは不誠実デスね。
とは言え、この件が解決しようトしまいとワタシはまったく困りマセンが」
「ふぬぐ・・!」
蜻蛉はしばらく上を見たり下を見たりしていたが
ようやく意を決したのかちょっと視線をそらしながら。
「・・・かなり前の話になるが、主と初めて顔合わせをした際に・・言われたのだ」
『あー・・ところでお前さん、この名前なんて読むんだ?
どくろギリ?とかげギリ?それとももっと濁音の多い凄い読み方か?』
わぁ、言いそうですねぇ、あの主なら。
私だって最初せんこむらただって言われましたし
村正をまったく知らなかったとは言えキノコからあだ名つけられましたし。
とは言え後で聞いた話によると、今いる刀達の大半が妙なあだ名で呼ばれていて
コムラが知っている正確な名前のわかる刀はごくわずかなほどだ。
でもここにいる男士達の大半が通るその道に
蜻蛉はあるおまけをもらっていたのだ。
「そしてその後、同席されていた山姥切殿に指摘されて正しい読み方を聞いた後に・・」
『あ、とんぼか、とんぼきりな!画数多いからもっとまがまがしい読み方かと思ったが
案外可愛いな、とんぼ。とんぼかぁ』
そう言って能天気に笑う主は知能が低いのか教養がないのか
そこらのおっさんなのかおばちゃんなのか。
判断に迷いまくっていたその時の蜻蛉の深部に正体不明の鈍い衝撃が走った。
そりゃあそんな事言われた事ないし
真正面から曇りない笑顔で言われたらそら衝撃だ。
そしてそれがそもそもの始まりだったのかもしれないと蜻蛉は今になって思う。
「その時は色々と奇抜な主の言動に気を取られていて気付かなかったが
今思えばあの時の一言がそもそもの原因だったのか、痛
それともその言葉が緩行性の毒となって今頃効いてきているのか、ふご
ともかくその当時の主に他意はなかっ、いつ、コラ!なぜつつく!?」
「いえ、相談にのっていたツモリがいつの間にやら知らぬ間に
のろけ話を聞かされている事に気付いてイラっとしましたノデ」
「のろ・・え?いや、違う!違わな、?!
いやだから何の話だ!何の話をしていた自分は?!」
何が何だかわからなくなってきたらしい蜻蛉の頭に
今度は軽めの手刀を落としコムラは肩をすくめた。
「ともかくそれは私に相談されてモお役には立てマせん。
肉を切らセテ骨もえぐられるヨウな内容でよけれバ相談にのれますガ」
「・・・うむ、すまん。他を当たる」
本当にそんな気がするので蜻蛉は素直に諦めた。
だとすると、他に相談できそうな相手と言うのも限られてくる。
まず思いつくのは主に最も近く、無愛想ながらに面倒見のあるまんばだが
自分と同じくこういった話にうとかった場合普通に困らせそうだし
知り合いのコムラはたった今断られたし、へせべこと長谷部は・・
・・・・・。
理由はわからないが蜻蛉の感覚すべてが全力でやめろと警告してくる。
と、するとあと信頼が置けて知識もあり
口も堅くてこちらをの意志を尊重してくれそうな相手といえば・・
「という経緯により、解決策を御教授いただきたく参じた次第。
何卒、ご助力をほどを!」
堅苦しいお願いの後、しっかりと頭を下げられたその人物は
しばらくその様子を凝視し、付きそいでその近くにいたコムラに目をやった。
ただそのコムラはなぜか視線だけを限界までそらし口は×になっている。
「・・えーー・・・あ〜・・・と?」
そして相談された本人も大いに困っていた。
というのも蜻蛉が考えに考えた末、相談しに来た人物は主
つまりは渦中の千十郎だったからだ。
それは冷静に考えると思い切り投げた球が地球を一周し
背中にぶち当たったようなある意味凄い状況なのだが
蜻蛉はおそらくただ真面目に考えに考えただけで他に意図などないのだろう。
そしてコムラも心配でついて来てはみたものの
まさか渦中の主に直接相談に来るとは思わず
えぇと、もうどうにもならないけどドウしまショウ、という状況らしい。
・・え・・えぇえぇ〜〜???これ、わしが何とかしなきゃいかんのか??
がっつり頭を下げている蜻蛉と目をそらし続けるコムラを交互に見ながら
当然のことながら千十郎は困った。
自分に対する相談を自分に相談しに来るのもそうだが
こういった手合いの話は彼の不得手分野だ。
しかし真面目に相談しに来た蜻蛉を突っ返すわけにもいかず
かといって『いやお前、その元凶のところに相談に来てるぞ』とも言いづらく
主はしばらく考えて。
「そ、そう・・だな・・わしはそのあたりの経験がからっきしだから
知ってる知識をかき集めた話からするとだなぁ・・」
あまりいい解答は返せないという前置きと予防線をはってから話し出した。
「それはおそらく自分の意思でどうこうできるもんじゃないし
他人がどうこうできる問題でもない・・らしい。
よってお前が悩むのも当然の道理だ」
「・・はい」
「で、それをふまえつつあえて助言するなら・・そうだな。
前にやった手動手入れの後、お前が手を貸せと言ってきたあれ。
あの時の気持ちや感覚は覚えてるか?」
そう指摘されて蜻蛉はあわてて記憶を掘り起こしてみる。
確かあの時は・・感謝と敬意と他の色々な気持ちをまとめて主に手渡したような気がする。
「言葉として形成する事はできませぬが・・記憶しております」
「ならそれを今、お前の悩んでいる事とまとめて、あの時みたいに寄越してみろ」
そう言って差し出された主の手を、蜻蛉は少し迷いつつ両手で握りこもうとしたが
また力加減を間違えると怖いので、片手だけをお手のようにそっとのせることにした。
触れたのは手の平半分ほど。
千十郎は少し目を細め、のせられたその手を軽く握った。
蜻蛉は動揺して思わずその手を引きかけたが
思いのほか自然だったその動作に引くタイミングを逃してしまう。
だがそうしてみると不安や恐れはどこかに消え失せ
かわりに何かあたたかいものが手の先から伝わってくるような気分になる。
その感触はかつて取ったあの手の感触とほとんど変わらないが
こうして改めて触れてみるとまた別の感慨がわいてくるのが不思議だ。
それはおそらくあれから時間と経験を経由して様々な感情が足されたからだろう。
忠義、尊敬、周囲との関係性、コムラに話をしたあれそれ。
最後の部分で動揺して顔が熱くなったが、とっさにうつむいたのでバレてはいないはず。
と、蜻蛉は思っていたが主はその一瞬、少し驚いたような顔をした後に照れ笑いをしたのをコムラは見ていた。
この主、少し変わっていると思っていたが、変わっていると言うよりも特異な方らしい。
手を通したのか目で見えたのかわからないが
主は少しくすぐったそうな顔をしてから、うんと一つうなずいてからその手を離し。
「蜻蛉」
「・・はい」
「まずお前は間違ってない。それだけは確かだ」
思わず顔を上げた蜻蛉が見たのは
大人から子供まで幅のある主の笑顔のちょうど真ん中くらいの顔だった。
「そもそもだ。性根の曲がった奴がこんな遠慮がちに手をよこしてきたり
腹でも切りそうな顔して真面目に相談もちかけてきたりするもんか。
お前達の元の定義がどうなのかは知らんが
人に作られ人と共に生き、人のために戦い人と同じような道を歩むなら
そういった悩み事の一つや二つあってもいいと思う。
あ、いやお前の場合、言い方を変えたほうがいいな」
そして主は姿勢を正して息を吸い。よく通る声で短く言った。
「蜻蛉切、かまわん。わしが許す」
その瞬間、蜻蛉の中でガチンと古びた錠があいたような音が鳴り
今までの心重さや苦悩のたぐいが急に風通しのよくなったせまい部屋から
どっと風に押されて流れ出るようにどこか彼方へ消えていく。
それがわかったのかどうかわからないが
主は少し笑ってさらにこんな事を言い出した。
「そこでだ、蜻蛉よ。お前はそれをふまえた上でどうしたい?」
「え・・」
「悩む事ない。これからはお前の好きにすればいい。と言われた場合
お前はこれから何を望む?何をしたい?」
その時あ、とコムラは思った。
それはかつて主と会ったばかりのころ、自分にもかけられた言葉だ。
その時の望みをコムラはたまに実行して蜻蛉に怒られ
それが案外楽しくてもう習慣か様式美のようになってしまったものだが
しかしそれはこの武人気質の堅物にも通用する話なのだろうか。
「自分は・・ただ、主のお側において下さるだけで・・」
だがどうするか見守っていたコムラの予想に反し、蜻蛉はそこで言葉を切った。
そうではない。何を望み、何をしたいか、だ。
通常の責務ではない。それとは別の、もっと個人的な意見を求められている。
かなり軽くなった心中で下された判断の後
その答えは思いがけずあっさり口から出せた。
「・・いえ、出来ればで、よいのですが
時折、先程のように触れる事をお許しいただけるのであれば」
おぉ、凄いデス蜻蛉切。ちゃんと言えるじゃナイですカ。
しかも結構イイ線いってます。
と静かに感動するコムラをよそに主は満足げにうなずいて。
「よし。わかった。本当ならもっといい解決策があるんだろうが
わしはそれを出せるほどの経験がないからそれで良しとしよう。
お前が望むのなら、手ぐらいいくらでも貸してやる」
そして目に見えて表情を明るくする蜻蛉に主はさらにこう付け加えた。
「ただ・・その時は一声かけてくれると助かる。いきなりだとわしも驚くからな」
「・・承知、つかまつった!」
照れくさそうな主とがっちりした一礼をする蜻蛉との対比もさることながら
いい歳こいたいいおっさ、もとい男どもの初々しいやり取りに
はたで見ていたコムラは吹き出すのをこらえるのに必死になった。
あぁ楽しい。なんと楽しい主従関係。
もどかしくて温かくて和やかデ実に楽しいではありませんか。
などと兄弟や親戚の良縁をそっと喜ぶ年輩みたいな気分になるコムラをよそに
蜻蛉はかなり晴れた表情で再度主に頭を下げる。
「・・かたじけない主。おおよその心の整理がつき申した。
こたびの件、感謝と敬意しかありませぬ」
「そうか?ならよかったが、あまりあてにはするなよ。
あとの成形や実施とかは自分で・・あ、いや、たまにはわしのとこにも相談に来い。
難しいならコムラに付き添ってもらってもかまわん」
「はっ!ではこの旨を参考にさせていただき
今後の主との向き合い方の方・・針・・・を・・・・」
そしてそこでようやく蜻蛉は気がついたらしい。
悩みの元に直接悩みを相談しに来ていたことを。
そして千十郎は苦笑したままコムラに目配せをしようとしたが
そのコムラは何か悟ったような顔で近くにあった障子類を
片っぱしからガラガラと開けている。
・・お前、そこまでわかってるならここに来るまでに止めてやれよとは思うが
これはこれで彼なりの荒療治、のつもり・・なのだろう。
うん。そう思っておこう。強引に。
で。
「不覚の一生申しわけーー!!」
ごっちゃになった台詞を放ちつつ、やっぱりコムラに突進した蜻蛉は
その勢いを上手に受け流され、庭の池に豪快な音とともに落とされた。
そこの池、ツッコミ処理用にあるわけじゃないんだがなぁと主は思ったが
前からそんな気はしてたので深さをそれなりに改良したのは内緒だ。
「・・しっかし、なんでお前らは口がちゃんとついてるのに肉体言語に走るんだよ。
そういうもんなのか?お前達の・・えーと・・ムラカタって」
貴方のように言葉に攻撃力をのせられないからデスよ。とも
ムラマサですヨともコムラは言わず。
「ご想像にお任セします」
などと微笑みながら曖昧な答えを返して、着ていたものを慣れた様子で脱ぎ始めた。
クセの方ではない。蜻蛉の回収に行くのに服が濡れるからだ。
「あぁ、それはさて置き人手をお願いシマス。
おそらく少々手間がかかるカと思いますので」
「へいへい、今日風呂沸かしてあったかなぁ・・。
おーい!誰かいるかー!手のあいてる奴は頼まれてくれー!」
そしてその後、コムラに引き上げられた蜻蛉は彼の予想通り
膝を抱えて丸くなった状態から動かなくなり、太刀数人の手をわずらわせた後
主とコムラのゆるい説得によってどうにか立ち直ることができた。
ちなみにその後、礼儀正しく主の手を握る蜻蛉切という構図が何度か目撃され
事情を知らない男士達から不思議がられていたが
主は『蜻蛉なりの精神統一の仕方』と言うだけで詳しいことは話さず
蜻蛉切も蜻蛉切で『主よりお許し頂いた願掛け』としか言わなかった。
ただその話をする時の両名はなぜか少しばかり嬉しそうで
なんとなく事情を察した数名をのぞいた男士達からは
やっぱり不思議がられたり密かにうらやましがられたりしたそうだ。
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