それは自室で少しばかりの夜ふかしをしていて
さてそろそろ寝るかというころになってからの事だ。

廊下から足音がして、こんこんという床を少し小突く音がする。
普通は障子ごしに声をかけてくるものだが、こうして音だけで知らせてくる者は少ないし、外からの月明かりで見えたシルエットですぐに誰なのかの見当がついた。

「まんばか。どうした」

そう言葉をかけると障子がすっと開いてそのまんば(山姥切)が姿を現す。
しかし姿は見せたものの何も言わないので少し不思議に思いつつ。

「今から寝るところだったんだが、急ぎの用事か?」
「・・・・」

しかしなぜかまんばは答えない。
布をかぶってうつむいているうえに暗くて表情もほとんど見えないが
様子からして何か深刻そうな話をしに来たらしい。

昼間に何回も会っているし、話す機会はそれなりにあったのにと思いつつ
主の千十郎はとりあえず妙に深刻そうなまんばを中に入れることにした。

「まぁそんな所じゃなんだから、とりあえず入れ」
「・・・・」

あれ?『あぁ』すら言わないのかと思いつつ中に入れて障子を閉め
寝間着に着替えて着ていたものを衣紋掛けにかける。
その間まんばがやけにこちらを気にしていたのに主は気付かなかったが、ともかく着替え終えてまんばの前に座り一応の話を聞く体勢はとった。

「で、どうした。報告のし忘れでもあったのか?」

しかもこんな夜中の寝る前に、とあらためて聞いてみると
まんばはこちらを見ようとしてなぜか慌てたように顔をそらし
再度こちらを見ようとしてやっぱり顔をそらすという謎の行動をとり始める。

・・え?お前何しにきたの?
わしの寝かけの脳みそだと安眠妨害しに来たか
夜に便所行くのがこわいからついてきてくれにしか見えないんだが。
あと入ってきた方が余計話しにくくなったように見えるのはなんでだ?

大体朝も昼も夕方も会っているのに、何で今ごろなんだと思いはするが
まぁ若いやつには若いやつなりの考えがあるんだろうと
主はそれ以上追究せず立ち上がって押入れから予備の布団を一式出し。

「寝ながらだったら話せるか?」
「・・え?」
「強制はせん。寝ながらのなんとなくでいいなら話せばいい。
 わしももう寝るところだったからついでだ」

確かこういうのは修学旅行の法則か何かだったかなと言いつつ
主は手際よく予備の布団をしいてあった自分の布団の隣にひいていく。
 
「ただしお互い途中で寝ても文句言いっこなしだ。
 その時はまた明日か次の機会。それでもいいならお入んなさい」

まんばは主と布団をうろうろと見比べてしばらく迷っていたが
うんと一つうなずき、かぶっていた布を横に置いて主自らひいてくれたお布団にごそごそ入った。

さっきから何も言わないのは少々気になるが、言いにくいのなら仕方ない。
まぁ誰かと寝るなんて久しぶりだし、たまには新鮮でいいかと
主はあまり考えず自分の布団へ足を入れた。

だが今回、まんばがこんな時間にここへ来たのには
ある意味こうする事に近い目的があったからだったりする。
が。しかしながら違う。言葉としては同じに見えるが、意味が決定的に違う。
一緒に寝るのはそうだけど、そういう意味での寝るではないのだ。

しかしそれをどう言い出すか迷いつつ入ってみた布団は、予備の布団だというのに手入れが行き届いていてふかふかで、気を抜くとそのままうっかり寝入ってしまいそうなほど寝心地がいい。

ということはためらっている時間はない。
全ては無理でもせめて一歩。少しでも前へ踏み出せるのであれば
後はどうにでもなりやがれ、あとは知るかの精神だ。

などという結局最後はイノシシな意気込みを内に秘めながら
まんばはぎぎぎとぎこちなく主の方を向く。
幸い主はまだ起きて天井を見ているので声をかけられると
まんばはありったけの勇気をかき集めて口を開いた。

「あ・・の・・」
「ん?」
「そっちに、行っ・・・ても・・いいか?」

それはかなりぎこちない言い方だったが意図は伝わったらしく
主は表情をゆるめて『かまわんぞ』と言ってくれた。

・・いや、言い出したのは俺だが、そんなあっさり許可していいのか。
そもそもそこに今招き入れる意味がわかっているのか?
ほとんど躊躇わなかった様子からして、絶対わかっていないだろう。

しかしどちらにせよ、いいというなら行くぞとばかりに心の中で握り拳を作ったまんばは、一度すぽと布団の中にひっこみ、なぜか布団の横から這い出てきて主の敷布団を掴むと『おわ奇抜』ともらした主ごと自分の布団までずずーと引き寄せ、かけ布団も重ねて一つのお布団にした。

「・・しかし大丈夫か?お前テンパってると突発で思いがけない事するからなぁ。何か慌ててたり混乱してたりは・・」
「してないし冷静で正常だ問題ないまったく普通」

千鳥足で酒臭い息吐きながら酔ってないと主張する酔っぱらい
もしくは遠足の当日に熱出して真っ赤な子供かと思いつつ
主はそれ以上何も言わず、もそもそと布団の中で距離を詰めてくるまんばの様子を見守った。
しかし寄ってきたはいいものの、彼はそれ以上何をするでもなく時々こちらをチラ見するだけでそれ以上の行動を起こしてこない。

というのも、この時の彼は平静を装いつつ困っていた。
ここまでこぎつけたはいいものの、あれこれしてそこに至るまでの過程の事をまるで考えてこなかったのだ。
つまりゴールがどんなものかは知っていても、そこに行くまでの道筋の事をまったく考えてこなかったのだ。

・・こ・・この場合、どうするべき、なんだ。
一緒の布団には入ったという事は完全拒否ではない、と・・思うが、それはただ単にわかっていないだけではないのか?
いや考えろ、考えて実行しろ俺。
とりあえず強行手段だけは絶対にダメだ。そこはわかる。
むしろわかれ。何度それで失敗した。
だとすると・・・口説く、のが正解か?どうやって?
では正直に何をしに来たか話すべきか?しかしまともにそんな事を言い出していいものなのか?こちらだけそのつもりで突然そんな話を始めるというのはおかしくないか?・・待て、落ち着け。そしてまずは小さくとも行動だ。でないと何も始まらない。言葉より行動だと長曽祢も言っているだろう。

おいこんな時に引き合いに出さないでくれるか。
そもそも今は完全に逆で、先に言葉にしないとダメな案件だろう。
そしてそれ、一周回って元に戻ってる。

と、その場にその長曽祢がいたら困ったように言われそうだが
ともかくまんばはせめて手だけでも握れないかと閉じていた目をかっと開けて主に目をやり、じーーとこっちを見ていた主と目がばちんと合ってびくっとした。

「うぉ、なんだ。なんでびびる」
「い、っ・・いや、まだ、考え・・ている最中で・・」
「ふーん」

気のない返事をしつつごろりとこちらに身を向けてくる主に
まんばの脳内が軽い乱闘騒ぎになる。

おいあまりこっちを見るな考えがまとまらない。引き寄せて触れたくなる。その寝巻きひっぺがして(自主規制)して(同じく)して(以下同文)してもいいのだろうこれは、いやそんなわけあるか。ちょっと待て俺そっちの突発行動は怒られるからダメだと何度学習すれば覚えられないわけではないが今やらずしていつやるんだやめろ馬鹿。

「・・なぁまんば」

などという脳内乱闘まんばだけブラザーズな状態をよそに、主は少し眠そうな声で。

「・・さわっていいか?」

本来まんばが言うべき台詞をさらりとかっさらってくれ
絶賛混乱中だったまんばの頭の中がすーんと一瞬で無音になった。

その問いにうんとうなずけたのは完全な無意識だ。
我に返った時にはもうその手はすぐそこにあり
見た目にあわない優しさをもって頭をふさふさと撫でててくる。

うん、まぁ・・どこを、とは言ってないが・・そこか。

完全な子ども扱いに残念さともどかしさに襲われるが
考えてみれば夜中に突然やってきて、黙っていたかと思ったら布団に入れろとか、もう子供以外の何者でもない気がする。

だが扱いはどうあれ、これはこれで嫌いではない。むしろ好きな方だ。
ただ今は少し困るとまんばは思う。
なけなしの勇気が心地よさに溶かされるし
ようやく持てた決心が眠気に押し流されそうになる。

「ふふ、お前の頭、暗くても目立つんだなぁそういえば」

しかしのんきな主の台詞を前にしても、まんばは負けるわけにはいかないのだ。
なにもわかっていないようでも、後で長谷部に鉄拳制裁されようとも
今ここまで許されているのならば、引いてなるか突き通せのココロだ。

かさついた手の感触と優しい撫で方と落ち着くニオイとあたたかい声色
そのどれもが名残惜しいが、まんばは意を決して口を開く。

「俺も・・いいか。さわっても」

勇気をもってそう聞いてみると、主は少し間をあけて『うん』とうなずくような仕草をした。
どうやらそれなりに眠いらしいが、ダメとの意思表示がなかったならそれで充分。

そう前向きに受けとったまんばは恐る恐る手をのばし
自分とは色も質も違う黒髪のちらばる額の上あたりにそっと触れてみた。
その感触は何度か髪をとかしたことがあるので初めてではないが
この状況とこの先の事を考えると否が応でも緊張してくるし
外に聞こえるのではないかと思うほどに鼓動が高鳴り
気を付けていないと思いあまってまた突発的に怒られそうな行動に出てしまいそうだ。

一方主の方はというと、少し笑っているので少なくとも嫌ではないらしく
まんばは少しばかりほっとする。

「・・なぁまんば」
「・・ん?」
「おもしろいか?」
「それなりに・・」
「ふぅん」

嘘ではないが、できればもうちょっと先の事がしたいのを言い出せずにいると、主はふと目を細めて。

「・・何か言いたいことが、あるんだろうがゆっくり考えろ。
 幸い、お互いに時間はあるし・・急かしはしないんだし・・」

そう言って小さく笑う主にまんばの手が止まった。
彼に全く自覚はないが、彼の中にいる布をかぶったイノシシ色のヒヨコが
布をかぶって前が見えてないイノシシに変化しそうだ。

それと同時にどこにどう触れるとどんな反応が返ってくるのか
もっと触れて、もっと声を聴いて、あたたかいのか柔らかいのか、困るのか嫌がるのか泣くのか、とにかく色々やって色々と知りたいという欲求がぷーと風船のようにふくれあがってくる。

色恋絡むと誰もが盲目になるのは世の常で、不器用な彼ならなおさらだろうが、だがなんにせよ、やりすぎには気を付けないと、きっと絶対後悔する。
あと寝落ちしても、暴走しても、事を急に進めすぎても、何もしなくてもだ。

よくわからない間に見えない敵に囲まれまくっている状況だが
苦境等には慣れているとばかりにまんばは気合を込めなおし、手を滑らせて耳にかかる髪を少しだけ

「・・ん」

どけようとした所でくすぐったそうに身をよじられ、脳内でぐっはと吐血した。

な・・なんだ、いまのわ。かすっただけだぞ。
どうしてそうな、いやもしかして嫌・・なのか?いいのか、違うのか、どれだ?

と思いつつもさらに触れようとすると、少し逃げられたもののそれ以上逃げられなくなり、恐る恐るながら耳にかかった髪を後ろに撫でつけると、ふ、と聞いたことのない息をもらされ、身を丸くして枕に顔半分を埋めてしまう。

その時、外野からすればこの主にまったく合わないだろう短い単語が
まんばの喉元から出かかって口が『か』の状態で止まった。

だが実はこの反応の仕方、先駆者がいてそのおかげ・・というかそのせいでこんな反応になるのだが、今のところそれを知らないまんばからすれば、心の準備をする前に二歩とばしくらいの反応をされてなんでだ困るな状況で誰にも罪は・・あ、いや先駆者には多少あるだろうが、今ここにいる誰も悪いわけではない。はずだ。

とにかく思わぬ反応に生唾をのみつつも、もっとそこを触りたくなる欲を実は結構ギリギリの精神状態で押さえつけ、まんばは軽く握られていた主の手を取り、内側からゆっくりほぐして自分の指を絡め軽く握ってみた。
逃げる様子はない。むしろこちらの温度が高かったせいか少し寄り添ってくるような動きまである。

心の深部にごっと火が灯るような感覚がし
同時にまんばの中で布をかぶって前が見えてないイノシシが爆誕。
鼻息を荒げてかっかと地面を前足でかき始める。
周囲にいたまだ冷静なまんば達が止めようとわーわーやっているが
なにせイノシシだし前も見てないし、何よりその突進力を素手でどうにかできるわけがない。

そして『よし、大丈夫。大丈夫だ。大丈夫、だから・・!』という根拠不明な確信を得て、まんばは暗い中でくわっと目を見開き、その手をさらにこちらへ引き寄せようと・・

「・・・・まんば」

したところで主のめったやたらと眠そうな声に動きを止められる。
え、まさかと思ったがそのまさかだ。
見ると主の目はもう閉じられる寸前で。

「・・・すま・・ん・・また・・・・こ、んど・・・・」

触れることばかりに集中していたのがいけなかったのか
さっさと要件要点を伝えなかったのがいけなかったのか。
今晩色々あれこれしてみたかった主は手を握っていたにもかかわらず、目の前であっさり睡魔に連れ去られ、まんばは一人で愕然とした。

う、うそだろう?!こんな典型的なおあずけがあるのか?!?

などと一人現実味のある絶望感に打ちひしがれていても
聞こえてくるのは主の規則正しい寝息ばかり。

ない!ぜんっっぜんない!まったく時間!ない!!
どれだけ寝付きいいんだ子供か!
もしくは年寄り寝るのめっちゃ早いのどっちだ!

と思ってみてもさすがに眠った後にまで主は気をきかせてくれず
すーこーという寝息と一緒にぐごっといういびきまで混ぜ始めた。

展開としてはここでかまわず組み伏せて続行するとか
寝ている間に色々やってそのまま一気になだれ込むとか
他にやれそうな事は色々とあったのだろうが、残念ながら今の彼にそこまでやれる勇気と勢いと鬼畜さとスケベ根性はもうなかった。

ともかく目的を目前に一人しょげる羽目になったまんばは
しばらく名残惜しげにその寝顔を見守り、せめてとばかりに身を寄せて大人しく添い寝に撤することにした。

しかし彼の受難はこれだけでは終わらない。
しょげつつも握っていた手に頬をすりよせ目を閉じようとした時
ごろと寝返りをうった主の足がすねを直撃。
うっと思ったまではよかったが、問題はその拍子に着崩れた主の寝間着から
普段あまり見ない胸がチラ見えしたことだ。
暗い中でも目のきくまんばはひっと息をのみ、さらなる追い打ちで肌寒くなったらしい主に身を寄せてこられ身動きがとれなくなる。

残念さと眠気が裸足で逃げ出し、入れ替わりでいろんな所にかーと熱が集まってくる。生理現象致し方なし。

とっさに目を閉じてはみたが、息遣いや温度や当たったままの足の感触は消えてくれず、かといって目をあけるとだらしなく寝間着を着崩した主からは今晩色々する予定だった肌やらなんやらが見えるわで、まんばはもうどうしていいのかわからず、内心おろおろするばかり。
ちなみに布イノシシは主が眠った時点で爆散して細かいまんばになり、今おろおろしているまんば達にまざって判別不能になった。

ここは少し身を離すなり背を向けて強引に寝てしまうのが正解だったのだろうが、色々と諦めと踏ん切りのつかないまんばは結局一晩中主から視線をそらせず、なおかつ何もできないというエムお(亀甲貞宗)も苦笑いなお預けプレイを一人延々することを余儀なくされ、彼の黒歴史に新たな一ページを刻む事となったそうだ。





そして次の日の朝。

「あ、おっはざーす」
「おうおはやーう」

身支度をしてあくびをしながら自室を出た主は
顔を洗いに行く途中だった愛太(愛染)と出くわし、主従関係がまったく仕事してないゆるぅい挨拶をかわす。
普段ならそのままお互いに通りすぎるところだが
今日はその主の背後から一睡もしてなそうなまんばが死にそうな様子で出てきたため、愛太の足がぴたりと止まった。

「あれ?まんばの兄ちゃんも一緒だったのか?」
「滑りこみだったまんばの用事が結局終わらなくてな。
 少しねばったつもりなんだが、一泊させた」
「へー、夜戦以外の夜ふかしかぁ。俺もしてみたいな夜ふかしイモ」
「イモはふかさんが・・わしいびきかくかも知れんぞ。
 よく布団蹴飛ばすし、ヘンな寝返りうって身体痛めるし、あとよだれもたらすし屁もこくし」
「おっさんか」
「おっさんだ」

などとやっている横で、結局何もできず一睡もできなかったという事実になけなしの自尊心を踏まているまんばが脳内反省会の真っ最中だった。

こいつ・・全っっッッ然わかっていない。
多少鈍いのは理解していたつもりだが、よもやここまでか。
俺にも落ち度があったのだろうがもっとこう・・何か一つでもいい方向へ働かなかったのか。いや、触れられて普段聞けないような声を多少聞けたのは良かったが・・よかった・・が・・!
せめてもう少し、何かしら前へ進むことはできなかったのか?それとも俺のせいか?行動力と甲斐性のない俺のせいなのか?それとも運だとでもいうのか?だとするともう俺ではどうにもならな・・

「あ、ところでまんば」
「!」

ふいに声をかけられぎょっとして顔を上げると、愛染と話し終えたらしい主が一人でこっちを見ていて、まんばは一瞬なんのダメ出し(しかも無自覚)が始まるのかと思ったが。

「大丈夫か?わしはたまたま寝付きがよかったからわからんが」
「?・・何、の話だ?」
「いや、聞きそびれてたんだが、起きた時に手をがっちり握ったままで
 汗べったりだったから、一人で怖い夢でも見てたのかと思ってな」
「・・・・」

うん。ある意味それに近いものはあった。とはさすがに言えず
どう返すべきか迷っていると、それを別の方に取ったらしい主は
少しずれていたまんばの布をきちんと整えながら。

「まぁなにを悩んでいるのかは今は聞かんが・・
 そのうちでいい、話してくれよ。できれば寝る直前以外でな」

・・あ、やっぱりわかっていないんだな。
とまんばは一人で肩を落としつつ、寒い日にあたたかいお茶をそっと差し出された気分になる。

その優しさは嫌いじゃないが、いくら鈍くてもおっさんでも、告白していて初回の口付けすらももらっているというのに、ここまで気付かないのものなのか。
いやまぁそこもある意味長所で魅力でもあるのだろうが、それでも少しは察してくれてもいいのではないだろうか。それともまったくいい方に向かない運はこいつに会った時点ですでに使い果たされてでもいるのだろうか。

「あぁ、主。おはようござ・」

などと思っていると、追い打ちをかけるようにまんばが今全世界で一番聞きたくない声が耳に入ってくる。
途中で言葉が切れたのは、まだまんばが主の部屋から出ておらず、見ようによってはそういった風に見えたためだろう。
その件に関しては主の倍々以上鼻の利くへせべ(長谷部)は
『おうおは・』と言いかけた主に早足で近づいてきたかと思うと
無言のままその肩をガッと掴み、顔やら首やら着物やらのニオイを犬のごとくくんくん嗅ぎだした。

「うぉ、なんだなんだ?なんか臭うのか?息?寝汗?加齢臭?」

何が何だかわからずつられて袖のニオイを嗅ぎ始める主をよそに
へせべはさらに続けざまにまんばも掴んでニオイを嗅ぎ
さらに双方をじーーっと凝視し、そこでようやく表情をゆるめた。

おそらく双方の様子や状態、そしてニオイから判断して
まんばの思うようにいかなかったのがわかっただろう。

へせべはぽんとまんばの肩に手を置き
フッと嘲笑とも哀れみともとれる複雑な笑み
つまり平たく言うとザマミロな表情をよこしてくれ
心にオーバーキルを受けたまんばは膝を抱えて丸くなった。

「ん?どうした?朝から何か喧嘩するような事でもあったのか?」
「いえ、一晩ご一緒されていたようですが
 何事もなかったのならばそれに勝るものなしとの確認を」
「?何事もって・・まぁ確かに途中で寝落ちしたから何も
 ・・・あ」

しかもよせばいいのに鈍いはずの主はこんな時に気付いてしまったらしい。
まんばがなぜあんな時間に部屋へ来て、何を望み、なぜ布団を一緒にしてまで一晩も部屋に居座ったのかを。

「・・え、まんばお前、もしかして・・何かしたかったのか?夜伽的な方面で?」
「・・!?」

今?!今の今頃の今さら気付くのかそれに?!
と驚愕するまんばの表情で理解したのか、主はぶわと目に見えて赤くなり、わかりやすく狼狽えだした。

「な・・!おま!いや、だからって、そんなもん!わかるわけ・・!
 いやでも、わかってたらあんな・・ぐああぁーーもーー!!」

いくら眠かったからとは言え、その時の自分のニブさや
気付かずやっていた事の大半が裏目だった事が恥ずかしいのか
とにかく主はまんばの布を力いっぱいぐぎーと引き下げ、てるてる坊主みたいにしてさらに追加でどーんと突き飛ばしてからだばだば走って逃げた。

まんばはしばらくてるてる状態で固まっていたが、ふいにはっと我に返り、それを慌てて追いかけようとした。
・・のだが、その一歩目でへせべに足を引っかけられてずだんとすっころび、それでもなお這って前に進もうとする背にどんと馬乗られた。

「いっ!まっ・・!は、離せぇええーー!」
「っははは!断る!!」
「行かせろ!」
「行ってどうする!」
「それから考える!」
「主はかわいいだろう!そうだろう!そうだろうなぁ!ははは!」
「〜〜!!」

この時、追いかけようとするのに必死でまんばは気付かなかったが
このへせべの嬉々とした台詞にはある意味があり、後々でその意味を知って心にグーパンをくらう事になるのだが、それはまだもう少し先の話だ。





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