へせべと夜中にあれこれあってから数日後。
千十郎もだいぶ心の整理がついてきて
そろそろ落ち着いて話し合いでもできるかと思っていた矢先の事だ。
どすどすどす
何でもない昼下がりの自室から出てすぐ。
廊下を早足で乱暴に近づいてくる音がする。
なんだ急ぎの用事でも来るのかと思いつつそちらを見ると
廊下の奥から風をきるようにやって来るのはまんばだ。
その後ろからは慌てたようについてくるコタと愛太。
二人ともまんばをなんとか止めようとしているらしいが
勢いと剣幕が強くて止めきれないらしい。
そのうち遠目で目が合った愛太が
『ダメだ逃げろ!』とばかりなジェスチャーをよこしてくれる。
それだけで千十郎は理解した。
何がどうもれたのかわからないが、この前のへせべにある意味いじめられた件。
まんばにバレた。
その結論に到達するのと同時に千十郎は庭へ逃げた。
火事でもないのに裸足だったけどかまっていられない。
騒ぎを聞きつけて他の連中にまで集まってこられるとさらに面倒だ。
「コタ!愛太!そこにいろ何とかする!」
ついでに唯一の協力者にも待機も命じ、千十郎は走った。
コタはともかく愛太はにぎやかなので一緒にいると目立つし話がこじれる。
幸いな事に庭の地面はちゃんと手入れされているので裸足で走っても痛くないが
しかし裸足で逃げ出すという例えを自ら実践するハメになろうとは
なんかもう情けないのを通り越して笑えてくる今日この頃である。
なんて事を思いつつ本当に笑いかけていると、どんと背中に衝撃があり
ぎゃあと思ったらまんばの小脇に抱えられて地面スレスレで停止していた。
うぉおさすがうちのレベルトップ。知らない間にたくましくなって。
とかうっすら感動していると思いのほか近い距離で
まんばと向かい合わせに座らされる。
「・・・長谷部と何があった」
そして開口一番その台詞。
あぁこりゃごまかし効かないなと早々に諦め、千十郎は少しばかり躊躇った後。
「・・・い、言わないとだめか?」
できればそっとしといて欲しいなという期待もこめてそう返すと
まんばは少し考えて。
「できれば言って欲しいが・・・つらいならいい」
うわ何だこのイノシシ紳士。
けどおいよせ。さすがにそこまでされてない語弊ごへい。
「いや誤解のないように言っとくが、そこまで無茶な事はされてないぞ。
ちょっと押し倒されてあちこち触ら、れ・・た、くらいだ!
とにかくそんな18禁にふれるような事はまだされてないからな」
「・・・まだ?」
じりと音がするくらいの勢いで殺気がまんばの肩に集約するが
ここで引くと事態は悪化するばかりなので千十郎はさらに続ける。
「・・へせべはまだ続きをする気でいるみたいだった・・からな。
無理強いはしてこないとは言ってたが、あまりあてにはならん」
「それでは何も解決していないだろう!なぜ俺に何も言わない!」
「言ったらへせべ斬ろうとするだろお前」
「・・・・」
返事がないということはそうなのだろう。
この近侍は嘘が苦手というより嘘がつけない。
「なぁまんば、そんなに怒らずともそう大それた事はされてないぞ」
「口ごもるくらいの事はされたんだろう」
「ぐ・・まぁ、そうだが。しかしこの件、あいつをきっぱり断りきれないわしにも責任がある。
もう少し考えて自分でどうにかするから、少し時間をくれんか」
「許すつもりなのか!?」
「まだ考え中だ。困ってはいるが完全に拒否する気にもなれん
正直わからんのだ。なにせわし人生の中で前例がない。
わしとした事が人としてこんな初歩的な事を学びそびれていたのも失態だが・・」
などとシリアスな顔をして言い訳していても、彼の脳内は今こんな感じだ。
『あぁハイそうですよわかってるんだよ!
初回でびびったついでに余計な仏心と微量の好奇心出して
完全に突っぱねられなかったわしが悪いんだよ笑うがいいわ!
大体想定してても感情が追いつけなくてまともに受けきれるかっつの!
そもそも部隊編成とか各個の能力どうのをまとめてる最中に
迫られて押し倒されて対応できるか!初体験にしては奇抜過ぎるわ!いや未遂だけど!』
という心の叫びは一応ここの主として口には出さないでおくつもりだが
そのうち無関係な誰かにぶちまけちゃうかもしれない。
聞かされる方は大災害だが心のデトックスは大事だ。
だが言い訳と脳内絶叫を同時にしていた千十郎はふと気がつく。
目の前のまんばがやけに怖い顔をしていて
なぜか手を両方前にしてこっちににじりよって来ている。
「・・・おい、何だ」
「なにがだ」
「何だその手。あとどうしてにじり寄って来る」
「俺が・・前例になる」
「へ?」
「俺が、前例になる。最初になってやる、から」
だからそこを動くなとその顔は言っている。
そしてその台詞から察するに、その手は絶対アウトな事するやつだ。
うわぁこの子変なスイッチ入った!?
そしてとっさにまんばを突き飛ばした千十郎は
後ろも振り返らず脱兎のごとく走り出した。
「チクショウ!ダメだった!!愛太!コタ!助けろーー!!」
などと救援要請をして逃げてきた方に走りながら千十郎は思う。
だから一体なんなんだ?!わし花の似合う可憐な少女でもなければ
保護欲かき立てられる少年でも色気あふれる妖艶な美女でもないんだが!?
それともアレか!?わしがなにわ(さにわ)に指名された時に
珍妙なバグか流行り病でも発生してこいつらの目が裏返って腐ったとかそういうおぶあ?!
根も葉もない仮説を思いついた瞬間後ろから飛びつかれ
今度は加減できなかったのか結構まともに地面とお友達になる。
「い、いってぇ!お、おいお前ら!強さやレベルの上下を競うならともかく
何でこんなワケのわからん事に対抗心燃やす!
普段おとなしい奴こそ野獣ですの見本市でも始める気ぎゃあ!?」
だとすると、あとウチに何人おとなしい奴いたっけなどと余計な事を思い出していると
予告もなしに首の後ろに噛みつかれた。
お前はネコか!?
山姥になる前の普通のばあさんに可愛がられてた
ネコか何かでも憑いてるのか?!
「いだだだだ!いたい地味に痛いやめろこらまんば、いってぇぁ!?」
抗議しつつ身をひねると今度は鼻先に噛みつかれる。
あ、こりゃダメだ。説得どころの話じゃない。
どこでどう忘れたのか我を忘れてる。
だが妙に手慣れていたへせべの時とは違い
まんばの場合そこからどうするのかまでは考えていないらしい。
だったら・・
「こ、んのお!!」
噛まれた場合、無理に引き剥がすと痛いし危ないので
逆に噛まれている所を口に押し込んで意表をついてやる。
これは又聞きした獣に噛まれた時の対処法で
がつんと何かにぶつかって顔が痛かったりもしたが
一応効果があったらしく噛まれた所から痛さが離れた。
そして続けざま蹴りと肘を同時に入れ、できるだけ距離をはなしたところで
コタと愛太が合流してきてまんばとの間に素早く割って入ってくれた。
「あるじさま!」
「来たぞ!間に合ったか!?」
「いちち・・まぁ、今のところたぶん」
だがまんばの方はそこで戦意喪失したらしく
ぶつけたらしい顔を押さえてしばらく呆然としていたが
少しして自分が何をして何をされたのかわかったらしい。
顔をおさえながら黙って距離をとり、静かに平伏してきた。
・・うん、お前そこらへんは紳士的なんだが
アップダウンの激しさは何とかしてほしいよ切実に。
大体お前一度ならず二度までもだろう。なんで噛むの。
次やったら憑いてる憑いてないで石丸(石切丸)に本気で相談するぞコラ。
などと思いつつ愛太に助け起こしてもらいながら腰を上げると
きちんとした謝罪姿勢のまま動かないまんばの前にしゃがみこむ。
「・・おい、まんばよ」
「・・・すまない」
「噛まれるとな、痛いんだぞ」
「・・・」
「だがこれでお前もへせべの事をとやかく言えなくなったよな?」
いやそれだけは!と顔を上げて悲愴な顔をするまんばの額を
ぶすどすと強めにつつきながら千十郎は続ける。
「わし、逃げたんだけどなぁ。それを後ろから飛びついて噛むとかお前・・。
しかも鼻まで噛むか。おい愛太、ここ歯型ついてないか?」
「あ、ついてる。結構ばっちり。ってかまんばの兄ちゃん噛んだのか!?」
「・・それと口元もすこし打ってるみたいですよ。お薬とってきましょうか?」
「ん〜そうだな。じゃあコタは手当道具を。
愛太はわしの部屋から反省書を持ってきておいてくれ」
「げ!?あれか!?あれ書かされるのか!?」
「お前が書くわけじゃないだろ。見るのも嫌なのはわかるがまぁ頼む」
「うへーい了解」
「あ、それと足拭く用の布もな」
「わかりました」
こういう時小回りのきく短刀は便利だよなぁとか思いつつ
千十郎は小さくなっていく小さな背中たちをぼんやりながめた。
ちなみに反省書とは千十郎の考案した要は反省文だ。
別に上の方に正式書類として提出するわけでも
内々で貼り出して見せしめにするわけでもないが
自分のやらかしたことを書き出して反省しろという意味をこめて書かされ
千十郎の納得がいくまで何度でも書き直しを要求されるので
めんどくさい事が嫌いな愛太にはそれなりに恐怖の対象だった。
ちなみに蛇足だが、へせべにもあの夜の件を反省として書かせてみたが
彼は何をどう勘違いしたのか主の感度高いところ弱いところ艶っぽい箇所などを
薄い本ができるくらいにがっちりみっちり書いて渡してきたので
それはギチギチに丸めて微笑綺麗なへせべの頭をひっぱたくのに使用後
飯炊き釜にくべて燃やして灰にした。
さらにどうでもいい話だが、懇切丁寧なエ●記録を書き上げたへせべは
それでもそこに書き上げた分は全て頭に記録済みですのでご安心を
などと満足げに言い放って眉間を力いっぱいつねり上げられている。
まぁそれにくらべたらまだマシな部類なんじゃないかと思われる
しょぼくれたまんばを見ながら千十郎は頭をかき、ふと気がつく。
まんばの口元に少しだけ何かにぶつけたような跡がある。
それとさっきコタに言われた自分のぶつけたところ。
さっきはついとっさの行動だったが、冷静に思い出してみると・・。
「・・・なぁ、まんば」
「?」
「これ、最初のうちに入るのか?」
千十郎が指したのは、自分では見えないぶつけたらしい口元。
まんばもそれで自分の口元に少しばかり痛みがある事に気がつき
それで大体の意味を察したらしく、かぁと音を立てそうなほどの勢いで赤くなり
かぶっている布が飛びそうなくらいぶんぶんと首を横に振りたくった。
さすがに最初好きでもこんな事故みたいなのを最初としてカウントしたくないらしい。
「まぁそうだろうな。わしもこういったものの最初くらい風情と情緒がほしい」
「・・すま」
ない、と言いかけた台詞が途中で止まる。
え、それはつまり、という淡い希望は次に出た主らしい強めの声色で塗りつぶされた。
「なのでお前にもへせべにも通達しておくが
わしは陣取り合戦の陣じゃないからな!
なのでわしの都合無視で迫ってくるの禁止だ!
二人とも真っ向からの拒絶はせんが、そこは大いに認識しておけ!
以上!わかったら返事!!」
「はい!!」
「・・よし、わかったかどうかは反省文にて確認する。以上、解散」
そうしてそこで気力が尽きたのか
ふぅやれやれとばかりに首をさすりながら歩き出す主の背中を
まんばは絶望的な気持ちで見送る。
そんなつもりじゃなかったはずなのだが
結果的にそうとられてしまっては言い訳もしにくい。
ではどうすれば良かったのか。
おそらくこの手の事に関しては長谷部の方が上手だから
先を越されたような気分になって今度のような事になったのだろう。
思う気持ちは今ここに確かにある。が、そこから先の行動がわからない。
どうすべきが正解なのか。確かなのは不正解が今回だったということだ。
まだ話し合いでどうにかなるならいいが、最悪の場合嫌われ・・る?
その思いに突き当たった瞬間、まんばの背中に今まで感じたことのない
凄まじい絶望感と悪寒がのしかかってくる。
だがその目に見えない冷気のようなものに意識をとられる寸前
前を歩いていた主から声がかかった。
「・・おい、なにぼさっとしてる。お前がやったんだからお前が手当せんか」
そう言いながら彼が指したのは歯型のついた自分の鼻だ。
しかもその主、わざわざ歩いて戻ってきて
呆然としていたまんばの顔をぴしゃりと両手ではさみこんできた。
「あのな、わしは逃げも隠れも・・あ、いや
多少逃げたり隠れたりはするが、基本的にお前達からは逃げん。
ただしそれは落ち着いて順をおってくれればの話であって
だからその・・・要約するとだな」
だんだん言いづらくなってきたのか
主は少しばかり迷った後、息のかかりそうな距離まで近づいて。
「・・・急がなくていい。ゆっくりでいいから」
ようやく聞き取れるような小声でそれだけ言うと
固まったまんばを置いて再び歩き出した。
残されたまんばはいきなりビンタでもはられたような顔をしていたが
やがて何を言われたのかじりじりと理解して
思わずさっきまでの事を全部忘れて遠ざかるその背中に飛びつきたくなったが
ぐっとこらえて我慢した。
急がずゆっくりがいいというのならそうしよう。
それで嫌われないのならいくらでもそうしよう。
なので我慢だ。それで済めばやすいものだ。
いくらか軽くなった心にそう刻みながら、まんばは少し早足で歩き
千十郎の前まで追いつくとしゃがんで背中を向けた。
「乗れ」
「は?」
「裸足だろう。俺のせいで」
「・・あぁ、それもそうか」
そこでようやく裸足で逃げ出した事を思い出した千十郎。
あまりためらわず普通にその背中によいしょと乗っかってきて逆にまんばは驚いた。
しかしその理由はすぐにわかった。
彼はまだ根に持っているらしく、立って数歩も歩かないうちに
頭をぺんぺん叩いてきたり両サイドから頬をつねってきたり
あげく顔のいろんなところに指を引っ掛けて変顔を作ろうとしてくるので
先にやらかした立場上、反撃も反論もできないまんばはどんどん早足になり
ゴールの縁側につくころには全力疾走になっていて
色々用意して待っていた愛太とコタにびびられたそうだ。
「でも・・よかったです。あるじさま、仲なおりできたんですね」
「ん?あ、うん、まぁわしは別に仲違いしてたつもりはないがな」
「・・な!?」
「はいはい、まんばの兄ちゃんそうカッカしない。あとこれ反省書の紙な。
知ってると思うけど納得されるまで何回でも戻ってくるからガンバッテ」
「わーお愛太に言われてやんの。まんば君かっちょわるーい」
「あ、あの・・そんなにいじめないであげてください。
でないと反省文がうらみぶしになっちゃいます」
「・・・なるほど名案だ。愛染、紙を倍よこせ。
そちらの方も書きつけて後でそこの低学年主の枕の下に不規則で仕込む」
「あ、ちょっとやめて。真面目に効いて夜中にうなされそうだから枕の下はやめて」
まぁそんなこんなでその件は、反省書の書き直し2回の後
ごめんね。いやこっちこそごめんね。という形で穏便におわった。
ちなみに千十郎の顔の手当はまんばが担当したが、当然のように悪目立ちし
男士達に指さして笑われたり大げさなくらい心配されたりしつつ
原因はなんとか誤魔化してたのだが・・
やはりというか何というか、へせべにだけは隠し切れず
軽い尋問と笑顔の威圧の末に事のあらましを全部吐かされた。
ところがへせべは怒ることもなく案外平然としていたので
不思議に思って聞いてみると。
「主の判断で処分が完了しているのであれば
私はそれに従うまでの事です。それに・・」
「?それに?」
「知能の低い小動物に心乱され嫉妬するほど、私も不寛容ではありませんので」
それはつまりわかりやすく言ってしまえば
『愛情表現の仕方すら動物なみのカラつきヒヨコに
嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいわ。ハッ(嘲笑)』
ということらしい。
千十郎は真一文字に口を閉じ、すうと鼻から息を吸い込むと
腹の底からのため息を盛大に吐き出した。
「・・目に見える喧嘩沙汰に発展しないのは、大いに結構なんだがなぁ」
「?何かご不満な点がございましたら何なりと」
「いや、いい。現状維持につとめてくれ。あぁそれと」
こいこいと手招きして手の届く範囲まで来るように指示してから
少しばかり照れたような顔をして主は言う。
「・・わしはお前達ほど若くて元気な部類ではないからな。
まんばにも言っておいたが、こういった件に関しては急がずゆっくりで頼む」
主命というほどではない、お願い程度の話だがな。
などと付け加えて頭を軽く撫でてくる主に
へせべは一瞬、表情筋をまとめて引きつらせたような顔をしたが
すぐいつもの落ち着き払った顔で『承知しました』とだけ返す。
が。
『ですがその件、いつか近いうち私の身勝手な私情により
破綻してしまうかもしれません。
・・その際には主。迷うことなく極刑のご判断を』
という物騒極まりない言葉をへせべは口に出さず
撫でられた頭の中だけで一人静かにつぶやいていた。
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