その日、審神者で刀剣男士たくさんの主である千十郎は食事後の後片付けをしていた。
なんでここで一番偉い人が後片付けをしているのかというと
たまには何かさせろという本人の意思で別に罰ゲームとかではない。
簡単に言えば『ヒマだからなんかさせろ』だった。
「ふーんふふーんふーじびーたいーいーしづきーしいたけーうーましー」
不思議な鼻歌をもらしつつ本人はいたって上機嫌だ。
というのも彼は作るのも片付けるのも好きな方で、実のところ男士達のやる内番だって
手合わせ以外は全部一人でやりたいくらいだ。
そう言ってみたらさすがに色々怒られたが(主に打刀達に)。
なのでたまにならいいよという事で、こういった仕事をもらっているのだが
よく考えてみればここで一番偉いはず人が部下に雑用の許可をもらい
回してもらっているというのも変な話である。
しかもその格好が割烹着に三角巾という昭和初期スタイルだ。
で、そんな妙な関係と格好を維持しつつ後片付けと洗い物をしていた主だったが
今回そこでちょっとした不運が起こった。
不運といっても何のことはない。
洗って乾かそうとしていた鉄鍋を持ち上げた時
たまたま手がつるりと持ち手から滑ったのだ。
「あ」
ゴッ
「いっつ!」
しまったと思う間もなく鍋は持っていた本人の足の上に落下。
これでブーツでもはいていればよかったが
あいにく裸足に草履という適当すぎる装備だったのでダメージは直だ。
あ、いッ、たぁ〜!?痛ぇ、いや痛くないと思えば痛くない。はず痛いくない。
うん、平気なんともない、痛いけどたぶんいた平気。
などと一人で自己暗示をかけつつうずくまってケガの程度を確認していると
だだだだと畑の方から何か走ってくる音がして
転がり込むような勢いで誰かがその場に現れた。
それは彼がここで一番付き合いの長いまんばと呼んでいる青年で
近くに落ちていた鍋と状況を見て瞬時に状況を理解したらしい。
「打ったのか!?」
「・・痛い、けど・・大した事ない、と思う。とりあえず冷たい水と手ぬぐいを・・」
持ってきてくれという前にその姿がそこからかき消える。
途中ずる、びたん!という音が聞こえたりもしたが
1分もしないうちに彼は水の入った桶と布を持って戻ってきた。
「・・お前、あわて過ぎてずっこけてなかったか?」
「そんな場合か!見せてみろ!」
右半身どろんこ、桶からこぼれた水で服もびしゃびしゃ
ついでに顔が怖いけど言ったらさらに怒られそうなのでやめておく。
「骨はやったのか」
「やってないと思う。変色は後からするかもしれんが、今は
あたたた、そこ痛い」
「動かせるか」
「・・なんとか」
短いやり取りをしつつ簡単な手当をしていき
ともかく痛みは残るが大怪我ではないというのだけは確認できた。
「・・しかしまいった。ちょっと手がすべっただけだってのにこの有様とは。
皆に何を言われるかわかったもんじゃないな」
「心配するか呆れるか、もう雑用するなじっとしてろと言うかのどれかだな」
「え〜?わしから雑用とったらただの口だけおっさんだろが」
「・・・」
「おいこら、そこは否定しろよ」
「・・いや、そうじゃなくて」
少しあわてたように訂正してから
まんばは下を見ながら言いにくそうにぼそぼそ言った。
「あんたが色々やっているのは評価している。・・飯も美味いし。
ただ今回みたいに一人の時にケガをするのは・・よくないと思って・・」
「って、事は・・お前は心配する部類って事か」
返事はなかったがうつむいた白い布がうんと縦にうなずく。
「そうかぁ、じゃあ今度から気をつけないとな」
「・・そうしてくれ」
「とは言え、今回のやっちまった分はどうにもならんがな。
重傷ってほどじゃないが、しばらくは歩きにくいだろうし・・」
「・・・・」
「そうだ、確か物置に素振り用の棒が何かがあったな。
あれ改良して補助機(松葉杖)でも作るか」
「俺がいるだろう」
「え」
頭の中で松葉杖の設計図を作り始めていた横から強めの声が割って入る。
ふとそちらに目をやると、あまり見ないまんばの強気な目と視線がかち合った。
「俺はあんたの刀だろう。本物でも偽物でもない、あんたが最初に選んだ刀だろう。
それが今、あんたのそばにいなくてどうする。
今がその時だろう。そのはずだ。絶対」
それはつまり、状況と話の流れからして訳すると。
『俺はあんたの刀だから、あんたの大変な時にそばにいなくてどうする。
また俺がいない間に何かあったらイヤだから足が治るまではそばにいる。
いるったらいる。絶対いる。反論は認めん』
たぶんこんな所だろう。
言わんとする事はわかるし、それに何より自発的な行動はいいことだ
・・と、この時の千十郎はまだそんな風に思っていた。
これが後々どんな事になるかも知らずに。
「・・えーと・・じゃあ、頼む?」
「任せろ」
具体的な事は何一つ決まっていないが
雰囲気的にNOとは言えない空気を読みつつ疑問形でOKを出す。
そしてこれが後々起こるケガ以上の問題になるのだが
まぁ問題の始まりというのは大体些細な事から始まるものである。
というのはともかくケガ人の世話役になったまんばが最初にした仕事は
松葉杖を作るお手伝いと、主を心配してまとわりつく短刀達をやんわりつまみ上げ
邪魔にならない距離に移動させる事だった。
そしてそれからの千十郎の生活はざっとこうだ。
朝起きる。まんばに手伝ってもらって服を着替え、髪を整え朝食。
あまり動き回らない範囲で仕事をして
どうしても移動が必要な場合はまんばが何かを言う前に先に手を貸しにくる。
昼飯。まんばが黙ってそばをゆでてくれた。シャレか?
午後の仕事。遠征の迎えと報告を聞く。内番の組み直し他。
ケガの具合を心配していた他の連中も、まんばが常時はりついてくれているからと
あまり心配しなくなった。
仕事がない場合は昼寝か読書が入るが
どちらもまんばのガン見付きなので寝心地も集中力もあまりよろしくない。
夕食後。当然後片付けも雑用もやらせてもらえずじまいで
牛になるという文句もそこそこに自室に放り込まれる。
風呂はさすがに中まで入ってこなかったが、脱衣所できっちり待機していて
髪を乾かすのも着替えを手伝うのも布団をしくのも
寝る前に湿布を交換するのもまんばがやってくれた。
「・・じゃあ明日また。おやすみ」
「うぃ、おやすみー」
規則正しく夜更かしもしないまま挨拶をかわし、布団に入って目を閉じる。
そして千十郎は数秒後、ぱかと目を開き。
「おはようからお休みまでじゃねぇか」
誰に言うでもなく見慣れた天井に真顔で言った。
「しかし助かるには助かるが、急に歳くった気分だなぁ」
縁側に腰掛け、だいぶ回復した足にダメ押しの湿布を張りかえてもらいながら
千十郎はしみじみといった風にもらし、それを黙って聞きながら
まんばは慣れてきた手当をもくもくと続けている。
「や、若くないのは自覚してるんだがな。
それでも自分でできてたあれこれが急にできなくなると
ガクッと老け込んだ気分になるのが、にがすっぱいというかモヤつくというか
大体やれる事は自分でやれるんだぞこれでも一応」
「さっきから誰に言い訳してるんだ」
「わし以外に誰がいる」
「意味がわからない」
「・・なぁ、そろそろ芋の皮むきくらい許可してくれよ。
お前達に命のやり取りを押し付けといて、わしが何もしてないってのは落ち着かん」
「命やり取りは刀の仕事で押し付けられているつもりはないし
第一治りかけで油断している所に何かあったらそれこそ俺達の恥の上塗りだ
という長谷部の通達でそこは今脇差組の担当だ」
「ぬう、賢い子達で手間いらず。
というかお前だって四六時中わしと一緒というのもつまらんだろう?
別に義務感にかられずともやりたい事があれば優先していいし
ここ数日つきっきりだった分、休んだり好きなことしてもかまわないんだが」
それは足の具合ももうだいぶ良くなってきたし
手助けもそろそろいらないんじゃないかと思っての提案だったが
まんばはぴたりと黙ったかと思うと、手当の終わった道具類を横に置いて
すっと居住まいを正し。
「あんたはわかってないだろうが・・」
少し躊躇った後、これ以上ないくらい真面目な顔でこう言い放った。
「俺は、・・あんたの事、そこそこ好きだから」
千十郎は数度まばたきをした後、ふとした疑問を感じた。
そこそこ、とはざっくり言えば大と中の間くらいのまぁ多めの表現だ。
彼の性格からして好きなら精々『嫌いではない』くらいで済ませそうなものだが
それがそこそこ。しかも妙にあらたまってそこそこと言う。
少し考えた末に出た仮定に、もしやと思いつつ彼の様子をじっと見てみると
はっとして赤くなり、顔を横にそらすという一種独特な行動に出た。
「・・そうなのか?」
念のため聞いてみると、うん、とうなずかれる。
「主人としてってことか?」
「・・それも込みだ」
ということはつまり。
「もしかして・・性別年齢に関係なく、の方にか?」
これまたうんとうなずかれてしまう。
あぁそれでそこそこという事なのか、と千十郎は妙な納得の仕方をした。
だがこれはこれで意外だ。まんばはそもそも多くを語らないし
他の打刀(みやびとかキンキらとか)と違って好き嫌いがはっきりしていない。
なので真面目に黙って世話を焼いてくれているのかと思っていたら
知らない間にそこまで心境が変化していたとは。
と思う千十郎とは違い、まんばにしてみればそれはここに来て最初の戦闘後の
手入れ後のあの時からもう始まっていた事だ。
威張らないところ。よく笑うところ。分け隔てなく優しいところ。
知識の片寄りが激しく、知らない事はからっきしで、へんな事には詳しいところ。
そのせいかもしれないが自分を本物偽物の枠に組み入れなかったこと。
今回の世話係を嫌がらず受け入れてくれたところ。
ケガの翌日に打った所が人体にありえないような色に変色し
口では大丈夫と言いつつ泣きそうになっていたところ。
クセのある長くて真っ黒い髪の手触りが不思議とよかったところ。
着替えの時に見た背中が意外とがっちりしていて驚いたところとか。
色々思い出しているうちに頭の中が好きな所でいっぱいになり
まんばは急に気恥ずかしくなってきて
部屋のすみに横転で転がっていき膝を抱えて丸くなりたくなってきた。
「・・しかしな、わし普通におっさんなんだけど、わかってる?」
「・・わかっている。俺だってそんなつもりはなかったんだ。
ただ・・いつの間にかそうなってたというか、なんというか・・」
そうしていつの間にか主人から好きな人へと格上げされていた当人は
頭をばりばりかきながら天を仰いだ。
「はぁ〜・・そうかぁ。そうなのか。
とは言え、わしそんな事言われたの初めてなんだよなぁ」
「!?」
とたんにまんばはぶんと風がおきるくらいの勢いで顔を上げるが
さして気にした様子もなく千十郎はのんびり話し出す。
「わしは今まで深い人付き合いというのをする事がなかったからな。
そんな事をきちんと言われたのは実のところお前が初めてだ」
人付き合いの苦手そうなお前に言われるのもヘンな話だがな
などと彼は楽しそうに笑う。
けどもうそんな言葉はまんばの耳に入っていなかった。
最初に選んだ刀。最初の近侍。最初の刀装。最初の手入れ。最初の告白。
今までまったく興味のなかった最初という言葉が
手に入るにつれてどんどん色味が増えていくような不思議な感覚。
かぁと熱くなる胸の奥に意識をもっていかれそうになりつつ、ふと視線を落とすと
今しがた手当の済んだ千十郎の足がある。
運動不足でもろくなると言いつつも結構しっかりした筋肉のついた足。
手当の済んだ箇所から上にケガはない。
そう、そこには『まだ』なにもない。
新雪につける最初の足跡。まだ何も書かれていない白い紙。
きたばかりの新米。新しい土地を耕すクワの一振り目。
誰も足を踏み入れていない未開の地への一歩。
がぶ
「あいた!?」
思ったのと行動はほぼ同時だった。
膝の横あたり。まだいくらか肉のあるところにかじり付いて歯を立てる。
「おいおいおい、なんだ!?!何でかじる!?」
痛くないように加減しつつ、ゆっくり、少しづつ力を入れる。
「ちょ、おい、まんばって!何だおいって!」
上からあわてる声がするが、それがなぜか嬉しくて
ケガの場所を掴まないように足を引き寄せ、逃げられないように固定する。
「えぇえ!?ちょ、なん・・!」
傷はつけない。でも跡は残るように。もう少し、強く。
「いっつ・・・おい・・って!」
いい。凄く、何かいい気分だ。
触れる場所全部から何か真新しい熱が流れ込んでくるようなこの感覚。
なんだろうこの感じ。こんな感じは今まで
「・・めがッ!!」
ぽかん!
おかしな怒声と共に頭に衝撃が落ち
はっとすると同時に掴んでいた足がしゅっと引っ込んで
薄くなっていた正気がざぁと流れ込むように戻ってくる。
そしてまんばは今自分がしていた事に気がつき
視線を上にやろうとしたが、ぐいと頭の布が引かれて視界が白くなった。
「こッ、こんの!・・お前!まったく・・!」
白い視界の中で途切れ途切れな文句・・になっていない言葉が聞こえる。
それは怒っているけれど何か様子おかしく、まんばはその声になぜかうずうずして
頭を押さえつけていた手をどかそうとするが、それは頑固にどいてくれる気配がない。
「・・手、放してくれ」
「嫌だ」
「どけてくれ」
「断る」
「顔が見たい」
「勘弁しろ!」
その最後の台詞は確信を持たせるのに十分だ。
まんばは強硬手段に出て頭の上にあった手を素早く掴み
視界が広がった瞬間見えたもう片方も捕獲する。
そして見た主人の顔は、完璧に照れていた。
赤い顔で目もあわせられないらしく、視線があらぬ方向をうろうろ泳ぎ
口がどう感情表現していいのかわからず変な形に引きつっている。
しかもその口、何も聞いていないうちから勝手に。
「しっ、仕方ないだろ!んなところ普通噛まれないし、ヘンな痛さだし・・!
大体、さっき言っただろ!わしそういう経験ないって!
なのにお前!足って、いきなり・・!しかも跡ついてるし!」
などと言うものだから
その途端まんばの元から少ないポジティブ思考がぶうわと膨れ上がり
何かもう、色々とたまらなくなって。
「どぅぐえ!?」
ケガをさせない程度の勢いでお膝ダイブした。
「え”・・・えぇ〜??なんだどうなってんだ?今のお前の中は??」
答えはない。ただ膝の上の白いのが無言のままぐりぐりぐりと頭を膝に擦り付けてきた。
「・・お前、結構変わった所あったんだな。今さらながらの一個発見」
まんばは何も言わず現状維持した。
だって自分のカンが正しければ、次に彼は笑ってこう言うだろう。
「でもまぁ、別にいいがな。これはこれでネコみたいでかわいいし」
だろうな。かわいいは余計だが、あんたならそう言うと思った。
この男の懐は広すぎて、どこに境目があるかもわからず
近くにいるこちらも変なものまで入れないかどうか、たまに心配になるくらいだ。
だからその広い場所の一番わかりやすいところに
俺の居場所があってもいいんじゃないかとまんばは思う。
というかここは俺のだ。今決めた。しるしもつけた。
偽物でも本物でもない、こいつの俺は
こいつに見放される以外に怖いものなど何もない。
強気なのかしょぼいのかわからない決意を燃やしつつ
膝の上を陣取るまんばに千十郎は少しして困ったような声をかける。
「ところでまんばよ。わしいつまでこの状態?」
「・・・。ぐ、ぐうう」
「寝たふり!?しかもドヘタクソ!?」」
などとやりながらも誰も呼ばないあたり、千十郎もまだまだ甘いのだが
結局その状態が続いたのはへせべ(長谷部)が用事で呼びに来た時
それを見るなり無言でまんばだけを上手に引き剥がして
テキサスクローバーホールドをかけるまで続いたそうな。
《テキサスクローバーホールド》⇒ 地味かつなんか複雑なプロレスの足技。
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