「・・事前視察?明日から?」
主からそんな話を聞かされたのは、その視察の出発予定日の前日。
それが初耳だったまんばにとっては急過ぎる以外の何ものでもない話だ。
というのも主の千十郎は近侍の彼には大体の予定は話すし
外出するならまず最初に声をかけるのは彼だったからだ。
「そうだ。たまには合戦場や遠征だけじゃなく
全員で海の見える宿にでも泊まりに行こうかって話になってな。
今うちにいる人数なら何とかなりそうだから、その宿と周辺の視察だ」
「それは別に反対はしないが・・急すぎないか?
それにその下見に同行するのがどうして長谷部なんだ?」
大体そんな話が長谷部との間だけで進められていたのかと不満げなまんばをよそに
そのへせべはさっきからそ知らぬ顔で事の成り行きを見守っている。
「実はある程度驚かせたくてまだ皆にはちゃんと話をしてないんだ。
お前にもギリギリまで黙っておこうかと思ってたんだが、さすがにどうかと思ってな。
それにこういった事はへせべの方が上手く考えてくれるし
発案や大体の行程を組んでくれたのもへせべだし
あとお前、あまり人前に出るのは好きじゃないだろ」
「・・・・」
図星を突かれてむっすーと不機嫌全開になったまんばの頭を
千十郎はいつも通り雑に、でも痛くない加減で優しく撫でた。
「なぁに、たかが視察の一泊ってだけだ。
その間の事はお前にまかせるから、ちょっとだけよろしく頼むぞ」
「・・愛染と五虎退にも話をしてないのか?」
「コタはともかく愛太は無理だな。嬉しがって絶対誰かにもらす」
「いや、そうじゃなくて・・」
対へせべ用の護衛達まで置いていくとは、本当に大丈夫かと思いはするが
ちらとへせべを見ると我関せずとばかりにまったく動じた様子がない。
だがその涼しい顔とは裏腹に、彼の心の中は結構な熱意で燃え盛っていた。
そうだ。これは主と二人で行う仕事だ。
以前から計画し根回しをし時を見計らい主の気遣いも計算しての今回だ。
年中主のそばにいながらその立場に甘んじ
今の場所から踏み出せずにいるお前では成し得ん事だ。
たかが視察。されど一泊。邪魔の入らない一晩の二人きり。
何もわかってなさそうな主は少し気にかかるが、千載一遇のこの機会。
よもや何もないと・・・思うなよ。
心の奥底でずごーと黒い炎を燃やすへせべにまんばは複雑な目を向けていたが
もう主の決めた事だし、確かに外の事はへせべの方が適任だろうし
それに何より主に対する忠誠心が百科事典並みにぶ厚いのは純然たる事実だと
仕方なしに承諾する事にした。
「・・わかった。みやげも何もいらないから無事に帰ってこい」
「みやげ話ならかさばらないから持って帰ってもいいか?」
「・・・・。それくらいなら」
でも早く帰ってきてくれるのが一番いいという言葉を
素っ気ない台詞で代用してしまったまんばは内心でしゅんとするが。
「ま、用事を済ませたらできるだけ早く帰ってくるつもりだからそう気にするな。
全力疾走とか競歩とか空飛ぶのは無理だがな」
それを察しでもしたのかそれとも予測していたのか
主は欲しい言葉を笑いながら言ってくれて薄暗くなっていた胸の内がふっと晴れた。
だがその反動なのか、たった一泊だと言われているはずなのに
いつも昇る太陽が丸一日消えてしまうような感覚が胸の奥でふくらむ。
あと何だ。この得体の知れない不安と胸騒ぎは。
へせべの性格はともかく強さと忠誠心は信用に値するはずなのだが
それとはまったく別の不安が喉の奥でうずいて引っかかる。
そしてそれが何なのかわからないまま出発の日になり
皆にバレないようにとこっそり出発する二人の姿を
唯一の見送りとなったまんばはいつまでもいつまでもけわしい顔で見送っていた。
そしてこの後、まんばがあの時大喧嘩をしてでも引き止めておけばよかったと心底後悔するこほどの事がこの後のたった一泊の範囲内で起こるのだが、それが発覚したのはそういった事に鈍い主のおかげもあり、この時の事を忘れるくらいの随分と後になってからの事だった。
へせべが事前に調べて手配したというその宿は
人里や街道からもはずれた海の近くにあるこじんまりした宿だった。
聞けばそう繁盛しているわけでもなく、かといって食っていけないほどでもなく
ほぼ趣味や道楽、老後の糧としている程度の宿なのだそうだ。
そこでまず、今いる男士達はこの時ざっと40人くらいだから貸切にできるかどうか。
食事の手配、寝具の数、近隣の迷惑になるかどうかなどを宿の主人と話し込む。
宿の主人はこんな何もない場所なのに本当にいいのかという様子だったが
何もないところでも大騒ぎできる連中だから問題ないと主は笑った。
あとは近くにあった海にも足を運んでみた。
全員が全員じっとしていられない連中ばかりではないが
やはり外に出る事も配慮しておかなければならない。
幸い近くには砂浜があって、ざっと歩いて見てみると
そう広くはないが岩は少ないし深さも一定なので浜遊びくらいはできそうだ。
さすがに今回は視察なので泳いだり遊んだりはしないが
砂浜を歩いて潮の香りをかいでいるうち、千十郎は少し悪い事をしたかなと思う。
「・・なんか先に楽しんでるみたいで、皆には少し悪いな」
「いえ、主は事前視察で来られているのでお気になさらず。
むしろこの場合、初見の新鮮味を職務で半減させている分、主には申し訳なく思います」
「はは、言われてみればそうかもなぁ。・・お」
さくさくと砂浜を歩きながらそんな話をしていると
千十郎が砂の上に何かを見つけたのか足を止めた。
しかし視線の先をたどってみてもそこには何もなく
波にならされていない散らかった砂があるばかり。
「・・へせべ、夜にまたここに来るぞ」
「?夜に・・ですか?」
「灯りはつけずにな。帰りはつけていいが来る時は無灯だ」
「??」
何のことかわからないまま夜になり、夕食を済ませて外に出る。
千十郎は宿の浴衣を着たが、へせべは仕事中だと言って聞かずいつもの装備のままだ。
外は外灯がほとんどなく暗かったが、月明かりで何とか歩けるくらいの明るさはあり
千十郎はその中をまったく躊躇なしにさくさく歩き、昼間の場所までたどり着いて
そこから少し離れた場所に黙って腰を下ろし、そのまま砂浜をただじっと眺め始める。
へせべは何か言いたそうにしていたが
何か考えがあるのだろうと黙ってそれに従い、その横に膝をついて待機姿勢をとった。
そうして二人してしばらく砂浜で待機していると。
もり もこもり ばさ
二人の先にあった砂がもり上がり、中から何か小さなものが這い出してきた。
へせべは思わず持参していた刀に手をかけるが、出てきたのは亀のかなり小さいやつだ。
1匹ではない。5、10、20、多い。
どうやらそこは海亀の産卵場所だったらしい。
「・・ここで浜遊びはできんな。少し移動して別の場所で考えるか」
主がそう言う間にも小さく大量の亀たちはこちらには一切目もくれず
ばたばたと小さな手足を動かし全て一匹も迷うことなく海の方へ海の方へ。
小さな身体のどこにそんな力があるのかと思うほどに
ただ真っ直ぐにひたすらにただただ海へ。
途中の波にさらわれてもひっくり返ってもかまわず海へ。
「・・いいねぇ。小さな小さな各々最初の船出だ。
ただこれだけいても大人になるまで生き残れるのはごくわずか。
その中のさらにほんの一握りがここへ戻ってきてこうして次の世代を残していく」
誰に話すでもなくそうつぶやく千十郎は月夜の加減からかもしれないが
見た事もないほど慈愛に満ちた表情をしていてへせべは息をのむ。
「命の残し方は千差万別。残る残らないも運と縁。
だが・・やっぱりこういったのは実際に目にするのと文献とでは違うもんだなぁ」
そう言いながら静かに笑うその顔はひどく穏やかで
へせべは胸の奥の方をゆっくり優しく掴まれたような気分になった。
しかし考えてみれば忠義と敬愛に塗りつぶされてあまり気にとめなかったが
この主、実は素性や経歴についての謎が多い。
知識の偏り方。たまに出る妙な発言力。守秘義務があるという以前の仕事。
そして時折見せる知っているようでまったく知らない表情と底深さ。
ぴちぴちとせわしなく海へ入っていく小亀を千十郎は最後の一匹になるまで眺め
へせべもまたその様子をいつまでもじっと見ていた。
そうして静かな孵化も全て終了してしばらくたったころ
千十郎も気が済んだのか砂をはたいてよっこらせと立ち上がった。
「さてと、いいもの見れたところで宿に戻るか。つき合わせて悪かったな」
「・・・いえ」
それから二人で波の音だけが響く砂浜をのんびりと歩く。
帰りの灯りは持ってきていたが、目も慣れてきたし月明かりがあるので不自由はない。
「しかしいい土産話ができたと思ったが
終わって見れない事を知ったらチビ達が残念がりそうだし
かと言って話さないのももったいないし、どうしたもんかなぁ」
「・・・・・」
「?どうした。さっきからやけに静かだな」
「・・いえ、職務に支障はありませんのでお気になさらず」
「?そうか?」
急ぐ帰りでもなかったので何となく遠回りし、さらに歩くこと数分。
気にするなとは言われたが、いつもよく喋る奴に突然黙られるとちょっと怖いものがある。
「・・なぁおい、ホントにどうした」
「え」
「さっきから元気ないじゃないか。一体どうした。生き物嫌いだったか?」
するとへせべは急に足を止め、胸に手を当ててすうと息を吸うと
的外れな勘違いをしていた主の前に跪き、うやうやしく頭を下げ。
「・・主、今更ながらの発言となる事お許し下さい。
もし許されないのであればこの場でこの首切り落とし下さって結構です」
うえ、お前また首かけるのかよ。
ヤマタノオロチでもないのにお前の首どんだけあるんだ
もしくはもうお前刀じゃなくて代用無限大の某餡子パン男か何かなのか
とかまったく別方向の事を思いつつ。
「・・う、うん。首はともかく何だ?」
と、聞いてみてから千十郎ははたと気がついた。
よく考えてみれば今回ついてきた護衛はへせべだが
そのへせべに対する護衛をつれて来ていない。
今までへせべとの間であった事を今さら思い出しつつ軽く緊張していると
そのへせべは少し考えるような間を空けた後、ありったけの心をこめてこう告げた。
「僭越ながらこのへせ・・いえ、この長谷部。主に忠誠信義お仕えするのは元より
男として一個人として主をお慕いし愛を持ち恋焦がれている次第。
この心に嘘偽り脚色一切ございません」
「・・?えーと、つまり?」
「主、好きだ。愛してる」
千十郎はそういった関係にはかなりにぶいので
今までのそっち方面での思い出を順に掘り起こしてみた。
えーと、まずは夜中に上手いこと押し倒してこようとしただろ
次に押入れに押し込まれて未遂に終わって
その次に土蔵の中で縛られてやっぱり未遂で・・ぅえーーとーーーー
チキ チキ チキ チーン
「ホンンンッッッッットに今っっさらだーーーー!!!」
今までのアレコレを思い出してまとめた後、はじき出された結論に千十郎は絶叫した。
「そういやそうだ!!お前まずそこから入ってない!
それ言うより先に押し倒すところから入ってる!
イタズラだの未遂だのやらかしといて、今になって正式にそんな事言い出すか?!
手順おかしくない?!おっかしいだろ!?お付き合いを前提に結婚してくださいだろ!
終点逆走快速暴走列車かよどうなってんだよ!?」
思い返してわかった衝撃の事実に一人もちゃもちゃする主をへせべはじっと見ていたが
やがて主も言いたい事を言い終えて落ち着いたのか、ゼエゼエしていた息を整え
しゃがんでへせべに目線を合わせると。
「・・・でもまぁ、それでも原点回帰してくれたってのは、評価していい・・のか?」
なんともいえない妙な苦笑をくれ、へせべもつられて少し笑った。
「しかしなんでまた今になってそんな事言い出したんだ?」
「強いてお答えするならば、惚れ直したというのが適切になるかと」
「・・そのへんの話、わしにはどうにもさっぱりだが・・どこにそんな要素があったんだ?」
「それはもう色々とあるのですが・・口にしてしまうと効力が消えてしまいそうですので
今回は私の胸の内に留めておく事お許し下さい」
「・・そう言われると気になるような、やっぱりいいような
あー・・やっぱりいい。聞いてもわしが恥ずかしいだけな気がする」
「成る程。そういった使い方もありという事ですね」
「おいやめろ。ドS臭がにじみ出てきて嬉しくない」
そう言ってよっこいせと立ち上がり、腰をとんとんとするその仕草はいかにも年輩のそれだが、そんな主をしばらく見ていたへせべはふと何かを思いついたような顔をして立ち上がると、なんでもない風にこんな事を言い出した。
「時に主。順序を重んじられるのであれば
この際次の段階へ移行するというのはいかがでしょう」
「次?次って・・何かあったか?えー・・」
苦手分野なうえに逆からなぞられてるから
次々進められても困るなぁと思いつつ顎に手を当てて考えていると
ふいにその手を取って引かれ、かわりに自分のものではない指が顎にそえられて
視界一杯へせべの顔があると思ったら唇に何か触れる感触。
あぁ、うん。そういえばそうか。
これで順序あってる・・・・のか?
ロマンも色気もへったくれもないそんな感想をよそに
それはしばらく居座った後、目の下、鼻先、頬、額と顔のあちこちに柔らかい感触を残していき、また唇に戻ってきて今度は別角度の強めで重なってくる。
・・ん?んん?ちょ、え?
しかも困惑する間にも腰に手が回ってきて
だんだんとその力が逃げられないくらいになっていき千十郎は慌てた。
ちょ、おい、告白の次ってこんながっつりしたやつだっけ?
などと考えるうちにもやわらかい感触はどんどんあちこちに触れてきて
だんだんしつこくねちっこくなり、聞こえる息づかいも少しづつ荒めになり
腰に回っていた手も次第におかしな所を撫で始めてくる。
うん、やっぱこれ、順序がおかしい。
とは言え口を塞がれると抗議もできないので
千十郎はへせべの腕をばしばしはたき、膝で軽く蹴りを入れてようやく離れてもらった。
「・・ぶっは!おいちょっと待て!
わしあんまり詳しい方じゃないがおかしくないか!?」
「そうでしょうか。いたく正当な通例順序かと思われますが」
「告白後に返事も聞かずにいきなりこれがか?!」
「見落としておられます主。二人きり、他者の邪魔なし、月夜の浜辺、外泊の途中。
どこをどう取っても絶好の条件がそろい過ぎかと」
「う、ん・・・ん?まぁそりゃ・・そうなん、だろうが・・??
しかしその中に色々置いてけぼられてるわしの気持ちとかは?」
「・・お嫌なのですか?」
「ぐ・・」
急に寂しそうな顔をされてそんな事を言われるとさすがに言葉に詰まる。
しかし外野からすればしっかり腰に手を回して事後承諾の時点で
いやダメだろそりゃな話だが、千十郎のこの方面への対応力はまだかなり残念だ。
「いやその、嫌というか・・そこまで嫌でもないが・・
どう言っていいかわからんとういか、急な話でついていけんというぶ!?」
などという曖昧な言い訳をひねり出している最中
またしても顎を掴まれ口を塞がれる。
あれ?今わし話してる最中だったよなと思いつつ、再度叩いて蹴ってひっぺがす。
「・・っは!おい待て!何だいきなり?!」
「簡単に説明しますと、して欲しそうなお顔をされておられましたので」
「はぁ?!?」
わけを聞いてもやっぱりわからないこの状況、まさに恋は盲目思案の外なのだが
その結論に行き着くより先にまた口を塞がれた。
普通こういった行為には甘さとかほろ苦さとかあったのだろうが
千十郎の頭の中は?の記号で一杯だ。
「?んん!?こ、・・ん!?」
しかも今度は抗議しようとずらした口を
また別角度で塞いで吸い上げてくるという小技を使ってくるので
千十郎はだんだん反抗するのがめんどくさくなってきて抵抗をやめてみることにした。
そうしてみて改めてわかったが、口から伝わるそれは当たり前だが他者の温度だ。
近くにある匂いも温度も唇の柔らかさもかさつきも全て他者のもので
それがごく狭い範囲からいっぺんに伝わってくるというのは
何だか不思議な行為だとぼんやり思う。
という事はへせべはそれが楽しくてこんな事をするのだろうか。
いやしかし、だからと言ってして欲しそうな顔をした覚えはまったくない。
そりゃ多少の興味くらいはあったかもしれないが
それをまとめてわしのせいにするのはおかしいだろ。
大体そこまで欲求不満こじらせてないし誰かさんじゃあるまいし
と思い出し憤慨をしていると、触れるだけだったそれが急にぐっと押し付けられ
ん?と思っていると少し開いた口の隙間から温かい何かが侵入してきた。
うわ!こら・・!
ぎょっとして身体を離そうとするが、足払いをかけられ
片足が浮き重心をさらわれる方が早かった。
慌てて残った手で押し返そうとするも、舌先をくすぐられると力が入らない。
こ、こいつ!こんな野外でどこまで・・!
「んむ!・・、む、ぐ・・ん!?」
それでも何とか抵抗しようとすると、舌がぐいと奥まで入ってきて
中を丸ごとさらうかのように動き回って声が止まる。
かと思ったら上あごをするすると撫でられるだけになったり
再び抵抗しようとすると口内を豪快に荒らされたりする。
・・あぁ、つまり大人しくしてろってことね。
やたら狭い所で起こる攻防戦に千十郎は早々に降参し
もう気の済むまで好きなようにさせることにした。
とは言え、少々苦しい。
へせべは空気すら邪魔と言わんばかりに口をびったりあわせてくるし
何をそこまでというくらい口の中をぐちゃぐちゃにしてくる。
興味も経験も少ない千十郎としては何が楽しいのかわからなかったが
少ししてある要因に気がついた。水音だ。
至近距離でおきる唾液の絡まり合う水音が
耳と口内を通して勝手に耳の奥へ入ってくる。
・・あ、これ、もしかしなくてもへせべにはやらしい音に聞こえてるんだなぁ。
などと他人事のように思っている間にも
へせべは唇を密着させたまま顔の角度を変え
口内のあらゆる場所を撫でてすくってもぐりこんでくる。
「・・ん、ん・・、・・」
そうこうしていうるち客観的に考えていた千十郎も
しつこくされるにつれ頭のすみがぼんやりし、目が眠そうになってくる。
それが見えたのかわからないがへせべはようやく口を離し
数分ぶりに両方の口から空気が入った。
「ッ・・は」
「・・ぐぅッは!?がっへ!オェッ・・」
「主、大丈夫ですか?」
「心配、するくらいなら・・!もっと加減しろ!
しつこい・・ねちっこい・・!口ん中に蜜なんか入ってねぇ!」
色気も何もない直な感想にへせべはさすがに凹むかと思いきや
何を思ったのか突然主を抱き上げ、いくらか綺麗な砂の上におろし
その両足の間に膝を入れて固定してきた。
おいまさかと思ったがそのまさかだ。
喉を軽くかまれ口の中を散々荒らした舌が今度は鎖骨を通って浴衣の中へ
「ッゴらァ!!」
ガン!!
「う」
どう考えてもアウトな事をするつもりな頭を強めにぶつ。
流れとしてはあるかも知れないが、さすがに初回が野外
しかもさえぎる物が何もない砂浜というマニアックなのはあんまりだ。
「わしでもわかる!やりすぎ!!頭冷やさんかバカ!!」
「・・・駄目、でしょうか」
「駄目!ここ外!野外!無理強いダメ!絶対!!」
そこまで言われると強行できないへせべは思い直して脚をどかし
主の手を引いて立たせてからついた砂を丁寧にはらいだす。
「・・申し訳ありません。少々気が急いだもので」
「わかってるならやる前にやめろよ・・。
とは言え、止めにくいんだったか?わしにはよくわからんが」
「・・・・」
「・・とにかく宿に戻るぞ。夜中にこんな所を二人でうろついてるのが悪いんだ。
戻って仕事の続きでもすれば気が紛れる」
「・・承知しました」
そうして何とか初回が野外とかいう悲劇を回避できたはいいが
砂をはらいつつ歩き出したへせべの様子に元気がない。
あぁ、これ言っただけだと効き目ないやつだと直感した主は
ちょっと力づくの荒療治だが、身を守るためなら情け無用と思い切ることにした。
「へせべ!」
「?」
「受身の練習!」
「・・は?あ」
何のお話で?と首をかしげる前にぱんと足元を払われ
へせべはくるりと一回転して砂地にどしゃと倒れていた。
どうやら主に転ばされたらしいが、意味がわからず呆然としていると
続けざまにむんずと腕を掴まれ。
「もう一丁!」
という声と共にまた視界がくるりと回り、今度は腰から砂の感触にぶつかった。
「まだまだぁ!」
その声でへせべははっと我に返る。
そういえば受身の練習だと言っていた。
意味はわからないが主がそれを望むのなら遂行するが従者の務め。
そう認識するのと同時にへせべは素早く立ち上がり、砂を踏みしめてかまえた。
「・・主、お願いします!」
「よぅし!」
それからへせべはとにかくたくさん投げられて砂だらけになった。
主は体術に詳しいのか色々な投げ方をためしてくるが
豪快と言うよりも技術の方がしっかりしていて
へせべの方は何度投げられてもあまり痛くなかった
・・のだが、先に主のスタミナが枯渇した。
「・・ちょ・・ひい、たんま。・・はしゃぎすぎた・・おげ・・」
「大丈夫ですか主」
「・・うん、まぁ、とりあえず、戻ろう。そんで風呂。砂落としてから」
そう言われて気がついたが、お互いいつの間にか砂だらけで
へせべにいたってはいつもの戦着が台無しだ。
二人は顔を見合わせると、ほぼ同時にぶっと吹き出し、ひとしきり笑いあってから。
「・・じゃ、戻るか」
「・・はい」
砂をはたいて落としながら、たまにお互いの背をはたきあいながら
宿への道を並んで歩き出す。
それはさっきまでの気まずい事案のあれこれを払拭する、素直に楽しい時間だった。
お互いの砂を落としながら宿に戻り、そこから風呂でゆっくり、かと思いきや、宿に戻るなり仕事モードに入った二人にのんびりする気配はなかった。
まず風呂に入りつつ大人数で来た場合の一度の入浴人数や順番、着替えの数、さらに時間割りや組み分けなどを話し合い、部屋に戻ってからは夜中に騒がずケンカもしない無難な部屋割りを考えていく。
「今のところ特筆して仲の悪い組み合わせ等はありませんが
大人しくしろと言っても聞かない者を一緒にするには・・」
「となると、中和させる人員も考えてここで区切って、こっちに回すのがいいな」
二人にしては大きい部屋の真ん中で
計画書を前にああだこうだとやりながら案をまとめ書き留めていくそれは
ただの下見泊りのはずなのに合戦前の作戦会議のようだ。
「・・ふむ、大体はまとまったが
あとはまんばや宋さんの意見も聞いて荒落としだな」
「ではこの分と、こちらの件は後日という事で」
「そうだな。あんまり少人数でまとめても後でほころびが出るだろうし
今日はここまでだ。もう遅いし、とっとと寝ちまおう」
ちらかっていた紙をかき集めて荷物に押し込み
敷いてあった布団にのろのろと足を入れる。
その一連の動作はいつも通りの延長でためらいは一切ない。
「じゃ、おやすみ。起床時間は決めてないが、お互い寝坊しそうになったら・・」
「主」
ぴしゃりとした声に気付いてそちらを見ると
へせべが相変わらずかっちりした正座でこっちを見て
・・というか、結構がっつり睨んでいて千十郎は軽くひるんだ。
「・・え?どした?まだ何か決めとく事あったか?」
「そうではありません。・・主、何か忘れておられませんか」
「?便所ならすませたが」
「違います」
「歯もみがいたぞ」
「そうではありません」
「夜食でも食うのか?それとも酒・・でもない・・のか?」
「・・・・・」
正解がわからず不安そうな顔をする主を前に
へせべはすうと深呼吸をひとつし、低い声で話し出した。
「・・主、根本的なお話になりますが
以前提案した密事のご都合の件、覚えておられますか?」
千十郎はしばらく上を見て考えた後
『あ』と小さく言ってぽんと手をひとつ打った。
「薄!!うっすい!反応が薄すぎです主!!」
「えぇぁ・・うん、そういやそうだっけ。まともに忘れてた。悪い」
「悪いと思っておられませんね!?まったく一片も爪の先ほども!?」
「いやだって、たまには合戦場以外に出かけようって言い出したのお前だし・・ん?
えと、あとわしの気晴らしもかねてってお前が・・あれ?」
「・・・・・・・」
「・・・あ〜・・いや・・スマン。完全に見落としてた」
その様子に嘘偽り誤魔化し等の気配はまったくない。
つまりホントに心底すっぱり完全に忘れていたらしい。
へせべは眉間にあらんばかりのしわを寄せると
ばふべしと布団をはたきながらとくとくとしゃべりだした。
「私が、どれだけ!今日この日のこの瞬間を待ちわびたとお思いですか!?
日程を調整し、他の連中を同行させない工夫をし
一晩は完全に貸し切れかつ繁盛していない宿を選び
今晩だけは他に客を入れぬよう理解ある店主に事前交渉までしたというのに!」
「うわ最後のはあんまり聞きたくなかった!」
いやだからと言って隣や他の部屋に客がいる時に
夜中のあれこれのを聞かれるのはさすがに嫌だ。
というか理解あるのか、えらいな店主。
「それに風呂です!文章にすれば数文字の出来事ですが
それが私にとってどれだけの苦行だったとお思いですか!」
「え?そこわしが怒られるところなの??」
「ところです!なんですかその全て脱いではじめてわかる意外な体型は!
日ごろの運動不足をのたまっておきながら、恐ろしく均整のとれた上半身に背筋から腰までの文句のつけようのない曲線!程よい肌色と嫌味のない筋肉量!極めつけがまったく隠しもしないけしからん局部と右臀部の蒙古斑!」
「ぎゃあ!どこ見てんだ!気にしてたけど最近忘れかかってたのに!」
などと漫才に近い言い合いをしてから、へせべはふうと1つため息を吐き出し。
「・・そうですね。主にとっては私のたった一晩の望みなど
くしゃみ一発あくび一つほどの価値もないのです。
すればそれまで。出なくてもそれまで。その程度の事でどちらでもよいのです」
一人でもろもろを悟って最終的にすねた。
しかも千十郎的にはほぼ事実なので申し訳ないがフォローのしようがない。
え?えぇと?この場合、どうすりゃいいんだ?
大体こういうのって決まった工程もなく、二人でいたら勝手になだれ込むもんだと思ってたが、そもそもこの場合片方がわしじゃどうしようもなくないか?
「えーと・・すまん。わしはそのあたりに関しては気が回らないというか、いや回る方がおかしい気もするが、とにかくその・・悪くはないが・・わしが悪いのか??」
などとよく考えてもよくわからん事態に対して言い訳をひねり出そうとしていると、先にへせべの方が折れたらしく、仕方なさげに息を一つ吐き出して姿勢を正してきた。
「・・いえ、冷静に考えてみれば主が謝られる事ではないのです。
確かにこちらも主の純粋さと疎さとチョロさと鈍感さを失念しておりました。
ですので今回の件、主に非なしと判断せざるを得ません」
「・・うん、なんか部分的に引っかかるが、すまん一応」
「そして今回同時に確信いたしました。
主相手に回りくどい手法、および常套手段は通用しない。
私の名の通り、圧して押しておしておしつぶすほどの気概がなければ事は成し得ない」
「・・う、んん?」
あれ?なんか言ってる事と空気がおかしくないかと思っていると
へせべはぴしりとした綺麗な正座で手を床につけ
た、と思ったのは間違いで、その手は主の布団のすそをガッと掴み、猛烈な勢いで引いたかと思うと、勢いでまともにすっころんだ主を一瞬で床ドンし。
「・・他者の邪魔なし。屋内、布団あり。近くに人なし。時間適切。
一晩限りですが状況は整えました。・・主、許可を!!」
有無を言わせない口調で戦時に突撃許可でもとるような申し出をしてきた。
まぁある意味同じようなものだがそこは黙っておく。
とは言え、反論や拒否以前にもう数回は許可を出しているし
今更やっぱりダメだという理由も今のところない。
なので主は少し呆れたような照れたような顔をしつつ。
「・・えーと、じゃあその・・月並みで悪いが、できれば優しくで頼む」
絞め殺してきそうなへせべの雰囲気とは真逆のゆるぅい返事をした。
するとへせべ。ふっと思いのほか表情をゆるめてきたので
ようやく念願かなって安心したのかと思ったが。
「・・優しくできる確証はまるでありませんが、このへせべ
あらん限りの想いを用い全身全霊渾身の力をもって主を愛しましょう」
などとどこをどう切り取っても不穏な事を早口で言いながら帯を解きにかかってくるので千十郎は『あ、これ聞く耳がどこかに飛んでったやつだ』と直感し。
「あの・・へせべよ。言っとくがわしこういうの初回で
やった事もやられた事もないからなるべく加減s」
してくれよ、というもっともな台詞は
うるさい黙れとばかりにぶつかってきた口で止められた。
そうして続けざまに剥ぎにかかってきたそれ以後の行動たるや
やられた事はないが肉食獣に大急ぎで食べられてるみたいだと
千十郎は情緒も色気も関係なくのんきに思ったそうだ。
で、そこから先は全年齢の関係でご了承くださいな話になるのだが
ただ千十郎がその一晩を経験して感じた事は
表現だけだと思っていた『愛に溺れる』というのが結構本当だったという事と
ついでに溺れるんじゃなくて殺されるんじゃないかとも体験したそうな。
そうしてここでは書けない事をあれやこれやとやらかして
なんとか夜を終えた次の日の朝。
なにくわぬ顔で朝食をすませ、なにくわぬ顔で支払いをし
何事もなかったかのように宿を出ようとした・・・つもりだったが
宿の主人が心配そうに駕籠(カゴ)か荷車かの手配をしようかと申し出てくれ
千十郎渾身のなにくわぬ顔はあっさり全部台無しになった。
他に客はいなかったが、やっぱりバレていたらしい。
・・あぁうん、そうだよなぁ。
最後の方あんまり記憶にないけど、結構大声出してた気がするし
なんとかギリギリ歩けてる悲惨な歩き方してるもんなぁ。
と思っても、そもそもへせべが事前交渉してる時点でもうバレているようなものだから隠す意味は元々ないし、むしろ『昨夜はお楽しみでしたね』とか言われなかった時点で上出来だろう。
と、千十郎はプラス思考で無理やりくくってゲンナリしておく。
ともかくわかっていてなおかつ心配してくれている宿の主人に礼を言い
次はもっと大人数で来て昨晩みたいな事は絶ッっ対しませんと念を押して宿を後にした。
しかしあの宿の主人も全く動じていないところを見るに
もしかしてそっち系の人なんだろうかと思いつつ何気なく横を見ると
歩幅をあわせてくれているへせべが少々浮かない顔をしているのが目に入る。
理由は何となくわかっているのでそのまま黙って歩いていると
宿が見えなくなって数分したころ、へせべの足がぴたりと止まった。
あ、これはもしかして・・と思いつつ数歩進んだところで足を止めて振り返ると。
「・・・主」
「ん?」
「戻りたくありません」
うわちゃぁ、やっぱりかと思うが、それはそれで仕方のない事だ。
旅行とは日常から抜け出し羽を伸ばす行為で、そこから戻るということは現実に帰るという少々残念な響きの中へ戻るということだ。
「いや、そうは言っても一泊の予定で出てきたから、これ以上長引くと皆が心配してヘタすると捜索隊が結成されるぞ。それにまた来る事になってるからいいじゃないか」
「承知しております。頭では理解している・・つもりなのです、が・・」
そうしてへせべは哀愁をおびた顔をしつつ、多少の身振り手振りを加えて話し出した。
「今この時、ここにおられる主は私だけの主ですが
戻ってしまえば刀40数振りの刀の主となり、昨夜私の名を鳴きながら呼んだその御声は別の刀の名を呼び、弱弱しくしがみ付いてこられたその御手は別の刀の頭を撫でてしまう。
つまり、昨夜の主のあられもないお声と艶かしいお姿、縋りついてくる手の感触と (ピー)の(ピー)と(ピー)て(以下同文の卑猥表現)を思い出すと・・これ以上・・足を進める事ができないのです」
・・・こ、こんのムッツリドスケベ野郎。
道の真ん中で何を言い出すのかと思えば、ホントに何言い出しやがる。
大体あれだけやっといてまだ満足してないのか。しかもえっらい具体的に覚えてやがるし、わし最後の方ほどんど記憶ないってのにホントになんてスケベ根性だ。大体今だってなんとか歩けてるが、これ絶対3日後くらいにツケが来るやつだ。ケツだけに。
とか言う苦情や親父ギャグはそのスケベ根性のガソリンになる可能性が高いので黙っておくとして、ともかく千十郎は引きつる顔をどうにか戻し、離れた分をもたもた歩いてへせべの前に立つ。
「・・なぁへせべよ」
下を向いていたしょげた目がこちらを向く。
ここでこちらすら見ないのなら説得は難しいだろうが
こちらを見て話を聞く姿勢があるのならまだいい方だと前向きに考えつつ。
「なにも世界はわしだけで構成されてるわけじゃないんだ。
進もうが戻ろうが止まろうが勝手に明日はやってきて
その中に今よりもいい事や新しい事や楽しい事が紛れてたりする」
「・・・・」
「昨晩のこと、忘れないだろ」
「・・はい」
「忘れろって言っても忘れないだろ」
「はい」
「だったらそれでいいじゃないか。
せっかく帰る場所があるんだ。いい思い出持って帰って
またいい思い出作るか探すかすればいいんだ。そうしょげるな。運が逃げるぞ」
「・・・」
それでもまだ納得いかない様子のへせべに千十郎は肩をすくめた。
それは機嫌よく散歩に出たはいいが、帰る時になって途端にゴネだした飼い犬のリードを握る飼い主の気分だ。
「だいたい帰ってもほぼ毎日顔付き合わせる事になるってのに
それでもまだ不満なのか?」
するとへせべは主の手を一つ、大事そうに両手でとって。
「相手を大切に思い、一緒にいたいと望み
相手の心と身体に深く関わりを持ちたいと願う事を恋愛というのです」
などと静かに言ってくるものだから千十郎は『うぐ』と普通にひるんだ。
「・・主?」
「・・えぁ、・・・いや、まぁ・・面と向かって
そんな正論で叩かれるとは思わなかったから」
などと視線を泳がせる主に
へせべはとっていた手を離しながら寂しそうな声を出す。
「・・あれほど思い焦がれ、求めに求め必死に刻み付けたというのに
それでも主の御心は繋ぎ止めておけないのですね・・」
「そりゃまぁ・・繋げるような心根してないからなぁ・・」
そのようなご謙遜を、と言いたかったがへせべは言えなかった。
確かに主の心根というのは妙にいい加減で掴みどころがなく
それはどこか別の場所、たとえば本丸の外、雲の上か地中深くか海の底か
もしくはまったく見えない別のどこかにあるようで
到底自分だけでは掴み取れるものではない気がしてくる。
だからだろうか。自分がそれを追い求めたくなるのは。
見えるようで見えない、掴んでいるようでまったくかすりもしていない
近いようで実は恐ろしく遠いような何かを追い求めているのだろうか。
などと思っていると。
「ところでへせべよ」
「・・はい」
「なんだかさっきから聞いてると、昨晩のあれそれは
今回これっきりみたいな言い方だな」
「えっ??」
心底驚いたような顔をするへせべに主は頭をがりがりかきながら。
「まぁ、そりゃあ・・キツいにはキツかったが、もう金輪際ごめんだとは言ってないし、そうしょっちゅうのたびたびは困るが・・しつこくないなら・・別にもう嫌だとは・・言わないつもりだったんだが・・」
その途端、今まであった寂しさや重苦しさや疑問のたぐいが
全部まとめて空の彼方へ吹き飛ばされる。
「・・では、機会があれば、再びお許し・・頂けるのですか?」
すると主。視線をうろうろさせ首をひねったりしてから
ようやく聞こえるような小声で。
「・・前に言っただろ。ダメだったらとっくに殴って逃げてる」
あぁ、主だ。紛うことなき主だ。
最後の一線を越えた後も主は変わらない。
そこが最後の高みで終着点だと思っていたが、主はまだその先にいて、笑って手を広げていてくれている。
へせべの中で頂点まで登りつめ、後は下りるか足元から崩れ去るだけだったものがえらい勢いで補修され再構成されていき、こんな事があっていいのだろうかと嬉し泣きしたくてたまらなくなった。
まぁその半分くらいは彼の主好き過ぎるゆえの願望と妄想なのだが
彼はそうとわかるほどの勢いで表情の明るくし、なぜか突然主を軽々と抱え上げたかと思うと、近くにあった木の下の草むらへ上手に転がり込んだ。
「こらこらこら!お前いきなり何やって・・!」
「今しばらく、このままで・・」
さすがに抗議して振りほどこうとしたが
それ以上何かしてくる様子もないし、声もやたら穏やかなので
主はちょっと躊躇った後、もがくのをやめた。
「しばらくって言ったって・・いつまでこのままだ?」
「時間に余裕を持って行動していますし、まだお辛そうな主の回復力次第ということで」
「・・わかってるならその時にもっと加減してくれてれば・・って、こら!」
その辛い部分を撫でてこようとする不届きな手をぺんとはたき
ついでに脇腹を強めにつねっておく。
当然だがこんな所でまた1ラウンド始められたらたまったもんじゃない。
「あまり遅れると、まんばや他の連中に心配かけるんだが・・」
「最悪抱えて走ります。言い訳は足をくじいた
もしくは途中で疲れたとでも説明すれば良いかと」
「・・それでいいか。じゃあ少し、休む。・・先に言っとくが、襲うなよ」
「承知しました。お任せを」
そう言うと主は『ん』という短い返しをしてそのまますぅと寝入ってしまう。
やはり昨晩のあれそれな疲れは一日そこらでは回復しないらしい。
まぁ大半はやりすぎたへせべの責任でもあるのだが
その責任元のへせべは無防備に目を閉じた主を抱えたまま、昨晩以来の恍惚の表情になった。
空は青く、腕の中はあたたかく、心の中は満たされている。
あぁ至福だ。幸福。心地よく素敵で麗しい至高のひととき。
昨晩とはまた別の最高のひととき。
しかも主はまだその機会を与えてくださると言うのだから
実にこの世は希望と光明に満ちている。主がいる事前提だが。
などと思いつつ一人幸せを噛みしめていたが
10数分後、やっぱり欲が出たのか我慢しきれなくなったのか
外の草むらでおっぱじめようとしたへせべは尻の薄い所を思いっきりつねられ
転んで足首ひねったという設定でおんぶして全力で走れの刑に処された。
つねられた尻はしつこく痛く
長距離を走ったため2日ほど筋肉痛でふらつくハメになったが
へせべの心は嵐の後の快晴のように澄んで晴れ渡っていていたそうだ。
「・・と、綺麗にまとめても、次にやれる算段を練って毎日提案してくる時点で
もう顔のいい紳士スケベ野郎でしかないんだがなぁ・・」
「何とでも仰ってくださってかまいません。
都合と条件がそろう限り、圧して押しておさせていただきます、主」
「・・へいへいそうですかい。幸せそうでなによりだ」
「つきましては主、今晩にでも夜這いに伺わせていただいても、あいた。
あの、主、文鎮は紙の重しとして使用するものであって、突いてねじってくる物ではいたたた・・・」 」
戻る