その夜、千十郎は自室で夜寝る前の書き物をしていた。
徹夜仕事というわけではないが、書き物は夜の静かな時にやる方がはかどるのだ。
といっても昼間にあれこれ仕事と雑用をあさり
男士達とわぁわぁやっているうちに時間が足りなくなるからというのもあるが。
「主、夜分すみません。よろしいでしょうか」
とそんな時、障子の向こうから声がかかる。へしきり長谷部ことへせべだ。
「へせべか?どうした」
「急ぎではないのですが、お時間よろしいでしょうか」
「おう、かまわんぞ」
急ぎの仕事でもないしまだ眠くもないので
あっさり招き入れたこの行為がそもそもの間違いだった。
へせべは入ってきた障子をきっちり閉めると
いつも通りに正しく正座し、正しく頭を下げてくる。
「どうした。お前が夜中になんて珍しいな」
「はい。以前申し受けた事に関連して、1つお許し頂きたい事がございます」
「なんだますます珍しい。何だ」
「抱擁の許可をいただけませんか」
・・・ん?
「抱擁の許可を頂きたく」
大事な事なのか2回言った。
「・・い・いや、聞いてなかったわけじゃないん・だが?・・んん?
え〜〜〜・・・うん。よし、理解が追いつかん。少し待て」
「主命とあらば」
いつもの返事に気を取り直し、麻痺していた頭をフル回転させて考える。
ぱっと見た感じへせべに変わったところはない。
内番はまかせていないのでいつもの格好にいつもの刀だ。
しかし、何か違う。顔が少し楽しげというか怪しげというか
夜だからそう見えただけかもしれないが
とにかくいつもと感じが違うのはなんとなくわかった。
どういった風の吹き回し、思惑、疲れでもしてるのか
まぁ考える所は色々あるけれど、今のところ断る理由もほとんどないので。
「・・まぁ、かまわんが」
「ありがたき幸せ。では、しばしお待ちを」
言うなりへせべはいつもの格好の硬そうな部分を
ガチャガチャと手際よくはずしていく。
妙なところに気がつくなぁ。言い出す事も妙だけど。
などとぼんやり思いつつそれを眺めていると、終わったらしいへせべが両手を広げ。
「では、失礼します」
と真正面から迫ってきた。
「え、そんな堂々とか?」
「許可を頂きましたので」
じゃあ無許可だったらどうする気だったんだと思うが
黙ってしまったのを了承ととったのか、伸ばされた腕が身体をぐるりと囲み
自分と違うにおいのする身体にぎゅうと密着させられた。
そこで千十郎はおや、と思う。
力任せかと思いきや、意外と力加減がやさしめだ。
さすがに事前に聞いてきただけあって無茶はしないようだが・・
しかし何だこの絵図は。
夜中の薄暗い部屋でおっさん抱きしめる色男っておまえ。
と思っても目の前の男はまるで気にする様子もなく
抱き心地と感触を楽しむように時々腕の位置や力加減を変えている。
「・・・なぁへせべ」
「はい」
「楽しいか?」
「はい。大変至福です」
「・・そうか」
顔は見えないが声だけでも十分嬉しそうなその様子に、それ以上言えなくなる。
まぁ愛情表現ってのは人それぞれだし、至福だっていうなら邪魔しちゃ悪い。
あるかどうかわからんが、刀の鞘の気持ちってのはこんななのかなぁ。いや逆か。
などとのんきに考えていると、ふいにぶらんとしていた手をとられ
指の間に別の指がするりと入り込んでくる。
ん?
そのまま後ろへ軽く押される。
んん?
文机を背にしていなかったので床にころりと仰向けになる。
んんん??
「主」
あれ?これってもしかして、と思いつつ見上げると
暗い中で見るその目はやけに熱っぽく、普通ではない事は明白。
そしてへせべは、短く言った。
「許可を」
何の。
と、この状況で聞くまでもないだろうし、たぶんそれであっている。
状況的に向こうからすればここは承認がとれると思ってるんだろう。
なので。
「くおら」
千十郎は膝と腹筋を器用に使い、それをそいやと蹴りのけた。
「よし、まず落ち着けへせべ。酒でもやったか。腹でも下したか。
それともそれ以外のヤバイ案件か。
ともかく色々かっ飛ばし過ぎだ。落ち着いてそこに座れ。主命だ」
そこまで言われてまだ向かってくるようならもう制御不能だが
へせべは慌てず騒がず起き上がると、きちんと正座してちゃんとした返答をしてくる。
「気分は高揚していますが思考は正常です。飲酒はしておりません。
夕食は主と同じ物しか食しておりませんし、毒も盛られておりません。
それをふまえて続きの方を所望したく・・」
「するか!!」
やたらスムーズに押し倒してきたため反応が遅れたが
さすがにそれは許可できない。
千十郎は何かあったら殴れるように距離をとり
手をそっと喧嘩用に握りこみながら聞いてみた。
「・・一応、理由を聞かせろ」
「主は以前、私に自分を愛せとおっしゃいました」
「あぁ、言ったな」
「その言葉は私の胸の奥の内をえぐり取り、鈍い痛みとなり
主のおそばにいることでしかそれは癒せなくなってしまいました」
「うん」
「しかしこの痛み、時がたつにつれ別の要求に成り代わり
解決法と原因を考えた末、ある結論にたどり着いたのです」
「・・うん?」
「私に愛を教えた主を愛せ。深く強く、思いつく限りの手法を駆使し感じるがままに・・」
「?ちょ、ちょちょっと待て!」
あれ?おかしいな?わしあの時自分を大事にしろって意味で言ったんだけど
それがなんで勝手に化学変化起こしてそんな話になってるの?
へせべって確か賢いはずなんだけど、それが一体どこをどう転がったら
こんな綺麗な下心を暴露する事態になってるんだくそう。
などと千十郎は内心で舌打ちつつ考えた。
こういった事例は知識としては知っている。
だがそれが実際自分に降りかかってきたとなると話は別で
出合った当初から感じていた違和感がこんな所で出てくるとは驚きだが
数分前まで普通に部下だと思ってたやつから『襲わせてください』って言われて
ハイどうぞなんて答えられるやついるのか?いたらスゲェよ尊敬はしないけど。
などとしこたま考えている間もへせべは変わらない忠犬状態のまま
じっとこちらの出方を待っていて、その目には一変たりとも迷いはなく
真っ直ぐにこちらを見返してくる。
・・・うん。わからん。恋は盲目、思案の外。十人十色。千差万別。
考えてもわかるかこんなもん。
「ちなみにだがへせべ。今わしをどうしたいと思ってる?」
「口にするにもはばかられる内容となりますが、お聞きになりますか?」
「いやあの、できれば軽めにで頼む」
「そうですね。まず・・」
そこから先は多少の知識のある千十郎ですらひるむほどの内容で
おいコラ軽くって言ったのに(ピー)のまんまだろうが近頃の若いもん怖いよ
うわちょっとまって具体的すぎるジェスチャーまで入れないで
というような話を聞かされ、無意識に後ずさりながら話を聞き終えた千十郎は
言葉にしていくらか満足したようなへせべに重い口を開く。
「・・・・で、その内容を実行してみたくて今に至った、と」
「・・申し訳ありません。先日より主のご機嫌が上向き気味でしたので
あわよくば許可をいただけるかと思ったのですが・・」
「うん、確かにこないだから皆の強化効率と小判の入りが多めなんで
少し気分はよかったがな、少しは」
しかしなんでそれだけで年齢制限もロマンスも溶解しそうな
ドロっドロの濡れ場ができると思ったんだお前は大丈夫か。
あ、でもあれか。人間こういった事におぼれると
前向きな方向にしか想像力が働かないって聞いたことある。
つうかこいつ、今の今までそんなそぶりもなく
真面目でさわやかにわしの近くにいたってのに
・・結構なムッツリだったんだなこのヤロウ。
という認識を新たにここで問題です。
このムッツリへせべ。このまま追い返すべきだろうか。
倫理的にはそれで正解だ。もしこれが立場的に逆なら今で言うパワハラとしてある
いやあっちゃだめだがあったかも知れない。
が、主に襲いかかる部下ってなんだ。斜め上すぎのイマドキ下克上腐か。
まぁそこは置いといて、この件をのぞけばへせべはいい奴だ。
さっきの押し倒しの件は男としてのあれそれとして置いとくとしても
一応許可も取ってきたし無理強いもしてないし
そして今現在だって正座で主の話をしっかり聞いているし
ダメと言ったらおとなしく引き下がるだろう。
しかしこの千十郎。性格と性質の関係上、部下にNOと言いにくい。
・・・ぐ、ぐぬぅむ、まさかこんな事で胸を貸す事になるとはなぁ。
と思いつつ千十郎はしばし沈黙した後、ぼそりと口を開いた。
「・・・少しなら、かまわんぞ」
「・・え?」
「お前のさっき言ったような事全部は絶対無理だが
わしの許す範囲なら、まぁ、ちょっとは、許しても・・いい、かと思う」
それはOKではなくNOでもないやたら曖昧な答えなのだが
へせべはそれでも満足のいく返事だったらしく、暗い中でぱぁと表情が明るくなり
逆に千十郎の男心がちくりと痛んだ。
「あ〜・・だがいくつか条件がある。まず当然だが無理強いは不可。
やめろと言ったらやめろ。いきつくとこまで全部もやらんぞ。
服もできればこのまま。跡も残すなよ・・・って何の説明してんだわしは」
などと一人でゲンナリする千十郎と対照的に
へせべは凄く嬉しそうにその注意点を聞いている。
しかし、ヘンな所があるとは思ってたが、こっちの、しかもオッサンOKとはなぁ。
まぁ他人の好みなんて人それぞれだし、元いた所もオッサンだらけだったみたいだし
そもそもこれの元の主もだいぶ破天荒でそっちの嗜好もあったとかなんとかで
・・・アレ?ちょっと待てよ?
わし、もしかしてマズイ事許可してない?
「・・なぁへせべ、ものは相談なわぁあ!?」
ものは相談なんだけど、やっぱりなしとか無理か?と聞く間もなく
あっという間に距離をつめられて抱きこまれた。
こっちも向こうもかったい身体で抱き心地最悪なのに何が嬉しいのか
へせべは嬉しそうにすりすりすりすりあちこちさすったり撫でたりして
いろんな感触を楽しんでいる。
まぁ、このくらいなら犬猫とじゃれてるのと変わらないかなと思いつつ少しほっとしていると
ふいにへせべは身を離し、千十郎のそう厚くはない胸板に顔をうずめてきた。
うぐ・・いや、まだ大丈夫。
へせべは無言のまま心臓の真上あたりで顔を擦り付けてくる
。
ぐぐ・・・いや、でも、デカい犬のする事だと思えば。しかし・・。
やっぱりやめときゃよかったかな、顔が熱くなってきたし
いやでもなぁとウロウロ後悔し始める千十郎をよそに
へせべはさらに前に垂らしていた黒髪を少しすくい取り
さらさらと手触りを楽しむようにそれを撫でて唇をよせてくる。
髪に神経はないはずなのだがその撫で方や仕草が妙に艶かしくて
千十郎は思わずひるんで目をそらす。
それなりに制限したので過激な事はしてこないが
今思えばそれが災いして恥ずかしい目にあってる気がしてきたし
もっとがっついて来たなら遠慮なく蹴り飛ばす事ができただろうが
こうじわじわ攻めてこられると逆に反撃のタイミングがわかりづらい。
それに何より、千十郎はこういった事例を知識としては知っていたが
知ってるのと実際では大違い、つまり実体験がないのだ。
甲斐性なしと言うなかれ。彼にもその他同じ境遇の人間にも
それぞれの事情というものがあるのだ。
というか元々刀なのにこんな事に手馴れてる方が怖いしおかしいだろ。
などと思いつつせめて変な声を出すのを我慢していると
へせべは何を思ったのか急に姿勢を正し
千十郎の顔をきゅっと両手で固定してじっと見てきた。
「・・な、何だ」
「主、先ほどのお顔をもう一度」
「は?」
「先程されていたお顔が見たいのです。もっと戸惑い、恥らってください」
「いやいやいや無理むりムリ!そんなもん要求されておいそれとできるか!」
「そうですか、では・・」
その途端、すうっとへせべの笑みに鋭さが増したように感じたのは
千十郎の気のせい・・ではなかった。
「させてみせましょう」
言うなりへせべは手早く手袋をはずしてそこらに放り捨てると
思わず逃げ出そうとしていた手を素早く捕獲し、指を直接強引にからめてきて
千十郎はひぃと息をのんで身動きがとれなくなった。
その手は少し冷たくこちらの体温をじわじわと持っていき
それと同時に角度や強弱をつけて手の平や指の間を意味ありげに撫でてくる。
後ずさろうにも絶妙な力加減で足をまたがれ
それ以上逃げたら下が脱げて最低な状態になるので動けないし
姿勢が中途半端なのでとっさに逃げるには不利な体勢になった。
どうしようかといろんな意味で迷っていると、へせべはそれに気付いたのか
少し名残惜しそうに手を離し、硬直している身体をすいと軽々抱き上げ
壁へ背中を預けるように移動させた。
体格はそう変わらないはずなのに本当に軽々だ。
30数人いる男士中レベルが2位なためか(一位はまんば)
それともただ単なるスケベ心、もとい下心のなせる技か。いや一緒か。
だがそれは姿勢は楽になったけど逃げ場がばなくなったのも同然で
へせべと壁に挟まれた千十郎はテンパりだす。
あれこれ、いわゆる壁ドンじゃないのか?世の女性はこんなのがいいのか?いやよくないだろこれ捕獲されてるぞどう考えたって怖い以外の何者でもないだろひぇええ近い近いやめて綺麗な笑顔でせまってこないで!
などと声も出せずに縮み上がる千十郎をへせべは実に幸せそうに眺め
何か言いたげな形をした唇に指をあててするりとなぞる。
「んむ・・?」
「主」
「?」
「許可はいただけませんか」
千十郎は数秒考えた後、へせべの指を振り切るようにぶんぶん首を横に振る。
事前に許可をとってくれるのは大変ありがたいが内容が内容過ぎだ。
しかも却下されたというのに当のへせべはどこか楽しげで
ここへきて彼の属性にMアンドSの疑惑が上乗せされる。
「主はじらすのがお得意のようで」
「止めなかったら内臓引きずり出されて骨までしゃぶり食われそうなんだよ!」
「・・・・」
「やめて無言で微笑まないで否定して!」
しかしへせべはかまわず寝巻きの上からするするとあちこちを撫でてくる。
それはくすぐったいようなむずかゆいような気持ちいいようなとにかく妙な感じで
千十郎はもうただ睨むことしかできない。
「・・お、お前〜・・!」
「お嫌ですか?」
「聞くか!?それを?!」
「念のためということで。しかしどちらにせよ
知りたいことがまだ多くありますので、今しばらくお付き合いを」
「??」
一体何の話を、と思っているとへせべの手が今まで触れなった微妙なところ
腰の裏や内太もも、あと下腹部ギリギリを確かめるようにゆっくり触れてきて
千十郎はうめきながらどうにか逃げようとするが
その時はたと、その行為と今さっきの言葉である仮説に思い当たった。
「お前、まさか・・わしの弱いところさがして・・!」
へせべは答えず笑みを深くすると
片足をすくってゆっくりした動作でそれを引き。
「今は許可されずとも、いずれお許しいただいた時のための予習です」
「うお!?おい、こら・・!」
「つまりはその時を万全で迎えたいがために
今知り得る事をできるだけ知っておきたい、というのは・・我侭でしょうか」
いやいやいやいやちょっと待て!何さりげなく完璧なマウントとってんだ!
あと予習して万全ってことは本番でコテンパンにするって事だよな!?
あぁそのつもりだよな!獲物狙うヘビみたいな目ぇしてやがるし!
「主、集中して下さい」
「いや完全な初心者にっ・・無茶言うなよ!?
大体、殴って逃げ出さないだ、け、ほめてほしいくらいだ!」
その途端、へせべの動きが一時停止のようにぴたりと止まる。
「・・・主、今なんと?」
「あ、いや殴るのはよくないよな、あと残るし。
でも見えない所に蹴り一発くらいなら・・」
「いえ、そうではなく・・初心者とおっしゃいましたか?」
あ。しまった大失言と思っても後の祭りだ。
じっと続きを促してくる視線に耐えきれず、千十郎はしぶしぶ話し出す。
「え〜・・・まぁ・・わしにも色々ありまして・・こういった事は知っていても
実際の経験としてはまるっきり完全に未経験でして・・」
それは千十郎にしてみれば逃げの口実のつもりだったが
へせべにとっては焚き木へのガソリンだ。
「だからその、お前の期待に応えられるにも限界と言うものがあってったぁ!?」
などと言ってる最中に肩を掴まれ、最初の時と同じく真正面から抱きすくめられる。
だが最初の時と違うのはその圧倒的な温度差と力加減だ。
熱!なんだコイツ、いつの間にこんな温度に・・
と思うのと同時に抱きすくめてくる腕の力が恐ろしいほど強力になり
耳元に鼻先をつっこまれた。
そしてそこからもれたのは、フゥゥといういやに荒い獣みたいな吐息。
そしてあれ?思うまもなく拘束していた腕が一本
衣擦れの音と共に腰の上をすべり、尻を思いっきり掴んできた。
その時、千十郎の頭にぽっと1つの言葉が思い浮かぶ。
あ、これ、アカンやつや。
「う、ま、ままままてまて!!へせべ!待て!へせ長谷部へしべ待ってー!!」
恥も外聞もなくわめいて暴れてじたばたすると、願いが届いたのか
さらに帯を掴んで引き抜こうとしていたへせべの動きがぴたと止まった。
ちゃんと止まったという事はまだ聞くだけの理性が残っていたのか
主命は絶対という彼の信念のなせる業なのか。
まぁともかく止まってくれたのを幸いに千十郎はありったけの力を使って
へせべと自分との間に腕をねじ込んで隙間を作る。
今となっては最初うかつに許可してしまった自分を張り倒したくなるが
今はともかくそれどころではない。
考えろ。ともかく考えろ。何かこの窮地を脱する打開策もしくは言い訳を。
聞いてくれるかどうか正直自信ないが、ともかく何か言わないとなし崩し的に食われる。
「・・・・え、えと、その・・そう、急に色々するな。受け止め・・きれん」
だが彼の口から出たのはそれだけだ。
言ってしまってからもうちょい言い方もあっただろうと後悔するが
彼の知識内にこんな場合の対処法は物理排除以外ほとんどない。
だがへせべはそんな主をしばらく真顔で眺めた後、ゆっくりと身を離して。
「・・では明日に差し障らぬよう、本日はここまでといたしましょう」
などと落ち着いた風に言い放ち、逆に千十郎は目を丸くする。
「へ?本日は・・って・・」
「私もまさかここまでお許しいただけるとは思いもよらず
少々事を急ぎすぎたかもしれません。
ですので続きは主のお心が整い、お許しをいただいた時にという事で」
いやいやちょっとまて。言い方は丁寧で謙虚だけどおかしいだろ。
そこまでするってわかってたら許可してなかったしさっきお前暴走しかかってなかったか?
わかっててやってんのかお前わ、いや絶対わかってるだろ。いや、確かに言いつけは守ってたし最後までしなかったけどまだやる気かこの拷問みたいなやつ。わしなんにも吐く事ないんだけど。いやあるかもしれないけどこれで吐くとかあんまりだろこれ。
などと頭の上でヒヨコの回るような気分で混乱する中
へせべは外していた防具を装備しなおし、部屋のすみに用意してあった布団をひき
くしゃくしゃになった主の寝巻きをきちんと整えると
流れるような動作でそれを抱き上げ布団にイン。
「では主、おやすみなさいませ。
次回お許しの際はもう少し先まで進められることを切望いたします」
おいおいおいと思う千十郎をよそに
へせべはとどめに横から覆いかぶさるような格好で。
「・・ちなみに俺はあまり気の長い方ではないから、早めに慣れてくれ。
正式な了解を得た直後に抱きつぶしたくはないからな」
などと敬語抜きでささやいて身を起こすと
何事もなかったかのように一礼して部屋を出て、廊下を静かに歩いて去っていった。
・・・・・・・・・・・・・・。
結局その夜、千十郎は目をかっ開いたまま2時間ほど硬直し
その後のほとんどの時間を疲労で眠っていたのかそうでないのか
覚えていなかったらしい。
そして次の朝。
眠っていたのかそうでないのか、よくわからない状態からむくりと起き上がり
千十郎はほとんど無の境地でいつもの着物に着替えようとした
が、その時ふと明らかに自分のものでない白い手袋が落ちているのが目に入った。
わざとなのか偶然なのか不明だが
ともかくそれのおかげで昨晩の事が夢でも幻でもないことが確定する。
千十郎はそれをしばらく凝視した後、もそくさと身支度を整え
深呼吸となぜか運動前の準備運動をし、落ちていた手袋をかっさらうように拾い上げて
どすどすと足音高らかに早足で歩き出した。
「主、おはようございま・」
びし
自室を出て廊下を2つも曲がらないうちに
いつもとまったく変わらない様子で挨拶してきたへせべの頭に
無言のチョップが落っこちる。
そして返す手で掴んでいた手袋を彼の上着の隙間にねじ込み
そのまま横を風のように通り過ぎていくものだから
たまたま通りがかった小夜(小夜左文字)が奇襲の練習でも始まったのかと思ったとか。
だがさすがにそのまま逃げ去れるほどへせべは甘くない。
走らないまでもそこそこな速度で歩いていた主の横にあっという間に追いついた。
「うげお前!なんでついてくるんだよ!」
「ご挨拶の返しを頂いておりませんので」
「あぁはいおはようございますグッモーニング(英語)ブェノスディアス(スペイン語)
ボナムノクテム(ラテン語)カリメラサス(ギリシャ語)!」
「後半部分はわかりかねますが、たくさんのお返しを頂きありがたき幸せ。
ついては主、今晩お伺いしてもよろしいでしょうか」
「てめぇ昨日の今日だぞふざけんな!?」
「鉄は熱いうちに打てとも申しますので」
「わしの純情を連日無遠慮にひったたくな!却下だ!」
「では明後日はいかがでしょう」
「せめて一週間は頭冷やさせろ!あとお前しばらく遠征行って来い!
メンツは短刀と太刀で組んどくからな!」
「では、その間の補充ということで」
は?と思う間に手を掴まれ、勢いよく歩いていた速度をそのままに
ダンスの途中のような格好でくるりと抱き込まれる。
だからなんでコイツこんなに手馴れてるの?!
と思うがその前にここは何の変哲もない庭沿いの廊下。
いつ誰が来るかもわからないし、何をされても非常に困る。
「おいコラ・・!」
「昨日の今日で恐縮なのですが、一度感触を覚えてしまうと
不思議と手放せなくなってしまうもので」
あぁそれちょっとわかる。わかるけどそれとこれとは話が別!
ってうわ!どこに手突っ込んで・・!
「だーからこう、かわすんじゃなくて、こう!受けるついでにぶっ飛ばす。わかるか?」
「・・う、う〜ん、ごめん。わからないや」
「だからこう、ガッとやってバーンと返してドガーんとだな・・」
手際のよさに負けてもたもたしている間に廊下の角向こうから聞こえてきたのは
おそらく手合せ帰りのコタ(五虎退)と愛太(愛染国俊)の声だろう。
その時、千十郎の脳裏に閃光が走り、ニュー●イプばりの行動を起こした。
「愛太!!」
手をひねってへせべの腕を掴み、足払いをかけて前方に投げ
「ふっとばせ!!」
「どっせー!!」
ドッ ダバーン!
条件反射で出た愛太の飛び蹴りをもろにうけたへせべは
そのまま庭先にあった池へ見事に池ポチャした。
「ってあれ?今のへせべの兄ちゃんじゃなかったか?」
「うん気のせいだ気のせい。とにかく偉いぞ愛太。
ここはわしが片付けとくからお前達先に行ってろ。
あとで水羊羹作ってやるからな」
「よっしゃー!何かわからないけどもうけたぜ!行こうぜコタ!」
「え、あ・・うん」
素直に喜ぶ愛太と何だかよくわからないけど空気を読んだコタが去っていく。
そして少しして、ざんぶと水を滴らせながらへせべが池から上がってきた。
さすがにその状態で何かする気は起きないらしく
びしゃびしゃのまま少し距離をとって膝をついてくる。
「・・今のは不可抗力だからな」
「・・承知しました」
「あと昼間っから迫ってくるのはホンッットに勘弁してくれ。
皆もいるしわしも仕事があるから相手しきれん」
「では夜にまとめて精算するという形でかまいませんか?」
「だーかーら!待て!おあずけ!言いたいことはわかったから
少しはわしの気持ちも考えろ!」
「それは主命でしょうか」
千十郎は数秒固まった後。
「ちょっと違うが・・できれば考えてくれ」
などと困ったように言うものだから
この態度が鎮火しかかっていたへせべのよからぬ火を再発火させた。
「できる事ならこのまま風呂場へ連れ去り
その場でできるありとあらゆる情事を実行してみたいのですが・・」
「却下だアホ!!とにかく風呂入って乾かしてこい!風邪ひくなよ!」
怒りながらも一応の気遣いを残してどかどか歩き去る主の後姿を
へせべはそれこそ見えなくなるまで、さらに足音が聞こえなくなるまでじっと見送り
見えなくなってから派手なくしゃみをした。
と、ここで話は終わりそうなものだが
実はこの話にはもうちょっとだけ続きがある。
「あの・・あるじさま、間違いだったらごめんなさいですけど・・
もしかして長谷部さんにいじめられたり・・してませんか?」
ぶぼう
この前のお礼のつもりで作った水羊羹を
コタと愛太にこっそり食べさせていた矢先の発言に
飲みかかっていたお茶が半分湯飲みに逆戻りする。
「え?!マジか!?そんなことあんのか?!」
「あ、あの、そんな感じがしただけで、間違いだったらいいんですけど・・」
怖い。子供ってこわい。あの一瞬でそこまで見てるか。
しかも結構的確な見解してるし。
などと思いつつ吹き散らしたお茶を拭き、千十郎はなるべく平静を装い。
「ち、違うと言えばそうとも言わないし、そうだと思えばそうでもないあるかな」
などとガタガタな事を冷静に言ってから咳払いをし、少し黙った後言い直した。
「・・え〜、その件に関しては今攻防中でな。
少しばかりもめているのは確かだが、自分でケリをつけるつもりだから心配するな」
「だ、大丈夫・・なんですか?」
「なんだったら俺も加勢する!
へせべの兄ちゃんは怖いけど、いじめるのはよくない!」
「いやいや、気持ちは嬉しいがお前達には敵との戦闘面で世話になってるんだ。
だったら内輪のゴタゴタはせめてわしが何とかせんとな」
嘘はついていない。まぁ内輪もめっちゃ内輪もめだし
これは自分で解決しないといけない問題だ。
というかこんな話をこんな子供に相談できるわけがない。
「・・いいんですか?無理とかしてませんか?」
「いいっていいって。コタは気は弱いのに優しいなぁ」
「気が弱いから弱ってそうなところに気がつくんだよ。
えっと、なんつったっけ敏感ハダってやつか?」
「ハダはいらんが・・確かにそうだな。うん、ありがとな二人とも。勇気出てきた」
手をのばして二人の頭を撫でるとコタは恥ずかしそうにし、愛太は嬉しそうに笑う。
そういえば短刀ってのは敵を倒すというよりも
護身に使う方だったなと思いつつ、千十郎は二人の頭をぐりぐりなでた。
ちなみに後日、遠征からへせべが戻ってくると
主のそばには高確率でコタか愛太、もしくは両方がいて
たとえ両方がいない場合でもしばらくするとどちらかが走ってきて主にしがみつくので
へせべは露骨にいやな顔をし、主が苦笑いする光景が続いたそうだ。
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