プルルルプルルルル
純矢の携帯が鳴ったのは、ちょうど学校が終わり
門の前で勇や千晶達とわかれてすぐ。
その日の朝は晴れてはいたが、ちょうど下校時刻になって
大降りではなかったもののしとしとと静かな雨がふりだした。
純矢はいつもカバンに折りたたみの傘を1つ入れていたのだが
それはさっき自分より徒歩の時間が多い勇に貸してしまって
雨は少しづつだがポツポツと制服に模様を作っている。
千晶は迎えの車が来ていて乗りこむ際に
純矢のお人好しと勇のいい加減さを冷ややかに指摘して帰っていったが
それもまた彼女なりの気遣いなのだろう。
雨は大した量ではない。
駅まで少し速めに歩けば大丈夫だろうと
少し早足で歩いていたところで携帯が鳴った。
純矢の携帯の着信音はいきなり鳴るのがはずかしいのでどれもシンプルだ。
カバンから取り出して画面を見ると、自宅からと表示されている。
「・・はいもしもし?」
『高槻、私だ』
出たのはフトミミだった。
「あぁ、フトミミさん、何ですか?」
『いや、君は今日傘を持っていかなかったのか?』
「えぇ、でもそんなに降ってるわけじゃないから大丈夫ですよ」
傘のことで電話をくれたのなら
仲魔の誰かが心配して迎えに来たがっているのかと思ったが・・
『いやしかし・・さっき魔人の彼がそれに気付いて
行き方はわかると言って地図を片手に出て行ってしまったんだ』
「えぇーーっ!!?」
思わず出してしまった大声に周囲の人間が一瞬びっくりするが
純矢としてはそれどころではない。
フトミミの言う魔人の彼というのはバージルの事だ。
確かに彼は今朝学校へ出かける時に見送ってくれたので
傘を持っていないことを知ってはいるが・・・
『あまりに自信満々だったので止められなかったが少し心配になってね。
一応君にも連絡しようと思ったんだ』
「ダメですよ!あの人自信満々だけどやることがボロボロなんです!」
『え?』
「だってバージルさん、漢字読めるようになったけど
電車の乗り方、まだ教えてないんですよ!?」
純矢は電車通学だ。
今までバージルにはその事は一度も伝えておらず
それどころか電車なる存在すら彼は知らないだろう。
「とにかく俺一端家に戻ります!
フレスとマカミを探しておいて下さい!」
『わかった。気をつけて』
純矢は急いで通話を切ってカバンに携帯を押し込み
どんよりとした空がこれ以上泣かない事を祈りつつ走り出した。
そのころ問題のバージルは、パラパラと静かにふる雨の中
家で一番大きな傘をさし、純矢のいつも使っていた傘と地図を持ち
背中には袋入りの閻魔刀を下げて車の行き交う大通りを歩いていた。
時々立ち止まり、読めるようになった地名標識と
地図の地名を照らし合わせ、鉛筆でチェックを入れながら歩く。
雨の日はあまり好きではなかった。
しかしぬれて帰ってくる純矢の事を思うと好き嫌いは言っていられない。
バージルはとにかく地図を地道にチェックしながらまず1時間ほど歩いた。
しかし○で囲んだ純矢の学校まで三分の一も進んでいない。
遠いなと思いつつさらに1時間。
ようやく地図の距離で半分に差し掛かろうとしている。
学校とは随分と遠いところにあるのだなと思いつつ、さらに1時間。
もちろん途中に駅やバス停などはあったが
自分の足しか信用していないバージルは見向きもしなかった。
しかし行けども行けども学校という印にたどり着きそうな気配がない。
それどころか微妙に遠ざかっているような気がする。
そこへ来てバージルはようやく何かおかしいことに気がついた。
家を出てからすでに三時間以上は経過している。
これでは純矢は家を出てから学校に行って
すぐ弁当を開けるという奇妙な計算になる。
道を間違えたのかと思って信号の下にあった地名と
地図にあった地名を照らし合わせると・・・
・・・合っていない。
バージルはその時知らなかったが、彼が持っていた地図は十年前の古い物で
なおかつそこは少し前に区画整理で新しい道路ができ
地形がかなり変わってしまった場所なのだ。
彼に落ち度はない。
ただ単に持っていた地図が古くて運が悪く
交通手段にうとかっただけ。
なのだが・・・。
地図を睨みながらバージルは少し不安になってきた。
なにしろ元から到達するつもりでいたので
帰り道のことはまったく考えずに歩いてきてしまったのだ。
・・・これはまさか、迷ったというやつか?
別に道に迷ったのは初めてではない。
その昔、落ち着きのない弟にふりまわされ
それこそ片手で足りないほどの数2人そろって迷子になり
母に幾度となく心配されていたものだ。
しかしその弟ぬきの彼1人で道に迷ったためしは一度もない。
ましてここは家の近所などでなく海を越えた異国の地だ。
「・・・・・」
バージルは軽く顔をしかめると、往来の邪魔にならないように道のすみに行き
もう一度地図を確認してみたが、やはり地名も道の形も一致しない。
おまけに道路の形もだいぶに違う。
そこで急に、しとしとと静かに雨が降る中で
彼の立っている場所だけが急に孤立したかのように
しんと静かになったような錯覚がおこった。
もしこの場に弟がいたなら、それでもかまわないとずんずん歩き
慎重派の自分と口論してさぞうるさくなっていただろう。
どうやらその錯覚はその弟がいないせいで起こったらしい。
・・・あんな馬鹿でもいないよりはマシだということか。
そんな事を考えるなど以前の彼にはなかったことだが
それを否定しないのはきっと今の母の影響によるものだろう。
・・・さてどうするか。
とりあえず弟の事はそこらに置いておいて
バージルは道に迷った時の記憶を掘り起こしてみた。
しかし思い起こせば起こすほど
思い出されるのはその原因となった弟の無茶無謀な行動ばかり。
違う、もっと別のことだ。
どうやって助かったかとか
どうやって母に会うことができたかとかそうゆう・・・
ふと。
記憶の底に残っていた幼い日のある思いを
意識せず偶然に、運悪く拾い上げてしまいバージルは硬直した。
もしもこのまま母さんとずっと会えなかったどうしよう。
『それじゃいってきます』
そう言って出て行った後ろ姿が、最後の姿になったらどうしよう。
「・・!!」
雨に濡れたわけでもないのに
突然全身がひやりとした感覚に襲われる。
思わず両手で自分の腕を掻き抱いた拍子に
持っていた傘と地図がばさりと地面に落ちた。
しかしそれでは足りずに背中にさげていた愛刀をはずし
袋ごと両手で折れんばかりに握りしめる。
そんなわけがないと思いたかった。
しかし生みの母もある日突然、なんでもない日常を最後の姿にして
自分の前から永遠に姿を消しているのだ。
『それじゃいってきます』
最後に記憶した母を恐ろしいものでも見るような気で思い出しながら
バージルは雨が降る中たった1人愛刀を握りしめ
青い顔をしたまま立ちつくした。
これが小さな子供ならまだ誰か声でもかけてくれただろうが
あいにく彼の外見は完全な大人だ。
何人も何人も、知らない人間が横を通り過ぎていく。
彼らは知らないだろう。
この道のわきに立ちつくす男が今どれほどの不安と孤独をかかえているか。
そして彼がその感情を不安と孤独という名で認識できずに
どれほどその感情を倍増させているか。
そうして誰も何も知らないまま
バージルはたった1人でその場から動けずにいた。
そうしてどれくらい彼は1人で立っていただろう。
幸いにも雨は服を軽く湿らせる程度でやんでくれたが
バージルはそれにも気付かずただじっとそこに
なすすべもなく立ちつくしていたが・・
ギイー
ふと、どこかで聞いたことのある小さな声に
バージルはおそるおそる顔を上げた。
それは少し遠くからだったが確かに聞き覚えのある声だ。
ギー
音源を探していると再度声がする。
見ると少し離れた電線の上に、見覚えのある水色がかった白くて大きな鳥がいて
それはまるで観察するようにじっとこちらをながめていた。
それは確か家にいる初老の男の肩によくとまっていて
一度自分の頭にとまって髪を凍らせ、母にしかられていた妖鳥だ。
しかしどうしてこんな所に?
そう思う間にその鳥はさっとそこから飛び去り
少し間を置いて、今度はそれとは違う細長い何か変なものが
空からまっすぐバージルに向かって降りてきた。
それも見覚えがある。
いや、覚えがあるというよりはその奇妙な形は
一度見たら忘れられないと言った方が正しいだろう。
「オーオー、コンナトコニイヤガッタ」
そんな声と一緒に降りてきたのは半透明のタオル・・
いや、それは姿が人間には見えなくしてあるマカミだった。
「お前は・・!」
「オ、何ビックリシタつらシテンダ?
イッツモオレ見ルタンビニ『ナンダテメェ』ミタイナつらシテルクセニヨ」
そう言いながら口の悪い犬(ほんとは神獣)は
降りて来るなりバージルの頭を平たいシッポでぺんぺん叩いた。
普段なら素早くふりはらうか斬りつける動作をするバージルも
さすがに毒気をぬかれたのか呆然とながめるばかり。
「マーッタク、テメェ手間カケサセヤガッテ。
オレノ鼻トふれすノ目トアイツノ意地ニ感謝シヤガレ。
ツッテモンナ寛大ナ心ガテメェノかちかちオツムニアルカドウカ知ラネェガ」
言い方は相変わらず気にさわるが
どうやらマカミは鼻、フレスベルグは目を使って
今までそれぞれにバージルを探し回っていてくれたらしい。
となると最後のアイツの意地というのは・・・
キキキーー!!
「・・いた!!
」
ドリフト走行した車のような音がした後
バージルが最も聞きたかった声が背後から飛んできた。
「・・か・・」
勢いよく振り返ってその姿を確認した時出た言葉は
驚きのあまり喉に引っかかって完成しなかった。
それはまぎれもなく純矢だ。
自転車に乗るその姿は制服のままで
傘もささずに乗っていたのか全身すっかり濡れていて
全力で自転車をこいで探し回ってくれていたのか息が少し荒かった。
「あーもう!心配したじゃないか!どうして1人で出て行くんだよ!」
ぶつくさ言いながら純矢はバージルの前まで来ると
偵察係のフレスが前カゴにちょこんと入った自転車のスタンドを立て
さらに説教を続けようとしたが・・・
しかしバージルの手にしっかと握られている刀を見て
今まで彼がどんな心境に立たされていたのかがすぐにわかったらしい。
怒っていた表情をすっとおさめ、変わりに心配そうな目を向けてきて。
「・・・ごめん、怖かったんだな」
その途端、バージルの中で張り詰めていたものが全部切れた。
さすがに人前で飛びつくような事はしなかったが
バージルはうつむいて純矢の片手を両手でがしと掴むと
目を閉じてそれを額にぎゅうと押しつける。
ケケケとおかしそうに笑うマカミや
自転車の前カゴで不思議そうに首をかしげているフレス
時々物珍しそうにこっちを見ながら通り過ぎていく通行人をとりあえず無視し
純矢は空いていた手をのばして少し震えている大きな肩を
ぽんぽんとたたいてやった。
カラカラカラカラ
純矢の自転車はなんでも祖父の代からあるもので少し年期が入っていたが
かなり丈夫で故障知らずな変わりにどこからかそんな乾いた音がする。
バージルはその音を聞きながら、別に何を考えるでもなく
前で自転車をこいでいる純矢の後頭部をぼんやりながめていた。
2人乗りをすると警察には怒られるし
バージルの長身を後ろに乗せるとなると少しきついが
純矢はとにかく濡れた服をなんとかしたかったので両方考えないことにした。
多少遠回りだが人目の少ない土手の道を選んで
純矢は後に自分よりはるかにガタイのいい男を乗せ
前かごには白い鳥、頭上に人には見えない半透明のペラ犬という
なんだかよくわからない構図のまま、とにかくタトゥーが出ない程度の力で
ぎこぎこと休まずにペダルをこいだ。
「・・だからバージルさん、今度から外に出るときは誰かと一緒か
俺に一言でも電話してから・・って聞いてる?」
「・・・ん?」
寝ぼけたような返事はあきらかに聞いていなかった証拠だ。
「うわ!やっぱり聞いてない!俺今大事な話してたのに!?」
「あ・・いや・・」
実はこの時バージルは純矢の後ろ姿を
生みの母に重ね合わせて見とれていたりするのだが。
「・・・ま、事前に電車通学だって言わなかった俺も悪いけど。
とにかく家に帰って制服乾かさないとな。明日までに乾くといいんだけど・・」
「ダーカラ骨ノ旦那ガ着替エテケッテ言ッタノニヨ」
「急いでたんだからしょうがないだろ?
・・ってかお前たち飛べるんだから先に帰れよ」
「ヤーダネ、オモシロイカラ」
かごの中のフレスベルグも嫌だというふうにギイと鳴く。
フレスベルグの方はただ純矢といたいだけなのだろうが
マカミの言い訳はまるでダンテのようだ。
「・・・ともかくバージルさん、今度から1人で出歩かないこと。
俺だって今日たまたま学校が終わってたからよかったけど
そう毎回探しに出られるわけじゃないんだから」
後のバージルからは返事はない。
そのかわり少し間を置いてからなぜか脇から腕がのびてきて
腹と背中全体がぎゅうと圧迫されて暖かくなった。
「・・わ!ちょっ!バージルさん濡れる!」
とは言ってはみるが、彼がこういった行動に出る場合は
大抵の場合何を言ってもムダだ。
なんだかママチャリに子供を3人乗せている
強者ママのことを頭に思い浮かべながら
純矢はちょっと憮然としつつ、黙ってペダルをこぐ。
しばらくして
「・・・母さん」
頭の真上から声がした。
「・・・すまない」
色々気苦労はかけさせられるものの
そう言われると純矢としてはもうどうでもいい話になってしまう。
純矢は見えないのを承知で1人微笑んだ。
「ま、今度から気をつけてくれればそれでいいや。
とにかく詳しいお説教は風呂に入ってからにしよう。
あ、それとバージルさん今日こそは1人で入っ・・」
「断る」
「即答!?」
それはもう、さっきまでのしおらしさはどこへ振り落としてきたんだな口調だ。
「あのさ、いい加減に1人で入ってよ。
家の風呂せまいわけじゃないけどバージルさん身体大きいし」
「嫌だ」
「なんで?!」
「母さんがいないと背中が洗えない」
それは小さい理由の1つだ。
一番大きな理由は、かつてダンテが散々一緒に入れと言ったのに
変なことしそうだから絶対嫌だと純矢が断り続け
結局純矢はダンテとは一度も一緒に風呂に入らなかったことを聞いたのが
一番の理由だ。
「タオル伸ばして使えばいいじゃないか。あ、なんならマカミ使ってもいいけど」
「オイコラテメェ!オレハたおるジャネエッテ何回モ言ッテンダロガ!」
「だってお前、ダンテさんが風呂上がりの時
肩からだらーんてぶら下がってたりしたじゃないか」
「アリャオメエガ嫌ガルカラソノ後無理矢理引キズリ込マレタンダヨ!
ソリャマァ風呂ハ嫌イジャネエケド、アイツ無茶苦茶スルカラ
アイツトハイルノハサスガニゴメンダ」
何があったかしらないが、それでマカミはだらーんとのびていたらしい。
「ダイタイオメエノセイデソンナ目ニアッテンダカラ
タマニハオレモマゼルトカシヤガレ」
前カゴの中でフレスベルグもギイギイ鳴く。
おそらく何のことかわかっていないのだろうが自分もまぜろと言っているらしい。
「だめだ。お前ダンテさんと同系列だから何されるかわからない。
フレスは・・・寒くなるし暑さに弱いからやっぱりダメ」
「エー?何デダヨ、減ルモンジャナシ」
「そうゆう事を言う奴とかかわると大体何か減らされるんだよ」
「チェ、ケチー」
「こら頭に乗るな」
カラカラと音を立てる自転車が
白い鳥と高校生と長身の男と、その上に乗る長い犬をともなって
すっかり雨もやみ、夕焼けのさしてきた土手の道をひた走る。
その時後ろに乗っていた長身の男は
普段なら怒って振り払う、ふんにゃりした長い犬の胴体を頭にのせつつ
目の前にあった自分より小さい背中に寄りかかっていたのだが・・・
そのいつもはあまり表情のない顔が
ちょっとした優越感にひたって嬉しそうに笑っていたのには
誰も気付くことはなかった。
気が付いたらできてた話。
夕焼けと自転車は青春の証(古)。
ペラ犬はやっぱ書きやすいなぁ。
変換クソめんどいけど。
脱兎