そこはひどく居心地の良い場所だった。

こんな感覚はずいぶん前、まだ母が生きていたとき
自分がまだ力に執着する前、もう1人の自分とよく似た片割れと一緒に
母の歌を聞きながら眠った時とよく似ている。

その母はもういないはずなのに
自分にはもうそんな場所など必要ないと思っていたのに
そこはいつまでもまどろんでいたいと思うほど
ひどく居心地のいい場所だった。


ということは・・・
これは眠っている・・・ということなのか。


男はそんなことを、沈みそうで沈まない意識の中でぼんやりと考えた。

そういえば、自分はさっきまで真っ暗な所にいたはずではなかったろうか。

真っ暗で、何も感じない、そこに自分がいるのではなく
そこが自分であるかのような、暗くて広くてなにもないような場所。

・・・そこに・・・

・・・そうだ、確か手が伸びてきた。

それは細くて白くて、力などまるでなさそうな
黒とエメラルドブルーの模様の入った不思議な手。

その時自分は、ただそれを見ていただけだった。

けれど・・・

気がつけば自分は感覚のないあるのかないのかわからない手を
無意識にそちらに伸ばしていた。

それから・・・その模様の入った手は何かを叫ぶように突然輪郭を強め
あるはずのない自分の手を取り、そこから自分を一気に引き上げた。

見たというわけではないが、確か・・・そんな感じだったと男は思う。

男が何気なく視線をやると
随分前見たきりの、肌色の腕が一本。
反対側を見るとそこにも同じような腕が一本あった。

男は思った。

自分は一体どうなったのだろう。

闇に落ちる前、つまり最後に記憶しているのは
消えていく自分の身体と、こちらを見上げる赤いコートの男。

そしてつい最近記憶したのが
先程の不思議な模様の入った細い腕だ。

その合間、それ以前の記憶は激しく欠けていて
思い出そうにもそれだけではあまりにも情報がたりない。


男は意を決して
いつまでもここにいたいという気持ちをぐっと押し込んで
重い瞼に力を込め、ゆっくりと目を開けた。


そして目を開けた先で


青いバームクーヘンと目があった。


!?
「ギャ!?!」


ベニャ


飛び起きた拍子に何とも言えない感触が顔面に引っかかる。

「・・あーもう!だからよせって言ったのに」
「ンナコト言ッテモ急ニ起キタンダカラシャアネェダロ」

声と一緒にクリアになった視線に、まずタオルのような生き物と
それをふん捕まえて何か言い合っている少年が目に入った。

歳は・・・十代半か後半くらいだろうか。
髪は黒く目も青くない、いわゆる東洋系の少年だ。

そして手にした生き物は今まで男が見たこともない妙な形をしていて
キツネのようなタオルのような・・ともかく変な形をしていて
一瞬悪魔かと思ったが、それにしては緊張感がなさすぎる。

「・・あ・・ところで大丈夫ですか?」

変な生き物をに〜と引き延ばしていた少年が
視線に気付いてこちらを向いた。

それは男が知らない顔だった。
しかし・・・よく知っているようにも感じる。
声もどこかで聞いたことがあるようなないような・・・

などと色々考えて黙りこむ男がどうやら少年には不機嫌に見えたらしい。

「・・・あ、あの!さっきはすいません。
 回復させようとしたのになんだか変なことになって」
「・・・・・」

そう言われても男には身に覚えがない。
相変わらず何も言わない男に少年はあわてて近くにあった何かを手にした。

「あ、それとこれ・・・なんだか剣の方も
 なんだか形がかなり変わっちゃったんですけど・・・」

そう言って少年がおずおずと差し出したのは
シンプルな形をした一振りの日本刀。

男は目を見開いた。

これには見覚えがある。

男はゆっくり手を伸ばしてそれを掴み
引き寄せてしっかりと両手で持った。

そのとたん
欠けていた記憶の断片が
凄まじい勢いで頭の中で組み上がっていく。



父のこと、母のこと、自分の片割れのこと
父の封じた塔、自分の求めたものと、魂について語った片割れ
差し出された手、拒否して散った赤い色
3つ目の悪魔
ねじ上げた首から下がった赤い宝石
交差する剣、再三の剣劇、燃え上がる身体、
そして・・・



胸に手をやると
その記憶を証明するかのように
そこにあったはずの形見はなくなっていた。


・・・・そうか・・・・


かしゃりと静かな音を立てて、残された形見の刀が膝に落ちる。


・・・・また・・・負けたのか・・・俺は・・・


すべてのパーツが組み終わって出された結果に
男は静かに目をふせた。

横で膝をついている少年からはなんの言葉もない。
おそらくこちらの意志を尊重して出方を待っているのだろう。
見た目の割には気が利いていると男は心のどこかでそっと思った。

そういえば、あやふやな記憶の片隅でこの少年は名を名乗っていたはずだ。

たしか・・・

「・・・ジュンヤ・・・と言ったな」
「・・・はい」
「・・・経過と・・・現状の説明をもらえるか」

それは彼にしてみれば随分と腰の低い態度だった。
なにしろ今の彼にはこの少年以外頼れるものが何もない。

「あ、はい。それはもちろんかまいませんけど
 ・・・その前に1ついいですか?」
「・・?」

顔を上げて見るとグレーの目とかち合う。

「名前、教えてもらえませんか?」

男はほんの少し躊躇した。

彼には母に呼ばれたときの名前と、人を捨てたときの名前の2つがある。

本来なら後者を名乗るはずの男は
この時知らずと、それとはまったく逆のことを口にした。

「・・・・・・バージルだ」

無意識に口から滑り出た言葉に男は驚く。
それが本能からくるものだと彼が知るのはもう少し後の話だった。






「・・・・・・・」

大体の説明を聞き終わってもバージルの表情は変わらない。
どこかうつろな目というか、どこか別の所を見ているような
そんな目で彼はずっと純矢の話を聞いていた。

純矢は一度、話している最中に本当に聞いているのかどうか不安になったが
ダンテの話をしていると時々眉がはねるので聞いていない事はないようだ。

そしてボルテクスやダンテの事、再生された経過などについて話し終えた後・・・
重い沈黙がその場を支配する。

先程近くにいた変な生き物(マカミと言うらしい)は
床でほどいた包帯のように丸くなって動かなくなっていた。
目蓋がないのでわからないが、スーとかプーとか聞こえてくるあたり
おそらく退屈して寝てしまったのだろう。

そんな妙なイビキだけが聞こえる中
先に沈黙を破ったのはバージルだった。

「・・・1つ教えてくれ」

ぽつりと、それは雨だれが落ちたような小さな声色で。

「・・・俺は・・・どうすればいい」

質問の意味を計りかねて純矢が軽く首をかしげる。

しかしバージルは視線を膝の上の刀に落としたまま
それが見えているかのように次の言葉をつむいだ。

「・・・俺は一度死んだ身だ。
 弱者は強者に敗れ、同時に生きる資格を剥奪される。
 それは人であれ悪魔であれ、変わる事のない自然の摂理だ」

純矢は何も言わず黙って聞いていた。

「・・・俺にはわからん。なぜ俺はその摂理に反して生きているのか。
 なぜ捨てたはずの人の姿で再生されたのか
 なぜ敗者の俺が再びこの地に戻り、戦いを好まぬ者の使徒として存在するのか」

握りしめられた刀の鞘が軽く鳴る。

「・・・それとも・・・未来永劫、争い続ける事が
 我ら兄弟の宿命だとでもいうのか・・・」

そこで純矢は気がついた。

バージルの所在について言葉を濁したダンテ。
そして今のバージルの発言。


・・・じゃあ・・・バージルさんを倒した相手って・・・!!


「・・・愚かだな・・・。
 かつて力を求めた俺が・・・力を求めなかった片割れに敗北し
 あげく望まぬ力を得たお前にすがるなど・・・」

今まで表情のなかった顔に初めて苦悶の色が浮かぶ。

「・・・本当に・・・愚かだ・・・」

そうしてバージルは、まるで今にも倒れそうなほど深くうなだれた。


そう、ダンテがあの時真相を話さなかったのは
彼とこの兄の間にある確執を純矢に悟られないため。

他人の痛みを自分の物にしてしまうほど優しい純矢に
余計な気をつかわせないために、ダンテは黙っていたのだ。


しかしそれがこんな結果を招いてしまうとは
ダンテも純矢も思いもしなかったろう。

純矢はため息を1つついて、すっかり元気のなくなったバージルを見た。

そういえばジュンヤはダンテが悪魔を狩る理由については聞いていたが
どんな風に育ってきたのか、どんな家族事情があったのか
なぜあれほど強いのかなどは自分の事で手一杯で今まで考えたこともなかった。

ダンテが実の兄を手にかけたことから推測するに
このバージルという兄はダンテとは反対、つまり悪魔の側に立っていて
どういった経過があったのかはわからないがダンテに敗北し
偶然とジュンヤの力でここへ転がりこんできてしまったのだろう。

ひょっとしたら、さっき身体に異常をきたしたのは
完全な悪魔の状態で半端なジュンヤの力をそそいでしまったための
拒絶反応かなにかだったのかもしれない。

そういえば服を買いに行ったブラックライダーとミカエルの話では
姿は人に戻ったが魔力は健在だと言っていた。
つまり今のバージルは人の姿をしながら強力な力を隠し持つ
ダンテと同じになったとも言えるのだろう。


悪魔、魔人、半魔の兄弟・・・か。


純矢は少し考えて、ある答えを出した。


「・・・えっとじゃあこれは俺からの答え・・・
 じゃなくて提案なんですけど、聞きますか?」

うなだれていたバージルが顔を上げて、こちらに視線をむけてきた。

さすがに双子とあって髪が短いのと顔立ちが少し大人びているのをのぞけば
見た目はダンテとほとんど変わらない。

なんだか今からダンテを説得するような妙な気分になり
純矢はぶんと頭を振り、とりあえずダンテのことは頭から追い出した。

「俺はダンテさんやバージルさんより悪魔歴短いし
 兄弟ゲンカもしたことないから、あんまり偉そうなこと言えないけど・・
 ・・・とりあえず・・・生きてみませんか?」

質問の意味を計りかねて、バージルはほんの少し眉をよせた。

「ダンテさんはあんまり話してくれなかったけど
 なんだか2人とも色々大変だったみたいですよね。
 でもそれって、大元の原因は2人にある悪魔の血のせいだと思うんです」

それは純矢にも言えることだ。
悪魔になったおかげで魔人達に襲われダンテに追われ
悪魔だらけの世界で悪魔に追われたり悪魔の親玉に利用されたりと
とにかくロクな目にあっていないのは、悪魔になって日の浅い純矢にも断言できた。

「で、俺思ったんですけど
 ダンテさんもバージルさんも、半分は悪魔で半分は人間でしょう?
 だったら悪魔の血に振り回された分、残りのもう半分を
 人間みたいに生きるやり方もあるんじゃないかって」

バージルは目を軽く見開いた。
それは彼が今まで考えもしなかった思考だ。

「だってもったいないじゃないですか。
 せっかくお母さんからもらった血を、ただ弱肉強食だとか敗者死すべしとか
 ヨスガみたい・・・じゃなくて力押しな理屈で塗りつぶすのって」

黙り込むバージルに純矢はさらに続ける。

「今までそんな生き方ばかりしてきたなら、こうやって生まれ変わったのも多分・・・
 お母さんがもうちょっと、人の部分で生きてほしい。
 今度はお父さんの方じゃない、お母さんの世界の生き方をしてほしいって
 そう思ってるって考えられませんか?」
「・・・そんな・・・」

馬鹿な・・・と、かすれた声で否定しようとしたバージルに
純矢はふわりと微笑んだ。


「俺はそう思いますよ」


理屈とか信念とかその他もろもろが
そのたった一言でバージルの中から完全に吹き飛ばされた。

「だからこれはちょっとした提案ですけど・・・
 せっかくまたこうして地に足をつけることができたんですから
 今度は今までと違う生き方をしませんか?
 ダンテさんとか悪魔の力とか、難しいことは抜きにして」

片膝をついていた少年が正座をし、手をさしのべてくる。

その姿が
バージルの記憶にある
姿形も性別も違うはずの母の姿にリンクした。


「だから・・」
『今度は・・』

「人の側で・・」
『幸せに・・』

「生きてみませんか?」
『生きなさい』

「バージルさん」
『バージル』


握りしめられた刀の横に
頬をつたって流れたものがぽつりと落ちる。


・・・あぁ・・・そうか・・・


先程の安堵感はこのためなのか。


・・・俺は・・・


敗者として死んだのではなく。


・・・帰ってきたのか・・・











かしゃ


何か固い物が落ちる音がする。

それを聞きつけたマカミの耳が片方ぴっと動いた。

それだけなら図太いマカミは起きなかったが
それとは別に何か妙な気配が鼻先をちらちらかすめる。

危険なものではないのだが、何か妙に気になって
マカミはぷうぷうやってた鼻ちょうちんを収納し、むくりと首を持ち上げ・・・


「・・・・・・ナニヤッテンダオマエ」


そこにいたのはガタイのいい男に腹にしがみつかれ
膝を占領されて心底困ったような顔をしている純矢だった。

「・・・いや、何と言われても俺も困るんだけど」
「マータナンカ言ッタナオメェ」
「・・・そう言われても・・・色々言ったとしか覚えてない」

ほんの短時間でえらくなつかれてしまった純矢をよそに
マカミはふわりと浮き上がってカシカシと平たい手で喉をかいた。

「・・・前カラ言オウト思ッテタケド
 オマエノ一言ハ破壊力ガアリスギンダヨ」
「は?何が??」
「・・・自覚ナシッテノモアル意味スゲエケドナ」

げんなりしたかのように三角の耳の先がちょっと折れた。
説明したところでこの慈愛と天然の入り交じった変な悪魔が
その態度を改めることなどないだろう。

「マ、イッカ。ソノ様子ジャモウ襲イカカッテクルコトナイダロウシ
 ソノママシバラクアヤシトイテヤレヨカーチャン」
「だっ!誰がだ!?
「オメーニ決マッテンダロ。
 大体ヨンダノモ再生サセタモノオメェノ仕業ナンダシ」

それはまぁ理屈で考えればそうだが・・
しかし男でありながらいきなりこんなでっかい子
しかもダンテに激似の男の母とは、冗談にしてもあんまりだ。

「ジャ、危険ノナクナッタトコロデ俺散歩イッテクル。
 モウチョットシタラソイツノ服買イニ行ッタ連中ガ帰ッテクルカラ」
「こっ、こらマカミ!このまま置いていくな!」
「知ルカ。ソンナノハ生ンダ奴ガ責任トレ」
「生んでない!誤解をまねきそうな言い方するな!!」
「マァ精々ガンバレヨ、ままん」
「〜〜〜!!」

へろへろと姿を消しながら飛んでいくマカミに
動くに動けない純矢は無言で抗議した。

大声を立てなかったのは膝の上で爆睡している新しい仲魔への気遣い。
しかしそれは言い換えるとやっぱり母性としか言えないのが困ったところだ。

それにしても、よほど疲れていたのかそれとも安心したのか
結構うるさくしたのにバージルは全く起きる気配もなく
布団からはみ出して純矢にしがみついたまま寝るという荒行をやってのけている。

だがその身体はサイズの合う服が見当たらなかったため
まだ何もつけていなかった。

純矢は一生懸命視線をずらしながら手を伸ばし
ずれた布団を引っぱって肩まで引き上げる。

その時軽く身じろいだのをなだめるつもりで背中を軽くたたいてやると
安心したのか大きな身体が少し丸くなり、しがみつく力が強くなった。

構図は凄まじくおかしいが
やってることは間違いなく母と子だ。


「・・・・・・勘弁してよ・・・・・・」


トラブリャーなダンテが帰ったと思えばこの有様。

なんだか伝説の魔剣士の血というのは
人様にご迷惑をかけるためにできてるんじゃないかと思いたくなってきた。


・・・けれどまぁ・・・しょうがないといえばしょうがないんだよな。


元々自分の不注意で起こった事なのだし
それに詳しい事情はわからないが
このどこか自分に似たこの兄弟を助けてやりたいという気持ちも少なくはない。

純矢は再び布団の上から大きな背中をぽんぽんとたたく。


「・・・Devil never cry・・・かぁ・・・」



しがみつかれた時できた膝の上の冷たさは、まだ乾く気配がない。











勢いにまかせて書いてしまった話。
なんかうちの兄は誰かに怒られそうでびくびくしながら書く話ばかりになりそう。
あと一応ここ一般さん向けなんで、いきなり襲いかかったりは絶対しませんが
多少兄が壊れてるのはご了承下さい。


帰る