「・・うわぉ」

ドアを開けて中を見た瞬間、まず口をついて出てきたのは
そんな感嘆と驚愕と呆れの入り交じったへんな言葉だ。

家主に場所だけを教えられたその部屋は
ブーツだのジャケットだの撃った後の弾だの古びた雑誌だの
あちこちにいろんな物がほどよくまんべんなく散乱していて
おそらく住んでいる本人には快適なのだろうが
下に負けず劣らずなんとも素敵な状態だった。

しかし部屋のすみにあった大きいベッドの上だけはまだなんとか片づいていて
ドアからベッドに向かう最短距離の道の所だけが綺麗というのが笑える。

「好きに使えとか言ってたけど・・
 これじゃどうぞ好きにがんばって掃除してくれって言ってるのと一緒だろ」

などと文句を言いつつ足で適当に物をどかし
後ろにいたバージルに入っておいでというつもりで目をやるが
さすがにこれほど酷い所で寝泊まりしているとは思わなかったのか
家主、つまりダンテと同じはずのその顔は
呆れるのを通り越して完全に固まっていた。

「・・えと・・言いたい事はよくわかるけど、それは明日本人に直接言おうな。
 あとここじゃこれでも一番マシな方だって言っ・・・てたんだし・・」

と言ったそばから壁にあった弾の跡とか
なんかが飛び散ったような変な色のシミとか見つけてしまうが
今日だけ今日だけ、明日はもっとマシな寝室を作ろうと思い見なかった事にしておく。

ちなみに今その文句を叩きつけるべき家主は
修理費や滞在費を即座にまかなえ、おまけに近所の掃除もできるという仕事が
いいタイミングで入ったとかで出勤していて今はいない。

速攻戻ってくるからいい子で待ってろと
こっち式の挨拶をしかけてまた兄とケンカになりかけたが
しかしこの場に残っていたところでやっぱりケンカになっていただろうなと
ベッドにあった雑誌や衣類を片づけつつ純矢は思った。

しかしダンテは部屋の場所だけ教えて出て行ってしまったが
部屋を見回してもベッドは1つしか見当たらないし
他に使えそうな物と言えば衣服の引っかかった大きめのソファくらいしかない。

「・・ま、ちゃんとした寝床は明日作るとして、一晩だけの我慢だな。
 俺がそこのソファ使うからバージルさんはそっちのべ・・」
「却下だ」

速攻で返ってきたその返事はちょっと怒ったような言い方だったので
純矢は一瞬たじろいだ。

「・・え?なんで?バージルさんの身長だとそんな小さいソファじゃせま・・」
「ケガ人を差し置いてのうのうと広い場所で寝ていられるか」
「まだ言ってるのか?もう大丈夫だって・・」
「母さんの自分に対する大丈夫という言葉はかなりの確率で信用がおけない」
「・・それって誰から聞いたんだ?」
「そんなものは聞かずともすでに実証済みだ」
「・・・・・・」

その通りなので純矢は反論をあきらめた。
それにこうして怒って物を言うバージルは
上から目線と言うか高圧的でちょっと逆らえない。

だがその当人はというと周囲がかなり散らかっているのもかまわず
荷物の中から寝間着を引っぱり出して普通に着替えはじめていた。

これだけアレなら普段着で寝てもかまわないくらいなのだが
彼は一度言った事と躾にはとても律儀だ。

「・・あのさ・・」
「断る」
「・・いや、まだ何も言ってないんだけど」
「俺への気遣いなら必要ない。
 安全だと判断したのならどこででも眠れる自信はある」

そんな自信あまり自慢にならないような気もするが
確かにバージルは東京にいたころ結構いろんな所で寝ていた。

それは縁側だったりコタツだったりなぜか自室の机の下だったり
風呂の最中に寝そうになって慌てた事だってあるし
いつだったか和室で座布団がこんもり山になっていると思ったら
それはピシャーチャがかけてくれたのだろう座布団にうもれて
ぐうぐう寝ていた彼だった事もある。

だがそれにしても自分がこっちの広めのベッドで
ガタイのいいバージルが狭い方というのは・・
気を遣ってくれているとは言えやはりどうしても気が引ける。

純矢は同じように着替えながらその背中をながめていたが
やはりどうしても放っておけずに仕方なく意を決した。

「あのさバージルさ・・」
「ダメだ」
「いや・・俺はちゃんとこっちを使わせてもらうけど
 その前に1つ提案」
「?」

いつからそこにあるのかわからない黄ばんだ新聞をつまみ上げ
そこらに捨てようといたバージルが訝しげに振り返る。

それはちょっと恥ずかしいしかなりの誤解を招きそうだが
彼はそんな誤解はしないだろうし、こっちの気持ちをちゃんと受け取ってくれるので
純矢はちょっと目をそらしつつも腰掛けていたベッドのシーツをまくり
ようやく聞こえるか聞こえないかの小声でこう言った。

「・・・・こ・・・こっちおいで。せまいだろ?そっち」

その途端、あまり表情に変化のないバージルの顔が
薄暗い中でもそうとわかるくらい急激に変わった。

そしてその姿はいきなり消えたかと思うと
次の瞬間にはもう弾丸のような勢いであけてくれたスペースに飛び込んでいる。

「うわったぁ!?」

ある程度予想していたので慌てて押さえつけたからよかったが
ヘタをすると勢い余って壁に激突し壁を破壊していたかも知れない。

あとそんな勢いで飛び込んできたものだから
べッド全体が一瞬めぎとか変な音を立ててくれたが
さすがにあのダンテが使っている物だけあってかそれ以上の変化はない。

・・明日まず寝室作りから始めないと
また変な意味でのケンカが起こりそう・・いや絶対起こるだろうなぁ。

そんな事を考えつつも純矢はとにかく寝る事にした。
そして先に入っていた大きな身体がごそごそ動いて
お気に入りの場所、つまり純矢の腹のあたりに移動してくる。

だがその動きがなぜか突然、ピタリと止まった。

それ以上は何もしないだろうしすぐ寝るだろうと思って好きにさせていた純矢は
不思議に思った直後、その理由に思い当たって硬直する。

そうだ、確かそこには・・

「あ、ちょっとバージ・・うわ!?

しかし慌てて起きあがるより先にシーツが飛ぶような勢いで跳ね上がり
強力な力であお向けに押さえつけられ服を強引にまくり上げられる。

そこにあったのは身体のど真ん中に残った2つの傷。

大きい方は刃の広い剣を持つ弟の分。
それより少し小さい方は斬る事を目的としているため片方にしか刃のない
つまりバージルの愛刀のものだ。

それは本人がある約束と引き替えにするためにしばらく放置していたためか
その跡は悪魔の再生力をもってしても完全には消えず
他に傷も何もない綺麗な肌の上に鮮明に残っていて
バージルは息をのんだような顔をしたまま動かなくなってしまった。

「・・えと・・あの・・バージルさん、もういいだろ?
 跡はあるけどふさがってるし・・寒いし・・ほら恥ずかしいし・・」

などと押さえつけてくる手をなんとかどかそうとするのだが
こういう時の彼の力というのは尋常ではない。
その気になればどかせない事もないのだが
これに関しては純矢にもちょっと負い目があるので
強引にはじき飛ばそうにも気が引ける。

しかしバージルはしばらくそれをじーと睨んでいたかと思うと
急に脱力したように手を放し、何を思ったのかこちらに背を向けぼすんと横になると
そのまま丸くなり動かなくなってしまった。

それはあの時の事を思い出したのと
自分に対する罪の意識がごっちゃになって
どうしていいのか分からなくなってしまったのだろう。

そういう意味では可愛そうな事をしたのかもしれない。
見た目にはあまり分からないが、バージルは純矢に対しては
ちょっと困るくらいに愛情深い。

それをケンカの仲裁のためとはいえ、あんな危うげで無茶な止め方をしたのだし
目の前で何かをなくすという事がどれほど怖い事なのかを
純矢は知らないわけではない。

そんな罪悪感を持ちつつ服をもとに戻すと
純矢はバージルから少し離れた場所に横になって
落ちていたシーツを掴みむこうにもちゃんと行き届くように広げた。

「・・・・・」
「・・・・・」

純矢はしばらく薄汚れた部屋の壁とその背中を交互に見てみたが
こっちに背を向けたバージルは動く様子がない。

普通こういった事になった場合
彼は顔には出さず大喜びでこっちに寄ってきて
抱き枕よろしく母を抱き込んでそのうち寝てしまいそうなものなのだが・・

「・・・・・・」
「・・・・・・」

しかしそれにしても・・
あまり強烈に甘えられるというのも正直困るが
突然その逆の態度を取られるというのも何だか居心地が悪い。

「・・バージルさん」

天井を見ながらなんとなく声をかけてみるが
返事のかわりに返って来たのは少し怯えたような気配のみ。

純矢はちょっと考えてごろんと離れるように寝返りをうってみた。
しかしバージルはこちらに意識は向けてはいるようだが
それ以上の反応をしない。

純矢はもう一度、今度はバージルの方へ向かって寝返りをうってみる。
しかしそれでもバージルは反応しない。

純矢はさらに考えて距離をはかり、ごろごろと遠ざかってから
ごろごろごろどんと勢いをつけ、さっきから反応してこない背中に体当たりをした。

さすがにそう来ると思っていなかったのかバージルは驚いたようにこちらを向き
直後しまったと思って慌てて目をそらそうとした所をむぎと両手で固定される。

「こら、なんで逃げるんだ」
「・・・・・・」

そう言うとバージルは目に見えて困ったような顔をする。
こういう所は悪いことをしても知らん顔なダンテと違うなぁとか思いつつ
純矢は手を放してこつんと1つその額を軽く叩いた。

「そんなに気にすることじゃないって。
 もう過ぎた事なんだし、俺はちゃんとこうして生きてるんだし
 バージルさん達もちゃんと仲直りできたんだから。な?」
「・・・・・・・・」
「でも怖がらせたのは謝る。ごめ・・」

そうして悪いと思っていた事を素直に謝ろうとすると
何を思ったのか黙っていたバージルが突然動き
引きちぎれそうなくらい強く自分の前髪を掴んで絞り出すような声で言った。

「わかっていたのに!少し考えれば母さんが止めに入る事など
 俺は・・!わかっていたはずなのに・・!・・なのに・・!」

それでもあの時踏みとどまれなかったのは
自分の半分である悪魔の血のせいかそれとも人の悪い部分の影響か。

しかしどちらにせよあの時自分を制御できず
目の前にいる少年を刺し貫いて殺しはしないまでも傷を負わせたのは
紛れもない今ここにいる自分自身だ。
我を失って大切な者を殺しかけた自分自身だ。

暗い視界が知らずにぼやけ、頬が勝手に濡れていくのがわかり
こういう時にも自分が制御できない事実に後悔の念と一緒に情けなさも加わってくる。

だがそのどん底まで沈みそうになっていた心を引き戻してくれたのは
髪にくい込んでいた指を一本づつ離し、くしゃくしゃになった髪を撫でつけてくれた
自分よりも小さくて細い、再生の母の手だった。

「・・しっかし・・バージルさんはよく泣くなぁ。
 もしかして子供の時あんまり泣いた事ないんじゃないか?」

苦笑するようにそう言われてバージルはふと思い出す。

確かに自分はダンテと違い感情を表に出さなかったので
小さいときにダンテが横で大泣きしていたのは思い出せても
自分が泣いた記憶というのはほとんどない。
それは生みの母が死んだ時でさえもそうだったし
もしかすると赤ん坊の時でさえ泣いていなかったのかも知れない。

それが今はどうだ。こんな明らかに自分より年下の少年にすがりついて
泣いたり笑ったり怒られたりまた泣いたり慰められたり・・

「・・・・・・」

そうしてよくよく思い返し急に恥ずかしくなったのか
目から落ちていた水が急にぴたっと止まり
そのかわりじゅう〜と音が出そうな勢いで顔に熱が集まってきた。

それは暗い中でもわかるくらいだったのだろう。
母と呼ぶには色々とおかしいけれど、今や完全に母代わりの定着した少年が
シーツの綺麗なところを集めて笑いながら顔をごしごし拭いてくれた。

「はは、ふさぎこんだり泣いたり赤くなったり忙しいなぁバージルさんは」
「・・・、・・・笑う事はないだろう」
「ごめんごめん。でもそうやって思ってる事を表に出すのは悪いことじゃない。
 人間心があるから生きて感じて考えてると、いろんなものがたまってくるし
 俺だってエスパーや神様じゃないんだからバージルさんが何を考えてるか
 いつもわかってあげられるわけじゃないし」
「・・・・・」
「それに・・・かなり前の話になるけどさ
 俺だってみんなの前で大泣きしてちょっと恥ずかしい思いした事あるんだぞ」
「母さんが??」
「・・コラ、どうしてそこでびっくりした顔するんだよ。
 俺だって中身はまだ人間のつもりなんだぞ」
「・・んが・・・・・ふがまい」

ぶぎゅと鼻をつままれたままバージルは素直に謝る。
そして純矢はその手を離しながら少し遠い目をしてこんな事を話し出した。

「・・あの時は俺も色々とため込んでて苦しかったからなぁ。
 あんまり吐き出せそうな所もなかったし、生きるのにも前に進むにも精一杯だったし
 何より一緒に巻き込まれた友達や知り合いの人達が人間なのにがんばってたから
 それよりもいくらかマシな境遇にいる俺が弱音を言っちゃ悪いとかも思ってた。
 でも・・結局俺の所に残ったのは、仲魔と悪魔の力だけだったんだけどさ」
「・・・・・」

純矢はあまり自分からすすんでその世界の話をしないが
その昔話にだけ聞く事のできる砂の世界の話をする時の母は
いつもと印象が違って見えてバージルは少し不思議だった。

「それでそれがようやく全部終わる頃になって
 仲魔のみんなとお別れになるかもって時に、いろんなものが全部切れたっていうか
 押し込んでたものが全部ほどけたっていうか・・な」
「・・ボルテクスという世界での・・最後の時か?」
「・・そう。今思えば不思議な話なんだけど
 たくさんケガしてたくさん歩き回って、わけもわからず何回も殺されかけて
 いろんなものを助けられずにいろんなものを目の前でなくしたってのに
 俺があのひどい世界で泣いたのは・・あの時が最初で最後だった」
「・・・・・・」
「それが良かったのか悪かったのかは今でもよくわからないけど
 あの時俺のまわりに仲魔のみんながいたように、今のバージルさんのまわりに
 俺やみんながいるっていうのは・・いいことだと思ってる」

そして細い手が伸びてきて後頭部に触れたかと思うと
強くも弱くもない力加減で引き寄せられてぎゅうと頭を抱き込まれる。

「だって落ち込んだり悲しい時に1人ってのはすごく辛いし
 誰か1人でもそんな時にいてあげられるのは
 けっこう大事だって俺は思ってるからな」

それにバージルさんは人一倍寂しがりやみたいだし、と付け加えて
純矢はちょっと楽しげに完全に固まってしまったバージルの頭を
ちょっとだけ乱暴にがしがし撫でた。

昔の彼ならあまりこんな事しなかったろうが
これの父のせいというか影響というかこれ自体の影響というか・・
とにかく純矢の適応力はボルテクスにいたころもそうだったが
何というか良くも悪くもとても凄い。

今まで動かなかったバージルの腕が伸びてきて
背中に回りぎゅうと抱きしめられる。

顔が見えないのでまた泣いていたのどうかは分からないが
抱きしめる力があまり強力でなかったところを見ると
おそらく安堵しているのだろう。

「・・・母さん」
「ん?」
「好きだ・・」

大きい動物になつかれたらこんな感じかなぁとか思いながら
その背中を撫でていた純矢はぴしりと硬直する。
それからヤバイ、変に甘やかしすぎたと思ってあわてて手を離してみても
バージルの方ががっちり捕獲したまま離してくれていないので
気づけば随分とヤバイ状態になっているには変わりない。

「・・あ・・いや・・うん、それはわかったから
 とりあえず離してくれないかなーなんて・・」

祈るような気持ちでそう言ってみると、バージルは案外素直に手を離してくれた。
が、かわりにお互いの息がかかるほどの距離まで来て

「俺は・・ジュンヤ母さんが好きだ。
 好きで好きでどうしようもないくらいに、時々魂を喰われたと思うくらいに好きだ」
「・・・、」
「今の未熟な俺にはこんな言い方でしか自分の気持ちを表現できないが・・
 俺はジュンヤ母さ・・いや、お前の事がどうしようもなく好きだ」

と、まるで状況的にR指定直前みたいなセリフをささやくように
しかも変則的な呼ばれ方を付けて言われたものだからたまらない。

純矢はマガタマでバッドステータス無効なはずなのに一瞬でパニックになった。

「え?い・・?うん、いや、なんですと??」
「・・何を慌てている。こうしろと言ったのは母さんだろう」

そりゃ確かに公衆の面前で言うなとも
あまり大きな声で大っぴらに言うなとも言ったが
その逆というのがこうも困るものだとはまったく知らなかったのだし・・。

「俺が母さんを好きになる事はいけない事なのか?」
「え?えーと・・いや・・それは・・その・・」

どう返したらいいものかと必死になって考えていると
チャリと耳にかすかな金属音が入ってくる。

それは寝るときもバージルがはずしていなかった
手元に帰ってきたばかりの本来の母の形見の音だ。
そしてそれは純矢にとっては救いの音になった。

「・・あ!でもほらバージルさんにはまだ昔のお母さんの形見とか
 まだちゃんと忘れてない大事な思い出とか残ってるだろ?
 俺はただバージルさんの手助けっぽい事をしてるだけであって
 そういう本当のお母さんとか子供の時の大事な思い出とかには
 かなわないかなーなんて・・」

まくし立てるようにそう言われると
バージルは胸元にあった形見に手をやってちょっと考えた。
その時純矢が

『頼む!頼むからそれに免じて
 もうこれ以上ホントのお母さんの前で恐ろしい展開を作りださないでー!』

と心底本気で祈っていたりするのは余談だが。

「・・確かに本来俺を生んでくれた母さんは
 短い間だったが俺たちに忘れることのできない愛情を注いでくれた。
 その母さんに代わる物などないのかもしれない。
 だがそれはジュンヤ母さんにも言える事だ」
「??」
「母さんは一度死んだ俺にもう一度生きる機会を与えてくれ
 俺が1人ではけして得ることの出来ない多くのことを教えてくれている。
 これはもういない母さんには出来ない事だろうし
 これから先にもまだずっと続いていくことだ。
 それに母さんが仲魔の全員に愛着があるように
 俺が複数の者を好きになっていけないなどという道理はない」

その筋が通っているようで通してはいけなさそうな理屈に純矢は閉口した。

そりゃ確かに自分は仲魔達全員・・
いやこの兄弟は多少例外だがまぁ好きだ。

しかしそれはラブの方ではなくライクの方であって
決して2人きりになってから耳元でささやくように言うような好きではない。

・・いやしかし突き詰めて聞けばバージルの方も
実はライクの方を素で他意もなく言ってるだけなのかも知れないが
今この状態でそれを問いただす勇気は純矢にはまったくない。

だがそうは思っても当のバージルはそれ以上何もしてこず
大人しくこちらの出方を待っている所を見ると・・そういう気ではないのだろう。
多分。おそらく。前向きに考えて。

「・・・わかったよ。その・・バージルさんが俺を好きなのは・・十分に」
「・・本当に?」
「っ!ホントだってば!ホントだからとって喰いそうな目で近寄ってこない!」
「・・俺は別に母さんを喰ったりしないが」

まぁそう言ってくれるのなら嘘をつかない彼としては今のところは安心だ。
こういった時に誰かさんと違って変な嘘をつかず従順なのはとても助かる。

「・・とにかくもう寝ようか。ちょっと寝苦しいけど
 明日からもうちょっとここを泊まりやすい場所にしないとな」
「・・あ、待てその前に1つ」
「ん?」
「おやすみのキスがまだだ」

多少は慣れたとは言えあんまり密着されると寝にくいので
さりげなく距離をあけようとしていた純矢の動きが
もう何度目かになるがびしと止まった。

「あ・・あの、ちょっと待て。
 見ての通り俺生まれも育ちも日本だから、そういうこっちの習慣とかは・・」
「だがここは日本ではないし俺は日本人ではない。
 日本の言葉には郷には入れば郷に従えというものもある」
「だから何でそういう事にだけ・・!」

つまんない知識を働かすんだよお前達兄弟は!

と言おうとした矢先
すっとのびてきた手が前髪を上げながら額を押さえつけると
そこに柔らかいものを軽く押しつけていく。

ついでにちょっと舐められたと気付いた時にはもう後の祭りだ。

「・・おやすみ」

その一連の動作を何のためらいもなくやってのけた本人は
当たり前のように下へ潜り込み、、丁度いい力加減で腹にしがみついて
そこで完全に寝る体勢を取ってしまう。

そして後に残されたのはその形のまま硬直してしまった純矢のみ。

「・・・・」
「・・・・」

今までまったく気がつかなかったが
コチコチとどこかにあるのだろう時計が規則正しく秒を刻む音が聞こえる。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

コチコチコチ

「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」

コチコチコチコチコチ

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・母さん、心臓音が五月蠅すぎて眠れない」


ゴッ


返事のかわりに落ちてきたゲンコツは
闇の中でくっきり光っていて綺麗だったけど
おやすみのキスがわりにもらったそれはとても痛かったと
バージルはこの時ぼんやり思った。








その気も悪気も0なので対処が難しい兄。


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